第17話 再会、すべてを奪った元婚約者

夜が明けると同時に、辺境の空は不穏な赤を映していた。

風が強く、森の木々が不自然に揺れる。

その風に混じって、砂塵を上げながら一団の影が北の街道を進んでくる。


「王都から馬車が三台。騎兵は二十。中央には、装飾の多い車輪の馬車が一つ。」


報告してきたのは、竜隊の偵察兵だ。息は乱れていないが、表情が険しい。

すでに俺も察していた。

――再び王都が動いた。

しかも今回は、単なる使者の類ではない。


「指揮官は誰だ?」


「王国第二王女、セレスティア殿下です。」


思わず目を細めた。

数か月前、王都へ“戻れ”と命じた使者の名を冠していたあの女。

追放された俺を、偽りの罪で断罪した元婚約者。

そして――すべての始まりの女だ。


「挑発に来たか、それとも陥れるつもりか。」


アルディネアの声が低く響いた。

『どちらでもない。あの女の背後に何者かの視線を感じる。

恐らく王そのものではなく、別の意志が動いている。』


「……やっぱり、ベニアス宰相か。」


『ふむ、巣の蛇が尻尾を出し始めたようだ。用心しろ。』


「当然だ。」


俺は外套を羽織り、竜紋の指揮剣を腰に差した。

まだ血を流すつもりはない。だが、屈辱を受け入れる気もない。


「竜隊は警備体制。民は避難壕に。誤っても剣を抜くな。挑発が目的だ。」


***


昼頃、街道の土煙の向こうから王都の紋章を掲げた馬車が姿を現した。

磨き上げられた白馬と豪奢な車体。

しかし、その中に座る一人の女の顔が見えた瞬間、胸の奥が冷たくなる。


――セレスティア。

変わらぬ整った顔立ち。

だが瞳の奥に宿る光は、かつて俺が知っていた高慢ではなく、計算づくの冷静さだった。


馬車が広場の中央で止まり、王女の従者たちが一斉に並んだ。

その視線のひとつひとつが刺すように冷たい。

王女はゆったりと降り立ち、俺に向き合った。


「……久しいわね、アレン。」


「確かにな。あれ以来、王都の空気を吸うこともなくなった。」


「ええ。あなたが追放されたあと、私は“裏切り者を庇った女”として非難を受けたの。

でも、ようやく今、真実を正す時が来たわ。」


「真実、だと?」


「王国はあなたをもう“罪人”とは見なしていない。

むしろ、竜を従え、辺境を生き返らせた英雄として評価している。

だからこそ、私自ら来たの。――あなたを、正式に“臣下”として迎えるために。」


その声音はやわらかい。

だが、笑みの奥には冷たい毒が潜んでいた。


「つまり、王都の名のもとに俺を再び縛るってわけだ。」


「違うわ。あなたは“辺境の管理者”として、私の指揮下に入るの。

辺境伯という地位を与える代わりに、軍も産業も王都の命令で動くことになる……ご理解いただけるわね?」


「王都の餌はいつだって毒が混ざってるな。」


「何を警戒しているの? 私だって……あなたが恨んでいるのは分かっているけど。

昔のように、もう一度――」


「昔?」

声が自分でも驚くほど低く出た。

「お前は俺を罪人として突き出した時、何を思っていた?」


「……そうしなければ、家は滅びた。私は、王の命令に逆らえなかった。」


「それを“言い訳”って言うんだ。俺の首を切る時、涙のひとつも見せなかったくせに。」


セレスティアの表情が一瞬だけ固まる。

だがすぐに取り繕うように笑みを作った。

それは昔、宮廷で見慣れた笑顔――何も信じない者の仮面だった。


「あなたを陥れたわけじゃない。あの時は、まだ若かったの。

けれど今は王国を動かす立場よ。……だから、あなたを手元に置きたい。」


「支配するためだろ。」


「いいえ。貴方の力が欲しいの。」


一歩近寄る。

彼女の瞳が、探るように俺を見上げた。

その距離に、かつて感じた熱が微かに残っている錯覚を覚える。

だが、それすら計算の一部にしか見えなかった。


「今さら情を使う気か。」


「本気よ。……お願い、アレン。貴方となら、この腐った王国を変えられる。

陛下もベニアスも、いずれ私たちが――」


「それ以上言うな。」


冷たく響く声に、王女が息を止めた。

俺はゆっくりと首を振る。


「お前はまだ自分を“王都の人間”だと信じてる。

だが、俺はもう違う。

あの腐った玉座が俺の“生まれ”であっても、心はここにある。」


「……それが、“竜と共に生きる”道なの?」


「ああ。俺の力は、王のために振るうためのものじゃない。

貴族たちの見せかけの秩序を守るためのものでもない。

死にかけた人々が、自分の手で生き直す――そのための力だ。」


「そんな理想論、夢物語よ!」


「夢でもいい。お前たちの理屈より、ずっと現実だからな。」


その場に沈黙が落ちた。

次の瞬間、彼女の口角がわずかに上がる。

その笑みは、あのベニアス宰相と同じ種類のものだった。


「そう……なら、“現実”を見せてあげるわ。

アルディナ領の繁栄は、王国に危険をもたらす――王都ではそう判断された。

明朝、近衛第二師団がここに到着する。

この地の主権は、一時的に“王家預かり”となるの。」


一瞬、周囲の空気が凍りついた。

リーナが息を飲み、兵たちが動揺を見せる。


「……つまり、占領するつもりか。」


「違うわ。あなたが従えば、誰も傷つかない。

逆らえば、王国の法に従って制圧する。それだけよ。」


俺は無言で彼女の視線を受け止めた。

その瞳に迷いがあった。それがかえって痛ましかった。

彼女自身が、自分の役割の中で苦しんでいるのが見えた。

だが――情はもう、過去に埋めたはずだ。


「セレスティア。」


「……何?」


「お前は正義を語りながら、人の心を踏みにじることに慣れすぎた。

この地はな、血ではなく“信頼”で繋がってる。

だから王都の刃でも、もう切り崩せない。」


「なら、力で教えてあげる。誰が上に立つべきかを。」


セレスティアは踵を返し、馬車へと乗り込んだ。

その背に衣の裾が翻り、白い布が黒い灰のように散っていく。


『王女は迷っておるな。心の奥で、汝を試している。』


アルディネアの声が風に混じって響く。

「試す、か。……なら、今度は見せてやる。

俺たちがどれだけ強く、誰より自由でいられるかを。」


『明朝、戦になるぞ。王国第二師団は千を超える精鋭。』


「分かってる。でも、ここにいるのは、ただ守られる民じゃない。

皆が戦える“国の民”だ。」


俺はゆっくりと拳を握った。

風が吹き抜け、遠くで竜の翼が音を立てた。

その音が、戦の幕開けを告げる太鼓のように聞こえた。


セレスティアの馬車が遠くに消える頃、

俺の胸の奥で再び竜の紋が熱く光った。


――あの女に、二度と屈辱を味わわせはしない。

この地を、何があっても守り抜く。


夜の帳が落ちていく中、アルディナの空に雷雲が集まり始めた。

神竜の加護が、再び牙を研ぎ澄ます音が確かに聞こえていた。

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