第4話 ON AIRしたら大気圏外へ飛ばされた

 俺は無重力の「マグデブルクの半球」の狭間を泳ぎ、南側にある放送部の専用スタジオ南半球へとたどり着いた。


 ドアノブを掴んで体を固定し、ガチャガチャと回す。


 ……鍵がかかっている。

 無重力空間でドアを蹴り破ろうとすれば、作用反作用の法則で俺の身体が吹っ飛ぶだけだ。


 俺はノブをカチャカチャと鳴らしながら声を張り上げた。


御堂みどう先輩! 俺です! 中にいますか!?」


 数秒の沈黙の後、扉の向こうからくぐもった声が返ってきた。


『……オレオレ詐欺?』


「こんな状況で冗談はやめてください! 開けてください!」


『ふふっ、天道くんは相変わらず余裕がないのね』


 カチャリ、と解錠音が響く。

 だが、俺がドアを引くより先に、強力な力で腕を引かれた。


「うおっ!?」


 中に引きずり込まれると同時に、バタン! と背後のドアが即座にロックされた。

 そこは、見慣れたはずのスタジオ。

 だが、漂う空気は異様に重苦しかった。


 部屋には、面食らう俺を取り囲むように、三人の男女が浮いていた。


 まず正面。

 普段は放送部の「女帝」として君臨する部長、御堂みどうカナデ。


 だが今の彼女は、天井付近で器用に座禅を組み、腕を組んで眉間に深いシワを刻んでいる。

 あの不敵な笑みは消え失せ、まるで世界の終わりを見た哲学者のようだ。


 その右隣。

 申し訳なさそうに身を縮めているのは、二年の彩木いろどりにじ

 彼女は放送部のカメラマン兼美術担当だ。


 名前の通り、ヘアピンからネイルに至るまで鮮やかな「虹色」で統一されている。派手だが、不思議と品があり、彼女の芸術的センスを感じさせる。

 今はその自慢のレインボーネイルで、むにゅっとした頬を挟んで困り顔だ。


 そして左側。俺が最も苦手とする男。


「やあ、映人。無事でよかった」


 耳元で囁かれた磁石のように甘い低音ボイス。俺の全身に鳥肌が走る。


 一番星いちばんぼし けい

 放送部のメインパーソナリティにして、全校女子の憧れの的。すでにプロの声優事務所に所属しているという、人生イージーモードのリア充だ。


 こいつは無重力下ですら、髪一本乱さず、まるでグラビア撮影中のようなポーズで優雅に浮遊していた。……なんだそのポーズ、腹立つ。


「えっと……みなさん、こんなところで何を? まだ状況が把握できてないなら説明しますけど、とりあえず制御室へ――」


「待て、映人」


 一番星が、キラキラした瞳で俺を制した。


「どうしたんですか?」


「実は……非常に言いづらいことなんだが。この異常事態の原因についてだ」


 一番星は悲劇のヒーローのように目を伏せ、隣の彩木虹が小さく手を挙げた。


「あのね、天道くん……。実は、部長が……校舎を宇宙に飛ばしちゃったの」


「……は?」


「いま、あたしたちで緊急会議をしてたところなの。他の生徒たちに会ったら、正直に自首するべきかどうか……って」


 彩木は「ううっ」と唸りながら、また頬をむにゅっと潰した。


 可愛い。つい摘みたくなる柔らかさだ。……じゃなくて。


「どういうことですか!?」


 俺は耳を疑った。

 デジャヴだ。さっき妹との間でも似たような会話をした気がする。


 この偽装宇宙船が発射されたのは、俺がパソコンの『Launch』ボタンを押したからじゃないのか?

 天井近くで座禅を組んでいた御堂部長が、カッと目を見開いて俺の前に降りてきた。

 彼女は俺の両肩をガシッと掴む。


「天道くん、聞いてちょうだい。私、とんでもないことをしてしまったわ」


「せ、先輩?」


「さっき、校内放送の時間になったから、私は『ON AIR』のボタンを押したのよ」


 部長の瞳が揺れている。


「知ってるわよね? 機材卓の端にある、あの赤いプラスチックのカバーがついたボタン。私たちは今まで、あれをただの飾りだと思ってたじゃない?」


「ええ、まあ……」


「今日、気まぐれにそれを押してみたの。そしたら……押した瞬間に、あの轟音と振動よ!!」


 横で彩木虹が「ドカーン!ってなったよね!」と両手を広げて万歳ポーズをとった。振動の凄まじさを表現しているらしいが、無重力でそれをやると体が回転して面白いことになる。


「……つまり、部長が『ON AIR』ボタンを押したせいで、俺たちは大気圏外へ放送オンエアされちゃったと?」


 御堂部長は重々しく頷いた。


「ええ。英語の『On Air』に『空へ飛び立つ』なんて意味はないはずだけど……タイミングが完璧すぎたわ。あれが起爆スイッチだったに違いないの」


 ……いやいやいや。


 そこは『Launch』のほうが遥かに有力だろう。


 だが、目の前の三人は完全に「犯人は御堂カナデ」だと信じ切っている。


 一番星が、これまた無駄にカッコいいポーズで髪をかき上げた。


「僕は止めたんだ。でも部長は、『私は逃げない。みんなに土下座して謝る』って……」


「当たり前よ! 私の指先一つで全校生徒を危険に晒したのよ!? 責任を取るのはリーダーの務めだわ!」


 御堂部長の悲壮な決意に、俺は言葉を失った。


 どうしよう。

 俺が真犯人(の可能性大)なのに、部長が勝手に罪を被ろうとしている。


 しかも、かなり感動的な空気になりつつある。


 ここで「いや、実は俺がローンチボタンを押しました」なんて言ったら、空気が読めないどころか、この悲劇のヒロイン部長の顔に泥を塗ることにならないか?


 俺の脳内で、緊急会議サミットが開かれた。

 議題:『このまま部長に罪を被ってもらうか、正直に名乗り出るか』。

 結論:『とりあえず保留』。


「……ま、まあ! 原因追及は後回しにしましょう! とりあえず全員で管制室に来てください!」


 俺は冷や汗を拭いながら、話題を強引に変えるしかなかった。

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