魔法と魔人と王女様 ― 王女様が持ってきた空飛ぶ魔法と願いをかなえる魔人、僕から見るとちょっとチートすぎる
月立淳水
プロローグ
■プロローグ
――千年間、地球は宇宙人に支配されている。
なんてことを言うとまた頭の固い友人たちに笑われそうだけど。
高校二年の秋の考査が終わって、川沿いの土手道を一人で歩いていると、ふとそんなことを考えてしまう。
西の空には色を濃くしつつある雲がなびき、きっときれいな夕焼けになる――その茜色を背景に、何機もの灰色の宇宙貨物船が、白い飛行機雲をたなびかせながらゆっくり飛んでいる。
あの船に乗っているのはきっと、ずっと昔に地球を捨てた宇宙人たちばかりで、時々地球に来ては地球では枯れた資源を高値で売りつけて帰っていく。
地球人のほとんどは、あそこには届かない。ずっと日常の地表を這いずる人生。
そして、それは、日常に縫い付けられた僕そのもので。普通の高校で普通の友達と普通の考査を受けて普通に居眠りして普通に――。
だから僕はたった一人、わざと地下鉄を使わず、妄想の中に非日常の刺激を求めて、延々と続く土手道を歩く。
――こんな日常、壊れてしまえばいいのに。
――
――
「あなた、この辺の人?」
はっと顔を上げる。
妄想の視界が突然現実に戻ってくると、『それ』は否応なく僕の目に入った。
金色の腰まであるストレートの長い髪に白い花をあしらった大きなリボン。
オレンジのシンプルな縁取り模様が少し施されただけの真っ白なぴったりとしたスカート丈の短いワンピースに、これまた白に金色装飾のロングブーツ。腰には白いホルスターのようなもの。
端正な顔立ち。左右対称のパーツ、大きな目の中にはブルーの瞳。
まるで、灰色の世界にそこだけ鮮やかな絵の具をぶちまけたような。
ちょっと小柄な体つきは、たぶん僕より少し年下。
たぶん土手の向こうから駆けてきたのだろう、少し息を弾ませた彼女は、どうやら僕に話しかけているようだった。
「この近くにテイトホテルってあるでしょ、どこ?」
と、僕が場違いな美少女の登場に戸惑って何も言えずにいるうちに、彼女はやけに高圧的な態度で僕に尋ねる。
「あっ、えーと、帝都ホテル? 日比谷……って言えば分かるのかな、えーと、それとも東京?」
とにかくそれは僕の知る知識だったので、僕は答えた。
それは、この地域がかつて帝室を頂く国だったころに創業した格調高きホテルの名だったから。歴史家を目指す僕にとっては必修科目。
「そ。どっち?」
彼女はそっけなく聞きながら、もう体は土手のどちらかに向かって駆けていこうと答えを待っている。
でもそれは無理じゃないかなあ。
なにせここ横須賀から日比谷までは50km以上ある。
「……念のため聞くけど、どうやって行くつもり?」
「この国じゃあちこちにIDのパブリックスキャンがあるんでしょ? かからないルートがいいわね」
僕の問いを盛大に勘違いしながら、彼女はさらに勘違いなことを口にする。
――パブリックスキャンに引っかからない?
それはまるで犯罪者の思考。
僕の怪訝そうな視線から何かを察したのか、彼女はすっと姿勢を正して、僕に正対した。
「……申し遅れました。私はセレーナ。セレーナ・グリゼルダ・グッリェルミネッティ。エミリア王国国王第一息女、第一位王位継承権者の身分にあります。お疑いのこととは思いますが、どうか、案内をお願いします」
王女様、きたー。
心の中で脱力しながら、彼女の素性を推測する。
確かにこの辺ではあまり見ない金髪碧眼、どこかの王女様と言われても分かる気がするけれど。
それよりも、妄想に取りつかれたちょっとアレな女の子だと言われた方が説得力がある。
けれど僕の中の偽善者と破壊者とほんのちょっとの下心が、少しくらい手伝ってあげてもいいんじゃないかなんてことを訴えている。
「パブリックスキャンにかからないなんてことは不可能だよ。駅も道も、タクシーの車内でさえ、パブリックスキャンは張り巡らされてる。IDはごまかせない」
全く想像もできない謎の技術、ID。
もちろんそれが身分証だというのは確かなんだけれど、『本当に本人が持っているかどうか』を判別できる。指紋だの脳波だの遺伝子組成だのをいじくっても無理、何かそういうのとは根本的に違う仕組みらしい。それを、僕らは生まれたときからその身のそばに置いて暮らしている。だから、それをごまかすなんて不可能。
「……もし方法があるとして、あなたに協力してもらえばできるとしたら?」
「それはその……何とも言えないけど」
「急いでるの。ダメならダメでいいから」
そしてこんな感じで手当たり次第に協力を求めていろんな人に声をかけて歩きいずれ騙されて――
そんな想像をしてしまうと、僕の中の偽善者が一気に勢力を増す。
放っておいたら――彼女のその後を想像して何年も後悔しそうな気がしてきた。
「……危ないことにならないなら」
その未来の後悔に突き動かされて、僕は曖昧ながらも肯定的な返事をした。
「ありがとう! どっち?」
「日比谷までは50kmもあるから、地下鉄」
「地下鉄……じゃあその、できたらヒビヤまでお願いできるかしら」
地下鉄の方を指して先に立って歩くことにした。美少女は斜め後ろをついてくる。
そして歩きながら、こっそりと、自宅で小料理屋をやっている親父にヘルプ要請。
『ヘルプ急募。謎の金髪美少女に絡まれた。自称王女様。東京まで案内希望、ちょっと頭をアレしてるかも。病院からの脱走疑い。放置危険』
メッセージを送りながら、たずねる。
「……日比谷まで? どうして」
「アンチスキャン使うの」
……。
違法なやつー!!
いや、正確には違法じゃないけど、いずれにせよアングラな人たちの道具だ。
聞いたことだけはある。ID自体を偽造するのは無理でも、スキャンを防ぐためだけなら簡単だってこと。他人のIDを身代わりにする。他人=僕が近くにさえいれば大丈夫ってやつ。
その時、ポケットの端末が通知バイブを送ってくる。
『刺激厳禁。絶対逆らうな。心当たり連絡する。費用補填心配無用』
「危ないことにならないって、なんだろ……」
思わず肩を落としてため息をついていると、彼女がクスッと笑った。
「大丈夫! あなたはちょっとヒビヤに一往復しただけの人ってことになるから」
まあ、いいや。せいぜい東京往復、二人で2クレジット、後で親父からお小遣いもらって埋め合わせて。
手を差し出す彼女に僕がID――ちょっと厚みのあるプラスチックカード――を渡すと、彼女は簡単なIDケースのようなものに僕のIDに差し込む。見ると、もう一枚のID――多分彼女のID――がその裏に忍ばされている。
ちょっとした非日常に胸をときめかせている自分に戸惑いながら、僕は彼女の案内を始めた。
***
「大崎純一。ジュンイチでいいよ、君のことはセレーナと呼んでも?」
地下鉄の入り口が見えたころ、そろそろ、あなただの君だのと呼び合うのが嫌になって、僕は言った。
「……ジュンイチ、礼を尽くせとは申しませんが、念のため申し上げておきますと、私は第一位王位継承権者の身分にありますので」
「……殿下(ユア・ロイヤル・ハイネス)、とでも呼べば?」
なんだか遠回りに敬語くらい使えと言われたような気がして、ちょっとむっとしながら答える。
「いや、そういうわけじゃ……」
「うーん、そういうわけに聞こえちゃうんだよなあ」
僕はポロっと本音を漏らしてしまった。
すると、左後ろを歩いていた王女様から、ただならぬ気配。
振り返ると、眉をひそめた苛立ちの表情と目が合った。
「……ねぇ」
彼女が切り出す。
「今確信したわ。あなた、何も信じてないわね、私の言ったこと」
僕は肩をすくめただけで答えた。
「……面白い? ねえ。本当に困っている人を前に、その人の言葉を信じたふりをして、助けるふりをして、結局そんな気なんて全然なくてからかってるだけよね」
「じゃあ他を当たれば?」
僕が言うと、彼女――セレーナは、少し下唇をかみしめた。
そりゃ寝覚めは悪くなるかもしれないけれど、だからって妄想に付き合わされて下手すりゃ臣下の礼までさせられかねないほどの屈辱を受ける謂れはない。別にここからまた路頭に迷ってどこへでも行ってしまっても、僕は一向に困らないんだから。寝覚めは悪くなるけど。大切なことだから二度言ったけど。
「……分かったわ。ごめんなさい。私が王女ってのは嘘。私は家名も持たないゴミクズみたいな平民のセレーナ。その辺の道で迷ってるだけのただの無力な子供。だったらいい?」
その彼女の態度は、僕にとってはとてつもない違和感。
なぜって、自らを無力な子供、と言うその姿が、あまりに凛と立っているから。
ただの子供に、こんな顔ができるだろうか?
「……なら、いい。よろしく、セレーナ」
僕は、彼女の言葉を認める口調で答えながら、心の中では半分屈服しかけていた。
そのことがまた、僕の心を少し苛立たせる。
とびきりの美少女と縛られた日常からの逃避行、そんな夢のようなシチュエーションと、イラつく僕。
なんてことはない。すっかり日常に飼いならされてるのは、僕自身。
「よろしく、ジュンイチ。じゃあ、どうする? ここからヒビヤまで、何分くらい?」
なのにセレーナは、さっきの不機嫌などミリ秒で吹き飛ばして、笑顔でそんなことをいう。
「途中で特急に乗り継いだとして、……えーと、……一時間かな」
たかが東京までの時間さえ即座に口から出てこないのが、僕。
「一時間……」
地下に下りるエスカレーターに乗り込みながら、セレーナは落胆に近いため息とともに、復唱した。
「列車のチャーターなんてことはできない?」
「列車の……チャーター?」
聞いたことがないでもないけれど、何か月も前から予約を入れて輸送網じゅうのダイヤを調整して、何より莫大なクレジットをかける必要がある。
僕のその表情を読んだのか、
「あることはあるのね」
セレーナはそう答えて、エスカレーターを下りた。
その先には、改札代わりのパブリックスキャンだ。
僕のIDに同伴者情報を追加しなきゃ、と思っていると、彼女は特に何もせずにそこをくぐった。僕もそれに続く。特に呼び止められもしない。どうやら彼女のアンチスキャンは、その辺のことは本当に勝手にやってしまったようだ。
そのアンチスキャンが本当に機能したことで、僕は、彼女が本物かもしれない、という思いをもう少し強くする。もし入院患者なら、そんな危険なおもちゃを持っていられるわけがない。
「乗り継ぎってことは、どこかで大きな線路にぶつかるのよね、どの辺?」
セレーナが突然問うてきたので、
「横須賀駅」
僕はぶっきらぼうに答えた。彼女はそれを聞いて、軽くうなずく。
「この辺で地域全体の電車止めると、どのくらいの補償金がいるのかしら」
補償金……つまり、損害賠償のことかな。一編成止めるくらいならさほどではないと聞いたことはあるけれど、もし何時間もダイヤを乱れさせてしまうから、
「百万クレジット以上は取られるかな、下手すると一千万」
ちょっと誇大目に僕は答えてみた。いや実際、南関東の電車を全部乱れさせれば、一千万も夢じゃない。夢ってなんだ。
ともかく、時々プリン好きの友人におごる贅沢プリン二千万個分を吹き飛ばせる大金が、電車を止めるだけで吹き飛ばされるわけだ。
「なんだ、そんなもん?」
しかし、セレーナが予想外の言葉を発した。
そして彼女が言ったちょうどそのとき、僕らの足はプラットフォームに着く。この時間の電車はあまり多い方じゃないから十分くらいは待つかもしれない――と思っている僕の前に、すぅっと磁気浮上車が一両、滑り込んできた。
『ただいま到着の車両は、オオサキ・ジュンイチ様貸し切りとなります。ご迷惑をおかけしますがその他のお客様は一歩下がってお待ちください』
その行先表示板に光る『貸し切り』の文字。
僕が目を点にしていると、すぐに、僕の端末の小さなバイブレーターアラームが鳴る。
『緊急の地下鉄運行情報:東京・横須賀間のすべての列車、二時間の運転見合わせ。原因は非開示』
その表示に、僕はひっくり返りそうになった。
チャーターした。
何をどうやったのか分からないうちに、彼女は、僕の名前で、たった一両とはいえ、列車をチャーターし、東京横須賀間の全路線を止めてしまった。
ざわめいていた駅が、突然しんと静まり返る。
「ん……いや、悪いとは思ってるわよ、でも背に腹は代えられないもの。もう補償金の決済は済んでるから、それで勘弁して」
僕の驚愕の表情を何か読み間違えたのか、セレーナはそんな弁明をする。
「……君が?」
「うん、まあそうだけど……あっ、そうよね、たしかにあなたのIDに私のクレジット付け替えて無理に押さえちゃったから、変な記録残っちゃうわね。そこは謝る。ごめん」
謝るところそこじゃないです、というツッコミは口から出てこない。
いや、さらっと肯定してくれたから、彼女の仕業だとは分かったんだけれど、いろいろと分からないことだらけで――僕は、ぼうっとホームに立っていた。
「……どうしたの、行くわよ」
完全に主導権を握られる形で、僕はその列車に手を引いて連れ込まれる。
――後から思えば、僕がセレーナに初めて手を触れたのは、この時だった。
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