真っ白な敗者たち
だなしー
1年生 クラス内予選
プロローグ 鷹宮澪
夕方の風が、頬を撫でていく。
学校から帰ってすぐ、私はベランダに出た。
制服のまま手すりに両肘をついて、眼下に広がる街を眺める。
スカートの裾が、風で小さく揺れた。
最上階からの景色は、何年経っても慣れない。
オレンジ色の光が、遠くのビル群を染めている。窓という窓が夕陽を反射して、街全体がぼんやりと輝いて見えた。
私の名前は鷹宮澪(たかみや みお)、高校1年生の16歳。
家族は兄が2人。
母もいるけど、今は家にはいない。
父は……物心ついた頃には、もういなかった。
理由を聞いたことはある。
でも返ってくるのは曖昧な言葉だけで、母や兄たちの表情が少しだけ曇るのがわかった。
聞いてはいけない質問なのだと思い、私もそれ以上は口にしなかった。
母はとても偉大な人だ。
現在はハリウッドに渡り、女優として活躍している。
日本にいた頃も凄かったと兄たちから聞いている。
私と同い年くらいの頃から国民的アイドルとして活動し、やがて女優に転身。
数え切れないほどのドラマや映画で活躍していたらしい。
映像の中の母は、いつだって眩しかった。
堂々としていて、美しくて、誰よりも輝いている。
同じ血が流れているはずなのに、どこか遠い存在だった。
ここに引っ越してきたのは、小学5年生になる頃だった。
母が海を渡り、この家からいなくなったタイミングで、それまで住んでいた一軒家を出た。
荷物をまとめる兄たちの背中を、私はただ見ていた。
その後、この高層マンションの最上階に移り住んだ。
母は自分で稼いだお金を使って、街で1番高いところにある豪華な一室を購入してくれた。
私たちに、少しでも良い暮らしをさせたいと考えた上での決断だったらしい。
引っ越してきた頃は、良い眺めの場所だな〜としか思わなかったけれど、今はその偉大さがよくわかる。
こんな素敵な場所、母の娘じゃなければ絶対に住めない。
風が少し強くなって、髪が顔にかかる。
指で耳にかけ直して前を向くと、通っている学校が視界に入った。
夕陽に照らされた校舎が、妙に近く見える。
胸の奥が、ぎゅっと縮む。
学校にいる時の嫌な記憶がよみがえる。
「誰にも話さないで」
小さい頃から、母にそう言われ続けてきた。
わたしの母が、“ハリウッド女優”であることを。
母に血の繋がった子供がいることを。
先生や友達に、絶対に話してはいけないと教えられてきた。
理由を聞いたが、これも返ってくるのは曖昧な言葉だけで、真実を知ることはできなかった。
母が日本いた頃は、母のマネージャーが私の親代わりだった。
今思うと色々とぎこちない感じだったのに、よく本当の親ではないとバレなかったなと思う。
兄たちと3人で暮らすようになってからも、“絶対に話さないこと”を繰り返し聞かされた。
尊敬する母に迷惑をかけたくなかった私は、その約束を何より大切にして生きてきた。
でもそれが私にとって大きな足枷だった。
変なことを口走らないか。
余計なことを言って詮索されたりしないか。
言葉を選び、表情を作り、誰かと話すたびに神経をすり減らす。
1日が終わる頃にはいつもひどく疲れていた。
ここにいるあいだだけは、誰の目も気にしなくていい。
何も話さなくていい。
風を感じて、景色だけを見ていればいい。
私はこのベランダにいる時間が好きだった。
高校に入って半年が経った。
友達はいない。
中学の頃からずっとそうだった。
私は美人な母に似たらしい。
「可愛い。めっちゃタイプ」とか「綺麗だね」と何度も言われてきた。
おかげで男子からは何度も告白された。
下駄箱に手紙が入っていたり、放課後に突然体育館裏に呼び出されたり、LINEで急にメッセージがきたり。
でもそのせいだろう。
女子からは妬まれ、恨まれ、いつのまにか距離を置かれていた。
その頃から、いじめが始まった。
教科書が急になくなったり、下駄箱に置いた上履きに画鋲を仕込まれたりした。
1番酷かったのは、トイレの個室にいる時だった。
頭上からバケツいっぱいの水を思いきりぶちまけられた。
髪が顔に張りつき、制服が重くなって肌に貼りついた。
私はびっくりして、しばらく動けなかった。
外から笑い声が聞こえて、やがて足音が遠ざかっていく。
誰も助けてくれなかった。
束になった髪から水が滴り、床に小さな水たまりができた。
私はずぶ濡れのまま、声を殺してたくさん泣いた。
あの時期は本当に地獄だった。
学校、家、場所にかかわらず、1人の時はずっと泣いていた。
身の危険を感じた私は何を思ったのか、男子に守ってもらおうと考えた。
学年でそこそこモテていて、かつ人望がありそうな人に近づいた。
その男子はすぐに私を好きになって、付き合ってくれた。
彼にいじめられていることを相談すると、「守る」と言ってくれた。
学校ではずっとそばにいてくれた。
まるで付き合っていることを、わざと周りに知らせるように。
あの時の彼には本当に感謝している。
付き合っていることが知れ渡ってからは、妬まれることはあっても、いじめられることはなかった。
彼とは中学を卒業するまで付き合った。
高校も同じだったけれど、別れを告げた。
関係が深まるにつれて、彼のことを信頼できる人だと思うようになっていった。
でも、だからこそ怖くなった。
母と兄たちとの“約束”が脳裏をよぎった。
いつか口を滑らせてしまうかもしれない。
高校ではずっと1人でいようと決めた。
入学してから数日後、妙に熱心に気持ちを伝えてくる男子がいた。
顔はそこそこ整っていたし、友達も多そうな感じの人だった。
とりあえず付き合っておけば、いざというとき、また守ってもらえるかもしれない。
そう思い、渋々付き合うことを決意した。
でも数日後、彼が別の女子と親しげに話しているのを見てしまった。
私は浮気されたのだと思った。
すぐに別れを告げた。
その瞬間、男子も信用できないのだと悟った。
それ以来、誰かと関わることを露骨に避けるようになった。
話しかけられても、必要最低限の返事しかしない。
孤立しているという自覚はある。
でもなぜか高校に入学してから、いじめられることはなかった。
誰にも傷つけられないで、平凡に日々を過ごせた。
それで十分だと、自分に言い聞かせてきた。
遠くで電車の音が聞こえる。
街の灯りがぽつぽつと増えてきた。
空の色が、オレンジから薄い紫に変わり始めている。
ピローン
ポケットの中でスマホが鳴った。
取り出して画面を見ると、英斗兄さんからLINEが届いていた。
『今から帰る』
短い一文。いつも通りだ。
兄たちも、母に負けず劣らず凄い人たちだ。
長男の鷹宮英斗(たかみや えいと)兄さんは、財務省の官僚。26歳。
国内最難関と言われる大学を主席で卒業したらしい。
いつも穏やかで、何を聞いても的確な答えが返ってくる。
三者面談も授業参観も、忙しい中で必ず時間を作ってくれた。
きちんとスーツを着て、立派な父親を演じてくれている。
次男の鷹宮優馬(たかみや ゆうま)お兄ちゃんは、通訳。24歳。
英語がぺらぺらで、誰とでもすぐに打ち解けられる。私とは正反対だ。
友達がいないのを察してか、家ではいつも話し相手になってくれる。
何を言っても共感してくれるし、些細なことでも褒めてくれる。
2人とも私の自慢の兄だ。
母がいなくなってからは、この2人が私の親代わりだった。
振り返って、リビングにある年季の入った大きな古時計を確認する。
もう6時を過ぎていた。
「……あ、ご飯作らないと」
声に出した瞬間、現実に引き戻される。
この家の家事は、全部私がやっている。
掃除、洗濯、2人の分の夕飯作り。
料理本を読んで、栄養が偏らないよう献立から考え、丁寧に作ることにしている。
中学に入ってからは、お弁当も毎日作るようにしていた。
兄たちには「そこまでしなくていい」と何度も言われた。
でも、私はやめなかった。
2人は成人してからもこの家に残り、ずっと親代わりをしてくれている。
生活費は全部、兄たちが出してくれている。
私は少しでも2人の役に立ちたかった。
だから家事を全部やる。
それが、私にできる唯一の恩返しだから。
最後にもう一度だけ街を見下ろした。
さっきより灯りの数が増えている。
夜が近づいている。
手すりから両手を離し、部屋に戻った。
私はリビングへ戻り、冷蔵庫を開けた。
ひんやりとした空気が、顔に当たる。
今夜のメインは、豚の生姜焼きにしようと決めていた。
最近、優馬お兄ちゃんが疲れが取れないとこぼしていたからだ。
疲労回復にいいと料理本に書いてあった。
副菜は、英斗兄さんが好きなポテトサラダ。
汁物は……ねぎとわかめのスープにしようか。
エプロンを手に取り、首にかける。
紐を制服の後ろで結びながら、明日のことを考えた。
明後日から始まる文化祭。
そこで行われる投票イベント。
女子生徒が全員参加して、No.1を決めるらしい。
明日はそのクラス内予選が行われる。
告知を聞いた時、胸の中で何かが小さく動いた。
私は何者でもない自分を変えたかった。
偉大な母や兄たちと比べて、何の取り柄もない普通の自分が嫌だった。
でも……もしこのイベントでNo.1になれたら。
何者でもない私が、何かになれるかもしれない。
変わりたい。
私はずっと何かにチャレンジすることから逃げてきた。
でも本当は、このままじゃ駄目だとわかっている。
投票イベントがどんな内容なのかは、まだ知らない。
でも昔、優馬お兄ちゃんから、大学のミスコンというものについて聞いたことがあった。
可愛い子が集まり、容姿でNo.1を競うイベントだと教えてくれた。
今回の投票イベントは、それと似たようなものだとすぐに思った。
もしかしたら……
そんな小さな希望が、胸の奥にあった。
期待と不安が混ざり合って、心臓のあたりがざわざわする。
きっと何も変わらないかもしれない。
失敗するかもしれない。
でも、もし変われるなら……
私も、何者かになれるかもしれない。
変わりたいという気持ちは、胸の奥で静かに灯っている。
消えないように、誰にも気づかれないように。
大事に抱えながら、私は包丁を手に取った。
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