神社のとなりの弁当屋
深山 麗
不合格で落ち込んで寄道したら美味しい弁当に出会ったんだけど
18歳の瑛太は、大学の合格発表の帰りだった。結果は不合格。帰り道、今の自分の模様を映し出すかのように天気も怪しく、傘を持ってきていなかったので濡れたら嫌だなぁとトボトボ歩いていた。
親や先生、大人たちの期待に応えられなかったことと、合わせる顔がなく家路につきたくない気持ちがせめぎ合っている。それに、大事にしていたお守りもどこかに落としてしまった。天気など関係なく、あてもなく街をふらつくしかなかった。
しばらく歩いていると、いつも合格祈願のために来ていた神社にたどり着いた。合格発表の報告でもしておこうかと歩みを進めると、一軒の弁当屋が目に付く。普段なら気に留めなかっただろうが、店頭に見慣れたものがあった。
失くしたと思っていた“お守り”だ。
とはいっても普通のお守りではない。彼が自分で裁縫した、小さなぬいぐるみだった。
瑛太の寡黙で真面目な性格と相性が良かったのか、妹のぬいぐるみを直したのをきっかけに裁縫を趣味にしていた。だが思春期真っ盛りの男子として、この趣味が周りにバレるのは恥ずかしい。誰にも打ち明けたことはない。
本当は裁縫などが学べる専門学校に行きたいと思っていた。正直、受験も志望校は親が決めたようなものだった。だからこの不合格も、内心では少し嬉しいと思ってしまっていた。
瑛太は弁当屋に入り、店頭に置かれていたお守りを持って帰ろうとした。だが、なかなか言い出せない。引っ込み思案な自分を呪う。
(僕はいつもこうだ)
不甲斐ない自分に情けなくなって、目頭が熱くなってきた。
だんまりを決めている瑛太に店員が話しかける。
「いらっしゃいませ」
優しそうな老齢の女性の声が、曇天の小雨と共に瑛太に降りかかってくる。瑛太はとっさに「はい」と答えてしまう。
「お弁当かい? ちょうど最後の1個だったんだ。980円ね。」
瑛太は少しギクリとした。財布には少ない小銭しかない。足りなかったらどうしようと、焦りが頭を駆け巡る。右後ろのポケットをまさぐる。手が汗で濡れているのか、雨で湿っているのか、財布を握る手が変にジトっとしている。
財布を取り出し、中を見る。千円札がない。普段から余計なお金を持たない主義なのが災いした。のどにビー玉が詰まる思いで小銭入れを確認し、急ぎながら数えてみる。
弁当の値段ちょうどの小銭があった。
胸をキリリと走る緊張が、ほっとほどける。トレイに小銭をすべて乗せる。
「細かいのが多くてすみません。」
瑛太の気遣いの声が届いたか届かなかったのか、店員は静かに弁当を袋に詰めて手渡す。店員は少なくとも七十歳は越えているようで、おそらく聞こえなかったのだろう。
しかし瑛太にそんなことを考える余裕はない。不愛想なことをしてしまったのではないかという思考が脳内で暴れ、顔や耳が一気に熱を帯びた。
結局瑛太は、店頭に置かれていたお守りを自分のものだと言えずに店を出てしまった。手元には食べる気のなかった弁当だけが残る。
冬と春の間の微妙な寒さと小雨の中、仕方なく境内で弁当を食べることにした。
丁寧に紙に包まれ、可愛く桜色に彩られた二段の弁当箱。包み紙をゆっくりはがすと、裏におみくじが書いてあり、(大吉:今日はあなたが主役です)と薄っすら印字されている。
ふと瑛太は先日、クラスの女子が神社のとなりにある弁当屋の話をしていたことを思い出す。営業時間が不定で、いつ開いてるのかもわからない。買えること自体がラッキーらしい。噂によると最後の一個を買えた人は幸運に恵まれるのだという。
正直、そういう迷信めいたものは信じるタイプではない。むしろこの状況から、今この瞬間世界で一番不幸なのは自分じゃないかと錯覚するくらいには落ち込んでいた。
境内の石畳の灰色が濃くなりはじめ、烏が寝床に向かって飛び急ぐ。しばらくは本降りになりそうだと思いながら、家に帰る時間を伸ばす口実ができたと少し胸をなでおろし、目の前の弁当に手をかける。
化粧箱に引き出し式の弁当が二段。下段をズズと引き出すと、ずっしりとした重みが手に伝わる。その重みに似合うほどの炊き込みご飯が、箱の隅にまでぎっしりと詰まっている。いたって普通のキノコの炊き込みご飯だが、見た目だけでも目頭にこみあげてくるような優しさがある。
上段を引き出す。こちらも春を感じさせる彩りで、心が少しだけ躍った。照りが美しい焼き鮭、しっかりと高さのある出し巻き卵。煮物はがんもに筍、ニンジン、しいたけ。サイドに柴漬けとポテトサラダ。ちょこんと座るミニトマトの赤が映える。
これが980円というのは破格すぎる気もするが、時間も遅い。売れ残って廃棄するよりはいいのだろう――そんなことを考える前に、瑛太は空腹に耐えきれなくなっていた。
箸をパキリと割る。いびつに割れて先がとんがっても気に留めない。煮物のがんもを口に運ぶ。舌に伝わる冷えた煮汁が、一瞬で口いっぱいに広がった。
冷えているのに、奥底から伝わってくる和の出汁の風味が、雨で冷えた身体に駆け巡る。忘れていた懐かしさを呼び戻すような、やさしい味。
そのまま炊き込みご飯をほおばる。うす味で主張こそ少ないが、噛めば噛むほどキノコの旨味がにじむ。ご飯だけでもぺろりと食べられそうだ。順番なんて関係ない。むさぼるしかなかった。
おかず、ご飯、おかず……と、誰の目も気にせず口に詰め込んでいく。
瑛太はこのとき、塾の自習室で夜な夜な食べていたコンビニ弁当を思い出していた。レンジで温めているから、もちろん温かい。だけど食べれば食べるほど、心の中の大事なものがすり減っていくような気がした。これから続く問題集と向き合う時間に向けて、心を自らの手で殺しに行くような――そんな時間が、瑛太にとっての食事だった。
今、この瞬間に食べている弁当は何かが違う。弁当がすごいのか、単純に受験からの解放感なのか。自分を取り戻すような、血の通ったご飯を食べているようだった。
最後に柴漬けを食べようとしたとき、ポケットから振動を感じた。父からの連絡だった。
(今どこだ?迎えに行くぞ)
ぶっきらぼうな短文が画面にポンと表示される。父は口数が少なく、何を考えているかわからない。昔から会話をした記憶が薄い。返信をするのも少し気が引けた。
しかしここで返信をしないと母がうるさい。母は少しでも想定外のことがあると気が動転する。自分の気持ちを言うと、この世が終わったような顔をし、散弾銃のように叱責する。こっちが何も言えないでいると、人が変わったように謝られる。その繰り返しで、思ったことを言う気力がなくなった。
受験も母の言うとおりにした結果がこれだ。帰ったら母のパニック劇場が展開されるのだろうと思うと、胃が刺すように痛む。しかし家に帰らないわけにはいかない。
(いつもの神社にいるよ。お迎えお願いしたいです)
なんとか父に返信をして、待つことにした。
(わかった、5分くらいしたら車で迎えに行きます)
父の返信を横目に、これからのことを考えた。浪人生活が始まるだろう。一年間みっちり勉強すれば、第一志望でなくとも第二、第三くらいには合格できるかもしれない。
でも、そもそも自分は大学に行きたいのだろうか。大学に行って何がしたいわけでもない。大学に行かなきゃできない仕事に就きたいわけでもない。ただ実家を離れられて、自由な時間が四年もあると考えれば、悪い選択ではない。
頭ではそう言っている。
だけど、心のどこかで「こっちじゃない」と叫ぶ自分がいる。
たとえ母が理想とする道じゃなくても。他の頭のいい同級生と違う道を選んでも。それでも、こっちに行きたいという道が目の前に広がっている気がしていた。
瑛太は指先に巻いたばんそうこうを撫でながら、さっき言い出せなかったお守りのぬいぐるみで頭をいっぱいにする。
受験の合間にこっそり息抜きでやっていた裁縫。深夜になっても必死になって巾着やコインケース、小さなぬいぐるみを作っていた。針を持って縫っている時間だけが唯一の癒しだった。
けれどつい先日、母に見られてしまった。勉強に関係ないからと目の前で捨てられた。裁縫道具も小物もゴミ袋に詰め込まれた。なんとか一個だけ、小さく不格好なぬいぐるみだけ救出できた。それが瑛太のお守りだった。
そのときから、まともにペンすら握れなくなっていた。この不合格はある意味、必然だったのかもしれない。思い出すだけで胃が握りつぶされそうになる。
だが瑛太は、ここであのぬいぐるみを手放したら、いよいよ自分が消えてしまう気がした。
さっきの弁当屋に行かなくてはならない。父が迎えに来るまであと数分。雨も少し落ち着いてきた。意を決して立ち上がる。
弁当屋は店じまいの準備をしていた。忙しそうな店員に声をかけようか迷う。
「あ、あの!」
裏返った声が自分の耳にも入ってくる。恥ずかしさはメーターを越えそうだが、瑛太は店頭に置かれたぬいぐるみを指さした。
きょとんとした店員に、瑛太は必死で言う。
「こ、これ……ぼ、僕のです!」
店員のおばあちゃんはにこりと笑った。
「そうか!よかったね、持ち主が迎えに来てくれて」
おばあちゃんはぬいぐるみの頭を撫で、瑛太に手渡してくれた。
「今日の朝にお店の前に落ちてたんだよ」
その言葉で、今朝のことを思い出す。合格発表の前に神社で最後の合格祈願をしていた。あのとき落としたのだろう。
「拾ってくださり、ありがとうございます」
手の中に戻ってきたぬいぐるみを見つめる。
「手作りよね、そのぬいぐるみ。よくできてるわね」
思わぬ言葉に胸が少し熱くなる。
「これ、僕が作ったんです。失くしたと思ってたので……あってよかったです」
小さなぬいぐるみに目を落とすと、受験の日々が思い出された。テストでいい点をとっても、模試でいい判定が出ても嬉しくなかったのに。このいびつなぬいぐるみを完成させた瞬間のほうが、何倍も嬉しかった。
浪人生活を想像する。もう正直、ペンを握りたくない。針を持ってもっと裁縫がしたい。勉強なんてしたくない。そんな思いが一気に駆け巡る。
「お兄さん器用なんだね。その子も大事にされて嬉しそうね」
照れくさくて、うまく笑えない。
「あ、ありがとうございます」
そう言って店をあとにした。
神社の方を見ると、一台の車が停まっている。父だ。運転席側の窓をちらりと覗き、目が合う。いつもの後部座席の左側に回る。ドアに手をかけると、上から雨粒が数滴、頭に落ちた。
車内に入ると、ぬるい暖房の風と芳香剤の匂いが広がる。この匂いを嗅ぐだけで車酔いしそうになるが、それをこらえてシートベルトをつけた。父がその音を確認すると、車を走らせた。
しばらく走ると、また雨が強くなった。屋根を叩く雨音とワイパーの音だけが車内にこだまする。沈黙が居心地悪い。
帰りが遅かったから怒られるだろうか。結果を責められるだろうか。車を出したことを不満に思っているだろうか。父は何を考えているかわからない。そわそわを隠すために窓の外を眺める。
帰ったら母に何と言おう。そればかりが頭を駆け巡っていた。
「お疲れ様だったな」
父がぼそりと言う。
「う、うん」
こっちもぶっきらぼうに返してしまう。
「寒くないか?」
「大丈夫」
短いやりとりがぽつり、ぽつり。
「結果、どうだった」
聞かれたくなかった。だけど避けられない。
「ごめん」
今の自分にはそれしか言えなかった。これ以上の言葉を出そうとすると、ストッパーがかかったように喉が詰まる。
「そうか」
父の言葉はそれだけだった。ぶっきらぼうな一言が余計に心を重くさせる。
(あぁ、僕はとんでもないことをしてしまったんだ)
いっそこのまま世界が滅亡してほしいと思ってしまうくらい胸が苦しくなる。父はいつもこうだ。何があっても自分の話をしない。母の言いなりの男だ、と瑛太は思っていた。だから父が何を考えているかわからない。わからないから怖い。
気まずさに耐えきれず、瑛太は謝る。
「ごめんね、合格できなくて。来年は頑張るから」
再び沈黙。ワイパーが窓を拭う。バックミラー越しに父と目が合う。
「それ、お前が作ったやつか?」
その瞬間、自分がぬいぐるみを手に持っていたことを思い出した。
(やばい、見られた)
心臓が爆発しそうなくらい胸を打つ。
「う、うん」
平静を装ったが、声に緊張が乗る。
「前に母さんがいろいろ捨てたやつあるだろ」
ぎょっとした。もしかしたらこれも捨てられてしまうかもしれない。瑛太は涙をこらえるのに必死だった。
「あれな、ちゃんとあるから」
予想外の言葉だった。ある……? あるって?
「母さんが勢いで捨てたやつ。こっそり中身取り出して、俺の部屋に隠してるから。大丈夫だぞ」
父が母に反してそんなことをしてくれてたなんて、想像もしなかった。
「帰ったら母さん大変なことになるかもしれないけど、父さんも一緒に怒られるから。その先のことは、ゆっくり考えればいい」
はじめてかけられた父親らしい言葉に、胸をなでおろす。
そうか。この人も人間だったのか。誰かの言いなりになるだけの人じゃなかったんだ。
雨音は強く、ワイパーの音だけが車内に響いている。それでも、少しだけ温度が上がったように感じた。単純にエンジンがかかって温まってきたのか、緊張がほどけただけなのかわからない。
でも家に帰る不安が少し楽になったのは、気のせいじゃないと思う。
神社のとなりの弁当屋 深山 麗 @sk9625
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