第1話
学園祭まで、あと一週間。
N高校の校庭から見上げた九月の空は、高くまで澄み渡っていた。陽の光が校舎の西側を斜めに照らし廊下に長い影を落としている。生徒たちは、これから始まる特別な一週間への期待で胸を弾ませていた。
2年G組の放課後は浮かれたような喧騒に包まれている。
机の上には色とりどりの画用紙や装飾用品が散乱し、生徒たちが小さなグループに分かれて相談をしている。
クラス委員の朝倉美由紀が黒板に書いた「お化け屋敷『恐怖の館』企画案」の文字の周りには、生徒たちのアイデアが次々と書き込まれていく。
「やっぱり定番の血糊は外せないよな」
男子生徒も玉木と安岡を中心に話が進んでいく。
「音響もさ、ただのホラーっぽいんじゃなくて、廃墟の不気味な音とか、細かいとこにも凝りたいんだよな」
安岡がスマホで音源を探しながら言った。
「衣装はどうする? 白い服に赤い絵の具で十分かな」
賑やかな議論の中で、窓際の席に座る広末翔太だけは、浮かない表情で校庭を眺めていた。頬杖をついて、ぼんやりと青空を見上げている。彼の机に企画書は置かれていない。
「えー、静かに」
ホームルームの喧騒を、担任である脇元の気だるい声が切り裂いた。三十代後半の脇元は、毛玉のついたジャージ姿で教壇に立った。目を細めて教室全体を見渡している。
生徒たちは慌てて席に戻り、ざわめきが収まる。脇元は手元の連絡プリントに目を落とし眼鏡の位置を直した。
「今日から学園祭準備期間に入る。悔いが残らないように、各クラス、所属クラブの出し物の準備をしっかりやること」
脇元の声は、いつものように抑揚がなく、まるで台本を読み上げているようだ。十五年間同じ学校で教えてきた彼にとって、学園祭は毎年繰り返される季節の行事だ。
「いいか、サボって帰ったりしちゃダメだぞ。去年も何人かいたけど、見つけたら一ヶ月掃除当番な」
「えー、そりゃないっしょ。あなたの可愛い生徒たちを信じなくっちゃ」
「まあ、信じておくよ」
連絡事項を告げ脇元は教壇を降りた。
教室は、段ボールや衣装、音響の話題で再び騒がしくなった。
脇元はそんな生徒たちの背中をぼんやりと眺めていた。そして小さくため息をついた。
「また、この一年の繰り返しか」
その呟きは喧騒に飲み込まれてすぐに消えた。
教室の後方では、朝倉が大きな模造紙を広げて、お化け屋敷の見取り図を描き始めていた。彼女の周りには女子生徒が数人集まって、ああだこうだと意見を出し合っている。
「入口はここ。で、最初に鏡の部屋を作って......」
「途中で突然音が鳴る仕掛けなんかどうかな?」
「最後のしかけは、やっぱり人が、わッて、飛び出してくるのがいいよね」
男子生徒たちも負けじと、大道具の制作について熱心に議論している。玉木は木材で作る棺桶の設計図を描いている。
「棺桶が開いてドラキュラが出てくるときは、やっぱ、ギギーッと軋んだような音がしないとな」
玉木がこだわりを見せると、音響担当の安岡が軽くいなした。
「それなら、棺桶が開いたとき効果音が出るようにしとくからさ」
すると玉木が顔をしかめた。
「ダメダメ、それじゃ。リアリティに欠けるんだよな、そういうの。実際に棺桶が軋んで音が出るように、木枠と蝶番に細工してみる。この棺桶はさ、木材の質感をいかに本物っぽく出すかも重要なんだ。端材で済ませられるもんじゃない」
玉木は鉛筆で設計図に強く線を引いた。
「玉木はこだわるよな、そういうとこ。まあ、気が済むようにやってくれ。周辺の効果音は任せておけって」
玉木と安岡のやり取りを耳にして、朝倉が感心したように声をかけた。
「そっちのシーンは大いに期待できそうだね。何かに真剣に取り組むって充実してて好きだな。この一週間がいつまでも終わらなければ良いのにな」
「それじゃ体がもたないだろ」
玉木がわざとらしく首を左右に振った。
しかし朝倉は彼の返答を気に留めず、活気づく教室をゆっくりと見渡した。
安岡は照明効果についても自分のこだわりを主張している。いつもは授業中に居眠りばかりしている生徒も、目を輝かせて参加していた。
そんな中で、広末だけは相変わらず一人で窓の外を眺めていた。校庭では他のクラスの生徒たちが早くも準備を始めている様子が見える。模擬店用のテントを運んだり、看板を作ったり、皆忙しそうに動き回っている。
また始まったか。
他の生徒たちは準備にのめり込むことで、逃れようとしている。
しかし広末だけは、心の奥底にしまい込んだはずのものが見えてしまう。
「広末、お前も手伝えよ」
玉木に声をかけられたが、広末は「後で」と曖昧に答えるだけだった。
脇元は生徒たちの様子をもう一度見回すと、静かに教室を後にした。廊下に出ると、他のクラスからも似たような話し合いの声が聞こえてくる。職員室へ向かう途中、彼は同僚の若い女性教師とすれ違った。
「脇元先生、お疲れさまです。2年G組はお化け屋敷でしたっけ?」
「ああ、まあね。毎年誰かがやりたがるんだよ」
「生徒さんたち、とても張り切ってますよね。いいなあ、若いって」
脇元は曖昧に笑って、「そうですね」とだけ答えた。
若い教師の眩しいような笑顔が、少し羨ましくもあった。
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