【カクヨムコン11短編】雨宿り

のりのりの

第1話 お兄たまはとっても温かくて、いい匂いがします

 けぶるような灰色の空から、滝のように雨が降り注ぐ。

 空にいた鳥たちは、競うように大樹の陰へと逃げ込んでいく。


「イトコ殿、大丈夫ですか? 疲れてはいませんか?」

「お兄たま、だいじょぶ……クチュン!」


 美しい少年と可愛らしい幼な子が、大きな木の枝に腰かけ、身を寄せ合うように雨宿りをしていた。


 少年は十四、五歳くらい。

 幼な子は四、五歳……乳母の手を離れ、ひとりの子どもとして認められる年頃だ。

 幼な子は鼻歌をうたいながら空から落ちる雨粒を楽しげに眺めている。


 ふたりとも貴族の子どもが着用する外遊び用のシャツにズボン、ジャケットを羽織り、その上から裾の短い外套で身を包んでいた。


 服装に加え、理知的な光を宿した双眸。

 手入れの行き届いた黄金に輝く髪。

 艷やかでふっくらした肌など、育ちの良さが随所にみられる。


 突然の大雨に、ふたりとも頭の先からつま先まで、びしょびしょに濡れていた。


 幼な子は可愛らしいクシャミを連発すれば、水しぶきが周囲に飛び散った。


「風邪をひいてはいけません。イトコ殿、もっとこちらへ」

「はい。お兄たま」


 少年が外套を広げ、幼な子を懐へ招き入れる。

 イトコ殿と呼ばれた幼な子は、美しい蒼い瞳をキラキラと輝かせながら、勢いよく少年へと抱きついた。


 少年は朽葉色の外套で、雨に濡れた幼な子を優しく包みこむ。

 柔らかでふんわりとした重みが少年に加わり、雨に濡れた新緑の匂いに混じって、砂糖菓子のような甘い香りが鼻孔を刺激する。


(ああ……っ)


 声にならない吐息が少年の口からこぼれ落ちた。

 もっと強くこの想いを感じたくて、少年は腕に力を込める。

 甘い香りがさらに強くなり、少年の心が喜びに震えた。


 イトコ殿はまだ幼く、小さな存在だ。


 少年にとっては世界で一番尊いもの。


 一番大事な宝物。


 己の生命よりも大事で、なによりも大切な存在。


 それに触れ、抱きしめることができる幸運を少年は素直に喜んでいた。

 イトコ殿と同じ世界、同じ時代、同じ世代に生を受けたことに感謝する。


「お兄たまはとっても温かくて、いい匂いがします。夏の爽やかな風の匂いです」


 少年の胸に頬をすりよせながら、イトコ殿は幸せそうな笑みを浮かべた。


 たったそれだけのことなのに、胸がギュッと締めつけられて苦しくなる。

 心臓が早鐘を打つように暴れ、ドクン、ドクン、と力強い鼓動に全身が震えた。


 突然の豪雨は一向に止む気配がない。


 雨に降られなければ、どこまでも広がる青い空と、色とりどりの花が咲き乱れる草原を眺めることができたはず。


 果てなく広がる草原には、一本の大樹が天に向かって枝を広げている。


 広い平原のなかにぽつんとある大樹。

 樹齢は何万年ともいわれており、異なる世界を渡り飛ぶ鳥たちの止まり木として知られている。

 鳥たちの旅の疲れを癒やす場でもあり、道標でもある大切な樹だ。


 そして、ここは少年のお気に入りの場所でもあった。


 ひと月ほど前、イトコ殿の誕生日のお祝いになにが欲しいのか……と少年が冗談交じりに尋ねたら、「お兄たまのイチバンのオキニイリのバショに……みなにはないちょでいってみたいでしゅ」と侍従や女官たちがいる前でお願いされてしまった。


 予想もしていなかった『おねだり』に少年は困惑したが、その場にいた全員が後ろを向き、ご丁寧にも両手で己の耳をふさいでいたのである。


 というわけで、大人たちにはしっかりとばれていながらも、少年は『みなには内緒で』イトコ殿を外の世界に――自分のお気に入りの場所に――案内することとなった。


 この場所は一番ではなく、二番目の場所なのだが、それはイトコ殿には内緒だ。


 まさか、「わたしの一番のお気に入りの場所は、イトコ殿の隣です」とは、口が裂けても言えない。


 草原のシンボルともいえる大樹には、雨宿りのために様々な小動物が集い、鳥が枝で羽を休めていた。


 小鳥たちは枝を飛び交い、二羽、三羽と集まっては、楽しそうにおしゃべりをはじめていた。


 葉に落ちる雨音に混じって、小鳥の囀りが合唱のように聞こえてくる。



 あめ あめ あめ

 ポタ ポタ ポタ ポツ ポツ

 キラキラ キラキラ

 ポタ ポタ ポタ



 あめは とっても きれいなの

 あめは とっても キラキラなの

 おそらには いっぱい いっぱいの

 きれいがあるの

 キラキラがあるの


 色を失った無彩色の世界に、美しい調べが満ち溢れた。


 イトコ殿の美しい歌声に、大樹の葉がさわさわと揺れ、小鳥たちは「チッチ」と喜び合う。


 葉から滴り落ちる水滴を払い除けながら、少年は目を細め、己の懐の中で楽しそうに歌うイトコ殿を見つめる。


「イトコ殿、寒くはないですか?」

「ないでちゅ! お兄たまがいるから、へいき! お兄たまは寒いの?」

「わたしも大丈夫だよ。イトコ殿が温めてくれているからね」

「そうなのでしゅか! わたくち、お兄たまの……おや、おやくそくににたてているちゅか?」

「お役に立てているのですか……だね」

「おや、おやくにく? に、にたててる?」


 なんとも微笑ましい。

 イトコ殿の濡れた髪を撫でながら、少年はほのかに笑う。

 自分が笑うと、イトコ殿も笑ってくれた。


「……はじめてのおでかけだったのに、雨に降られてしまった。残念だったね」

「そんなことありまちぇん!」


 ぷくっと頬を膨らませて、イトコ殿は少年を見上げた。つんと尖ったちっちゃな口が、啄みたいくらいに可愛らしい。


「とても素敵なおでかけでちゅ! わたくち、こんなに大きなお空は、はじめてでしゅ! ソトノセカイというものは、オヤチキのお庭よりも広いのでしゅね。びっくりちました!」


 イトコ殿の蒼い瞳が、キラキラと宝石のように煌めいていた。


「お兄たま、こんなに大きくて、立派な木がおそとにはあるなんて、わたくちはしりませんでちた! 雨にぬれたら、とってもさむいのも、はじめて……クチュン! クチュン!」

「い、イトコ殿?」

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