お憑かれ様です、唯人くん

吾妻 峻

プロローグ

失恋直後はラブコメの表紙すら見たくない

「マジでムリだから! 一生話しかけないで! 」


 中学三年の文化祭の翌日。クラスメイトの女子のこの発言に、僕、羽場はば 唯人ゆいとの脳は破壊された。


 有無を言わさぬ拒絶。冷たい視線。彼女へ今まで抱いていた恋心と、それを下支えしていた甘やかな思い出……全てが胸の内で猛毒へとひっくり返った。思い返す度に、心の柔く繊細な部分がジクジクと痛む。

 過去一、傷ついた。必死に記憶を辿り、原因を探った。


(僕の、何が悪かったんだ? )


 文化祭の準備で親しくなった。クラスの中心的な女子。いつも笑顔な彼女は当時の僕と対極の身分にあった。

 僕は休み時間にソシャゲをいじって授業が終わると直帰、撮り溜めたアニメを観る底辺の陰キャ。対して彼女はいつも大勢に囲まれ放課後は街中のカフェに行くような、トップカーストの陽キャだ。

 けれど妙な運びで、一緒に文化祭の準備をすることになった。その時初めて話すようになって、意外にも仲良くなれた、と思っていた。


「あっはは! 意外! 羽場くんって意外と楽しい人だね! 」

「ゆいとくん、今日二人で居残ってこれやっつけちゃお」

「ゆいっち〜! 明日の文化祭、一緒に回ろ! 」


 めくるめく時間だった。憧れの人との止まらない会話が日常になって、明日が待ちきれなくなった。相手も心待ちにしているのが感じられた。僕の呼び方も「羽場くん」から「ゆいとくん」になり最後は「ゆいっち」。びっくりの三段回進化だ。自惚れではないが「いい感じ」だったはず。

本心を打ち明けると、もうどうしようもなく彼女に「恋」してしまっていた。


――そんな中、急転直下の拒絶。どうしても原因がわからない。


 流石に家族にも相談できず、ネット掲示板に相談スレを立てた時のコメントはこの有様だ。


「勘違い陰キャ乙」「コイツ自認バグってね? 」「フツーにキモかったんだろ」「他人の優しさを好意に直変換するキショオタ」「取り敢えず顔面見してくれ、それで判断する」


 全てのコメントを受け止め、僕は声も無く泣いた。


「……しばらくラブコメは読めないわ、こりゃ」


ただの失恋だ。そう言い聞かせ軽口を言ってみたけれど、抱えきれない悲しみは涙となって目の端を延々と流れ落ちていく。気が付けば自室の本棚からラブコメ漫画だけ抜き取り、段ボールへとしまい始めていて、あぁこれは重症だなと自覚した。


――心のどこかでどうしても、この悩みを打ち明けたい気持ちがあった。


 そこで思い当たった。昔、お世話になったことがある、実家の近くの山にある神社……「伏龍神宮ふくりょうじんぐう」のことを。宮司は、近所の子供に勉強を教えてくれるくらい優しい人だった。彼なら悩みを聞いて、心に沁みるアドバイスをくれるかも。そう期待した。


 休日、「伏龍神宮」に訪れた。

 頭髪の量以外は幼い頃からそのままの宮司は、僕を見るなり真っ青になった。


「な、何とッ……! 早く上がりなさい。まさか、今になって」


 第一声の意味は全くわからなかった。ただ、心当たりは一つ。

――小学生の頃、この神社が立つ有名な霊山「伏龍山」の奥深くに虫取りに行って、遭難したことがあったのだ。今では全く思い出せないが、気がつけばこの「伏龍神宮」にいた。どうやら、行方不明になっていた僕を住民総出で探し出し、三日三晩かけて宮司が「お祓い」をしてくれたらしい。

 そしてどうやら今回も、同じ「お祓い」をする必要があると。

 通されたのは大きな拝殿の前。天井には大きな龍の絵が描いてある。幼い頃の記憶に符合するようなしないような。荘厳な光景にボケーっとしていると。

 慌ただしく正装した宮司が戻ってきて「こっちを向きなさい」と言った。見れば、彼は水色の大きなポリバケツを持っていた。中で、ちゃぷん。並々注がれた液体が揺れている。


「ちょっと待っ、何すか……え、何なんすか!? 」


 有無を言わさず、中身をぶっかけられた。

 びしゃあ。頭から足の爪先に至るまで、一気にびしょ濡れ。


「わぷッ!? んぇ!? なんで、冷た!? 」


 中身はただの水のようだ。いや、だから許されるなんてことはない。これは間違いなく悪質ないじめだった。失恋を経験した多感な思春期の少年に追い打ちをかける、下劣で非道な行為だ。


(マジで泣きそう)


 半泣きの僕に、宮司は端的に告げた。


「御手水(おちょうず)だ」

(嘘コケこのハゲ)


――御手水。参拝前に「手水舎ちょうずや」で、柄杓ひしゃくから水をすくい手や口を清める行為。


 そう、自分から、手で水を掬うのだ。なぜ他人にいきなり頭のてっぺんから水をぶっかけられるのが御手水なのか。アイスバケツチャレンジと間違っていませんか?

 しかし宮司は至って真剣そうなので、ツッコミは流石に入れられず。


「……僕、入口のところでやってきたんすけど」

「足りん。これでも加減しとるんだぞ」


 宮司の言葉はいつになく厳しい。もはや自分の顎から滴り落ちるのが「御手水」の水なのか自分の涙なのかわからない。いつからこの世界はここまで残酷になったのか。

 ともかく、宮司の言うところの、お祓いが開始された。


 拝殿の左右で、ぼうっと光を放つぼんぼり。

 浮かび上がるように照らされる眺めは、どこか不気味だ。

 宮司が祝詞を読み上げ始める。

中途、手に持つ棒を振るたび、シャン、シャン。先についた鈴が鳴る。

宮司の首元には大粒の汗。彼の祝詞をあげる声が、一段と大きくなり――


 数十分は経っただろうか。手を合わせ、目を閉じながら。そろそろ足が痺れてきたなぁ、足を崩してもいいかなぁ、と薄目を開いた時。


「うがあああああああああああああああッ!!!??? 」


 宮司が、叫び声を上げながら吹き飛んだ。

 一瞬だった。薄目を開ける僕の判断がなければ見逃してしまうところだった。まさしくスマブラの決まり手如く、僕の視界の画角から宮司が消え失せた。かろうじて追えた残像に従い目で追うと、彼は左手の襖(ふすま)を突き破り、砂利の敷き詰められた敷地外に転がった。

――もはや叫ぶ暇もない。てぇへんだ。一大事だ。


 駆け寄ろうとすると、宮司が立ち上がった。

 いや、持ち上がった。

 彼の足が地面から浮く。彼は苦しそうに宙でもがいている。


 そこで理解した。彼を締め上げ、宙吊りにしている――透明な、巨大な何かが。

 もはや現実とは思えない光景に僕の頭はショートし、理解を拒んだ。


「こりゃすげぇや。SNSにあげたらバズるかな」


 なんて言っていると、スマホを構える暇もなく。急に宮司を持ち上げていたその力が消えた。彼は自由落下し、砂利の上に落ちる。ようやく僕は我に帰って、今度こそこう言った。


「だっ、大丈夫ですか!? 」


 靴も履かずに駆け寄ると、彼は強く咳き込んでいる。頭に被っていた高い黒帽子がずれ落ちて、ハゲ頭が丸見えだ。しかし、汗だくながらも意識はしっかりしている様子。僕の肩に手を置きながら、先ほどまでよりも蒼白な、絶望の表情でこう言った。


「私には、ダメだ、祓えなかった」


 まぁ……うん、それは見てたらわかったかな。


「このような結果になって申し訳ない」


 別に謝罪はいいかな。僕、どっちかと言うと水ぶっかけられたことに怒ってるし。

――あぁ、もうどうでもいいや。

 僕は、超常現象を目の前にしてとっくに理解を放り投げていた。多分これは夢なのだ。ならばどうにかして夢から醒めなければ。とりあえずもう一度アイスバケツチャレンジを……なんて思っていると、宮司は続けて、聞き捨てならないことを口にした。


「ともかく、君にかけられた呪いは解けない。君は、心を通わせられる友人や恋人には、一生出会えないだろう」

「……えぇっと。もしかして僕、今悪口言われてます? 」


 そもそも「呪いをかけられている」なんて初耳なんだが。宮司は、何かに追い立てられるように説明した。


「君は、五年前にこの山の奥で遭難しただろう。以来、伏龍山の御神体に呪われているんだ。執念深いかの神は君が、誰かと心を通わせるのを嫌がっているようだ」

「何だよ……それ」


 突拍子もないことで、どうにも信用できなかった。

 けれど、僕がいい感じになった女の子に、急に拒絶されたのは事実で。

 もう一度、宮司の言葉が頭の中で繰り返される。

――心を通わせられる友人や恋人には、一生出会えない。

 つまり、僕は一生一人だと。孤独死確定コース、永遠の非・リア充だと。


「そっ、そんな呪いがあってたまるかぁ! 」


 叫んだ僕に宮司は恐慌状態のまま、言い訳を並べるばかり。


「本山の主神は、執念深い蛇の神だ! 君はそれに魅入られてしまっているんだ! やはり、あの時のお祓いでは時間稼ぎにしかならなかったのだ! 」


 手痛い失恋、全身びしょ濡れ、最悪の未来の宣告。中学三年生の僕の精神はここで限界を迎えた。


「ふざけるな! そんなっ、嫌だ、信じたくない! 」


 視界全体を埋め尽くすほどに、涙が溢れ出した。僕はグズグズとみっともなく、その場で泣き崩れた。


「うう、うッ!! ぐず、ぅう……何っ、でぇ。そんなッ、ひっ、こと。いうんだよぉ……ッ」


 男泣きの対極に位置するだろう。ゲームをし過ぎてスマホ・ゲーム機まとめて取り上げられた時以来だ。幼子のようにしゃっくりしながら、僕は涙を流し続ける。

 宮司は、慰めることさえしなかった。


「す、すまない。というわけで、帰ってくれないか……私だってさっきみたいなのは懲り懲りなんだ……妻子もいるし」


 宮司が僕を見る目は恐怖に歪んでいる。一生独身だと宣告した子供の前で自分の妻子を心配するその身勝手さ! 僕の中でむくむくと、理不尽なことに対する強い怒りが膨れ上がって爆発した。


「ざッ、ざっけんなばーか!!! にっ、二度とテメェになんか頼むものか! このハゲェ!!!! 」

「は、はぇ」


 宮司は萌えキャラヒロインみたいな声を出してへたり込む。その様も妙に腹が立つ。


「こっちから願い下げだねェ! この役立たず! 二度と来るかぁ!!!!!!! 」


 僕はカバンを引っ掴み、まだ乾かない髪と制服の張り付く感触に苛立ちを覚えながら「伏龍神宮」を後にした。自宅へ帰る道すがら、僕は決意した。決意はそのまま、声になった。


「このままじゃいられねぇ……! 」


 生まれて初めてなほどに強く抱く、純粋な怒りを持て余していた。

 同時に現状に対する理由を強く認識してもいた。


(こうなったのには全部、僕に原因がある。認めたくねぇけど!! )


 彼女に嫌われたのも、宮司が吹き飛んだのも、説明がつかないが自分自身のせいなのは受け入れるより他なさそうだ。そもそも自分で解決すべき事柄を、他人に解決させようとした時点で間違っていたのかもしれない。


「だったら自分でやってやるよ。僕自身の力で、この呪いとやらに抗って見せる……!!! 」


 山を降り、田んぼに囲まれた畦道を行きながら、叫んだ。


「僕は変わる! 変わって見せる! 可愛い彼女作ってぇ! 人気者になってぇ! 証明してやる! 一生誰とも心を通わせられないなんて、嘘だってなぁ!!!!!! 」


 田舎育ちの中学三年生、羽場 唯人。自分に取り憑く神とやらの「非リアの呪い」を克服する戦いの日々が始まった。

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