【13-1】第一回東京警視庁・埼玉県警合同対策会議

2062年8月10日木曜日午後1時30分。

東京警視庁内の会議室において危険ドラッグ<Number F2>、通称<YUNA>対策に関する、埼玉県警との合同会議が開催された。


東京警視庁からの出席者としては近藤剛こんどうたけし刑事部長、土方義豊ひじかたよしとよ捜査一課長、沖田聡おきたさとし刑事部特別捜査課長の三名が参加していた。


一方埼玉県警からは、山南圭亮やまなみけいすけ刑事部長、藁科雅之たかしなまさゆき捜査第一課長、藤堂龍也とうどうたつや捜査第一課刑事、雨宮乙子あめみやおとこ捜査第一課刑事の四名が参加していた。


会議が始まると、まず近藤刑事部長が立ち上がって、「本日はご参集いただきありがとうございます」と型通りの挨拶をする。

続けて、会議に参加している警官以外のメンバーを紹介した。


「本日の会議には、我々警察官以外にも、首都大学薬学部から津田加奈子つだかなこ先生にご出席頂いています」

近藤に紹介された津田は、出席者に向かって会釈した。


「それでは早速ですが、本日の議題である新規ドラッグ<YUNA>について、津田先生からレクチャー頂きたいと思います。

先生、よろしくお願いします」


近藤に小さく頷くと、津田は前に置いたノートパソコンを操作して、正面のスクリーンにデスクトップの画像を映し出した。

その画像は正六角形を三つ繋いだ、複雑な構造式の化合物だった。


「事前に警視庁から頂いた資料によりますと、<Number F2>、通称<YUNA>というドラッグの成分は、ご覧いただいているように、トリヘキシフェニジルという薬剤の誘導体と思われます。

<Number F2>や<YUNA>という名称がどこから来たのかは分かりませんが、いずれも正式名称ではありません。

トリヘキシフェニジルは、市販されている抗ムスカリン系パーキンソン病治療薬の一つですが、資料中の服用者に現れた症状の記述から推察しますと、<YUNA>はトリヘキシフェニジルの抗コリン作用を強化していると思われます」


ここで言葉を切った津田に、警視庁の近藤から質問が飛んだ。

「抗コリン作用というのは、どの様なものなのでしょうか?」


「コリンという言葉は、アセチルコリンという神経伝達物質を表しています。

そして抗コリン作用というのは、アセチルコリンが神経シナプスや効果器側にあるアセチルコリン受容体に結合するのを阻害する作用を表します。

トリヘキシフェニジルという成分は、脳内のアセチルコリン受容体、この場合は二種類あるうちのムスカリン受容体の方になりますが、その受容体への結合を阻害することでパーキンソン病の症状を緩和することが知られています」


「度々すみません。その抗コリン作用が強化されると、どんなことが起きるのでしょうか?」

近藤からの再度の質問に、津田は小さく頷いて説明を続けた。


「抗コリン中毒の代表的な症状は、せん妄、昏睡、痙攣、幻覚、低血圧、発熱などが挙げられます。

重篤な症状に陥ると、死に至るケースもあります」


「津田先生。他の症状は分かるんですけど、せん妄というのはどういう状態なんでしょうか?」

今度は埼玉県警の山南から質問が飛んだ。


「せん妄というのは端的に言えば錯乱状態のことです。

大手術を受けた後やアルツハイマー型認知症、アルコール依存等、様々な要因で発生しますが、現れる症状は様々ですし、程度も異なります。

注意力散漫、判断力や集中力の低下、思考や気分の不安定化などは軽度の症状ですが、錯覚や幻覚などの意識障害が発生したり、攻撃的になって暴力事件を起こすような重度の症状を示すこともあります。

カルト集団などが対象者を何らかの手段でせん妄状態にして、洗脳するのに用いられることもあります」


津田の説明を聴いた警察側の参加者たちは、大きく頷いた。

その様子を見た津田は、さらに説明を加える。


「この<YUNA>ですが、非常に厄介な性質を持っています。

まずは無味、無臭で無色透明の結晶であり、非常に水溶性が高いため、水などに混入していても気づかずに大量に摂取してしまうことです。

もう一点は吸収に関してですが、口腔粘膜や鼻腔粘膜だけでなく、消化管からの吸収率も非常に高いため、服用後短時間で効果が表れるということです」


「つまり誰かが悪意を持って水に混ぜても、気づかずに飲んでしまうということですね」

土方が確認するように訊くと、津田は「そうです」と言って肯いた後、

「私からの説明は以上になりますが、何かご質問はありませんか?」

と、締めくくるように言った。


津田の言葉に会議室を見渡した近藤は、それ以上の質問がないことを確認すると、彼女に礼を述べる。

「津田先生、ありがとうございました。

引き続き会議に参加して頂いて、何か助言があればよろしくお願いします」


そして警察側の参加者たちに目を向けると、会議の議題に移って行った。

「それではここからは、<YUNA>対策についての検討に入りたいと思います。

まずはお互いの状況について、共有して行きましょう。

土方課長。警視庁側からの情報共有を始めて下さい」


土方はその言葉に頷くと、対面に座った埼玉県警の参加者たちに向かって、状況説明を開始した。


「まずは<YUNA>の拡散状況について説明します。

<YUNA>が出回り始めたのは、推定ですが今から3年前です。

そういう意味では、比較的新しいドラッグと言えます。

<YUNA>は先ず二十歳前後の若者の間で突然流行し始め、あっという間に三十代、四十代、ひいては中学生にも浸透して行きました」


「流通元はやはり暴力団でしょうか?」

藁科が質問すると、土方は彼に目で頷いて答えを返した。


「<YUNA>に関しては、暴力団の関与は、全くと言ってよい程認められていません。

ご承知のように、近年所謂いわゆるヤクザ組織は急激に衰え、それに取って代わるように半グレ・トクリュウ(*)と言われる集団が勢力を拡大してきています。

その中でも近年特に勢力拡大が著しいのは、<ファントム>という組織です」


(*トクリュウ:匿名・流動型犯罪グループの略称)


土方の言葉に、埼玉県警側から「ファントム」と反芻する声が上がった。


「その組織名は初耳ですが、勢力範囲が東京に限定されているんですか?」

再び藁科が質問すると、土方はそれに肯いた。


「そうです。<ファントム>の名前を警視庁が掴んだのは一昨年頃ですが、未だにその実態が掴めていません。

ただ分かっているのは、非常に資金力が高いということと、複数の半グレ・トクリュウグループと繋がっているということです」


「すると<YUNA>の流通元は、その<ファントム>ということなんですね?」


「実はそれもまだ、はっきりとしていないんです。

現在警視庁で検挙した<YUNA>の売人ばいにんたちは、いずれかの半グレ集団に所属しているか、その影響下にある連中でしたので、<ファントム>が繋がりのある複数の半グレ集団を介して、<YUNA>を流通させている可能性は高いと思われます」


土方の説明を聴いた埼玉県警側の参加者たちは、一様に厳しい表情を浮かべた。

<ファントム>という謎めいた半グレ集団が、俄かに危険な存在として彼らの脳裏に浮かび上がってきたからだった。


「次に<YUNA>による犯罪の実態について説明します。

先程津田先生からご説明があったように、<YUNA>には暴力衝動を掻き立てる効果があると見られます。

実際に<YUNA>服用の影響によると思われる暴力事件の発生頻度が、年々増加しつつあります。

しかし最も深刻と考えられているのは、トクリュウによる強盗事件の増加です」


その言葉を聞いた会議の参加者たちが皆、土方に真剣な眼差しを向ける。

2020年代に始まったトクリュウによる強盗被害は、年々増加して留まることを知らない。

そのことは日本の治安を預かる警察組織にとって、決して見過ごせない問題だったのだ。


「最近一年余りの間で、トクリュウによると思われる強盗事件の実行犯が十数名、事件発生直後に検挙されていることは、既に皆さんご存じのことと思います。

その犯人たちの大部分から、<YUNA>服用の痕跡が認められているのです」


土方の言葉に会議室が騒めいた。


「それはつまり、強盗犯たちの背後に、<YUNA>を扱っている連中がいるということでしょうか?」

会議の参加者を代表するように、埼玉県警の山南が土方に問い掛けた。


「断定はできませんが、警視庁としてはその線が濃厚であると考えています。

トクリュウの上位の者が<YUNA>を使って、末端の実行部隊の犯行への恐怖心を取り除き、実行させているのではないかと。

このことが頻発する強盗事件の、兇悪化に繋がっている可能性が高いと思われます」


土方の結論を聞いて、会議室が重苦しい雰囲気に包まれた。

ことの重大性に驚いているのは警察官だけでなく、オブザーバーとして参加している津田加奈子つだかなこ医師も同様だったようで、俯いて何かを考え込んでいる。


「警視庁からの報告は以上になりますが、何かご質問はありますか?」

土方が埼玉県警側に問い掛けると、それを引き取って近藤剛こんどうたけし警視庁刑事部長が口を開いた。

「もしないようでしたら、埼玉県警側のご報告をお願いします」


その言葉に肯いて埼玉県警の藁科雅之たかしなまさゆき捜査一課長が立ち上がり、県警を代表して発言する。

「埼玉県警からは、<YUNA>に関わる事件捜査に携わっている捜査員から、直接状況をご報告させて頂きます」


そう言って蓼科は臨席の藤堂龍也とうどうたつや刑事を目で促した。

それに応えて藤堂は席から立ち上がり、警視庁側の参加者に向かって報告を始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る