宝島

早瀬退化

『宝島』

「この街から船で三日ほどのところに、"宝島"があるって聞いたことあるかい ?お兄さん」


 酒屋で呑んでいると、小太りの男が話しかけて来た。口を開けば覗く朽ちた歯が、歳を感じさせる。


「いや、知らないね」


 ぶっきらぼうに返した。


「そう、無下にしないでくださいよ。兄さんや」


「どうせ、嘘の儲け話を語って、私から銭を取る魂胆だろう」


「いやいや、そんな気はさらさら、ございません」


「ならば何故、話しかけてくるのだ」


「俺は酔うと、いつも決まってこの話をするのです。年寄りの悪い癖ですな」


 私が黙ると、男は語り出した。


 俺が、その存在を知ったのは三十年ほど前のことで、当時は丈夫な身体も暇な時間もそこそこの銭もありましたから、知り合いを連れて船を出したのです。三日の航海の末に、確かにその島に着きました。


 しかし、いくら歩き回っても、それらしいものは無く、手ぶらで帰り、船の代金だけ残ったのです。街に戻って、あの島の宝はもう盗られたようだと言って回りました。それを聞いた天邪鬼あまのじゃくな輩が、「あいつらは嘘を言って俺らを騙しているのだ。宝を見つけたが、一度に持って帰れない量だから他の者に横取りされないよう、あのように言っているのだ」と笑うのです。


 それから、その輩たちが船で島へ向かい十日ほど経った頃。ある男が、街中に「宝は確かにある」と三日三晩言って回り始めました。街の者たちは皆、船が帰って来ないのは遭難したか、宝を見つけて他の街で遊び呆けているのだ。あの男は、ハブられておかしくなってしまったに違いないと噂しました。


 あれから三十年、この街の者は宝島の存在など忘れて慎ましく生きているのです。


「おっと、いけねぇ。もう店を出なければ」


 男は、そう言ってそそくさと店を出た。


 おいぼれの昔話に付き合った私は、暇つぶしにはなれど酒の肴にはならぬ話だなと、手元の酒を飲み干して店を出た。


 銭を入れた袋がないことに気づいたのは、その晩の遅くであった。スリの虚言に付き合った馬鹿な私は、なかなか寝付けなかった。


 翌朝、"宝島"の存在を思い出してしまった。


 あのスリに盗られた銭を取り返せねばと、腹の虫が収まらない。一週間の稼ぎが、あの袋にはあったのだ。


 数日の間、働けど"宝島"が脳裏を過ぎる。街の漁師に頼み込み、漁を手伝う振りをして、小型の手漕舟と少しばかりの食糧を盗んだのは、漁船が街を出て二日ほど経った朝である。


 宝が有れば良いのだ。


 私は、漕ぎ続けた。海図も羅針盤もないくせに。食糧も尽き、意識が朦朧としてきた、霧がかかった海に、"宝島"が眼前に現れた。


 口の渇きを忘れて水を求めた。歩けども歩けども、泉や滝や川は無く、倒れる寸前のところで、水溜まりを見つけた。茶色に濁ったその雨水は、どの日の酒よりも私を潤した。


 その足で、木の実などありはしないかと上を見上げる。果実がなった樹を見るなり、それを掴みちぎり頬張った。近くの果実を喰らい尽くした。


 していると、空が薄暗くなり始め、天から水が降り、風が吹くにつれ、身体の芯が冷えてきた。何処どこか雨風の凌げる場所が、ありはしないか。彷徨っていると、灯りが見えた。ちらちらと揺れるそれは火であった。一目散に駆け寄ると、何処までも暗い虚無が広がる洞窟で、焚き火をする少女がいた。不思議そうに、こちらを見る目は純粋そのものである。骨張った体躯に、身につけている布切れの黄ばみが目立つ。黒い髪は洞窟の暗闇に溶けている。


「君は、何処から来たの?仲間は?」


 ヒトの言葉を発したのはいつ以来であったか。ただ、その一瞬の回顧も虚しく、その音は辺りの闇に響くばかりであった。


 火と人間の存在に、疲れ切った頭と身体が一気に解きほぐされたのか、私は泥のように眠った。


 目覚めると少女が、私を見つめている。


「あなたは、何処から来たの?」


 耳に響くヒトの言葉に、焚き火の温かさとは比にならぬ温もりが、全身を駆け巡る。


「私は街から来たのだ」


「何のために、この島に来たの?」


 はて、私は何のために、こんなところまで来たのだろう。そうだ、宝だ。


「宝物を見つけに」


「どんなもの?」


 私は、沈黙した。


 少女は続ける。


「この島には、雨水も、木の実や果実もあるのよ」


 ここで、私は、その質問に答えるのに逡巡した。飲み水があり、食べものがあり、話し相手がいる。


 私は、彼女の手に触れる。


 少女は、その透き通った顔に微笑を飾り、問うのをやめた。


 それから、雨水を溜め、魚を捕り、彼女と暮らした。


 彼女は、少女から成長したが、毎日寝食を共にしていた私は、気づかなかった。


 私より先に眠らず、私が起きれば既に彼女は起きている。


 食事もいつも私が食べている様子を、笑みを浮かべながら見ている。


 彼女は、何か食べていただろうか?


 ある日、彼女は私に訊いた。


「宝物は見つかった?」


「見つけたと思う」


 彼女は、いつかの微笑とともに、洞窟の奥に進んで行く。


 私は松明たいまつを頼りに、追いかける。


 急に、彼女の背中が止まった。


 暗く湿った空間を、火が照らす。

 照らされた背中が、聞いたことのない音を立てながら震えている。背骨は突き出て、それを皮切りにあらゆるところが、大きくなっていく、少女であり彼女であった"何か"は、この世のものとは思われぬ異形へと変身した。


 足らぬ私は、小舟を放した朝を悔い、彼女の寝顔を見てみたかったと、この期に及んでそんなことをも思い浮かべていた。


 "それ"が大きく口を開き、私の視界は一面の黒が覆った。


 気がつけば、私は海で仰向けになって浮かんでいた。枯葉の如く。不思議と落ち着いていて、宝はあるともないとも言い切れず。


 海を漂う私を、拾い上げたのは漁船であった。

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宝島 早瀬退化 @hayase_taika

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