第4話 時空保存会の影

 ​中庭の石碑のそばに隠されていた入り口は、蔦に覆われた古いメンテナンスハッチだった。アヤメが小型の電子ロック解除ツールで操作すると、ハッチは鈍い音を立てて開いた。


​「急いで。彼らにここを特定される前に」


 ​二人は急いでハッチの中へ滑り込み、重い蓋を閉めた。内部はコンクリート打ちっぱなしの、細く急な階段になっていた。湿った空気と、地下特有の埃っぽい匂いが鼻を突く。

 ​階段を降りる間、上階から複数の足音が聞こえてきた。保存会の工作員たちが、ハッチを探している音だ。


​「この先は、1000年前の祭祀場の地下構造と、現代の大学のデータセンターが複雑に絡み合っているはず。アンカーは最深部よ」アヤメは懐中電灯で足元を照らしながら言った。

 ​暗闇の中、ヒロトはアヤメの手を握りしめた。


​「アヤメ。俺たちを追っている奴らは、何が目的なんだ? 世界を救うとか、そういう大義名分を本当に信じているのか?」


 ​アヤメはため息をついた。


​「彼らは信じている。自分たちが**『時間保存則の守護者』だと。私たちの悲劇的なループを終わらせることは、彼らにとって世界の法則そのものを破壊する『大罪』**なのよ」


 ​彼女は立ち止まり、ヒロトに向き直った。


​「彼らの主張には、一理あるのよ、ヒロト。ロープ状の時空間に、未来から情報という『エネルギー』を送り込み、過去の出来事を書き換えるのは、本来あってはならないこと。もし私たちがループを破り、過去を改変すれば、その影響で別の時代の安定性が崩れ、**『大パラドックス』**が発生する可能性がある。彼らは、それを恐れている」

 ​ヒロトは戸惑った。彼らが自分たちの愛と自由のために行動していることが、世界を危機に晒す可能性があるというのか。


​「つまり、俺たちがループから抜け出したいという個人的な望みは、彼らにとって**『世界の安定のための犠牲を拒否する行為』**だということか」

​「そういうこと。彼らにとって、私たちは、永遠に続く悲劇の周回を演じ続ける**『必要なアンカー』**なのよ」

 ​階段を降りきると、そこは崩れた石壁と錆びついた金属配管がむき出しになった、迷路のような空間だった。古代の遺跡と現代の配線が混在している。

 ​ヒロトが先導し、デジャヴュの感覚を頼りに進んだ。崩れた石壁の隙間、錆びたパイプの裏。初めて来たはずの場所なのに、なぜか次に曲がるべき角や、踏み外してはいけない場所が手に取るようにわかった。

​(これは、何度もこの迷路を通り抜けた、過去世の俺の記憶だ……)

 ​その時、後方から声が響いた。

​「止まれ! 時空保存会の警告を無視するな!」

​ 保存会の工作員、数名が追いついてきた。彼らは銃器のようなものは持っていないが、手にしているのは、特殊な周波数を発生させる**「時空安定器」**のようなデバイスだった。

​「あれは、私たちの記憶を強制的に消去し、ループの初期状態に戻すための装置よ!」アヤメが叫んだ。

​ヒロトは反射的に、過去世の記憶に従って、左手の壁に隠された隠し通路を押し開けた。そこは、小さな縦穴になっていた。

​「ここだ! 飛び降りろ!」

​二人は一瞬躊躇することなく、縦穴へ飛び込んだ。背後から安定器の作動音が響く。

​縦穴を滑り落ちた先に、二人は小さな部屋に転がり込んだ。部屋は古代の石室のようだったが、中央には、ネットワーク機器が置かれた古いサーバーラックが一つだけ立っていた。

​「ここよ。このサーバーラックの深部に、アンカーが隠されている」アヤメが息を整えながら言った。

 ​アヤメはすぐにサーバーラックに向かい、解析端末を接続し始めた。ヒロトは入口を警戒する。

​その時、通信機から声が響いた。保存会のリーダー、カシワギの声だ。

​「ヒロトくん、アヤメくん。やめておけ。君たちの愛は偽りだ。君たちが惹かれあうのは、アムネシアが送った情報による、過去世の刷り込みに過ぎない」

​カシワギの声は、ヒロトの心を深くえぐった。

(本当にそうなのか? 俺がアヤメに惹かれるのは、自由意志ではなく、プログラムされた運命なのか?)


 ​ヒロトは混乱し、アヤメの方を見た。アヤメは解析に集中している。


​「嘘だ!」ヒロトは通信機に向かって叫んだ。「たとえ始まりが偽りでも、ここでアヤメを愛している俺の感情は、今、本物だ!」

​「その『本物』と信じる感情こそが、最も危険な刷り込みだ。君たちがループの法則から外れようと試みるたび、君たちの魂には新たな『カルマ』が積み重なる。その業は、未来永劫、君たちを苦しめる」

 ​カシワギの言葉は、まるで宗教的な呪文のように響いた。ヒロトは、ロマンスと哲学的な葛藤の板挟みに遭った。愛を貫けば、世界を破滅に導き、魂には業が刻まれる。諦めれば、永遠に偽りの運命に縛られる。

​「ヒロト! 見つけたわ!」

 ​アヤメが叫んだ。サーバーラックの奥、石室の壁に掘られた祭壇のような窪みに、アムネシアのエネルギーの源泉たる**「アンカー」**が鎮座していた。

 ​それは、古代の神殿に収められていたかのような、宝石のように光る円盤だった。円盤は微細な振動を続け、目には見えない周波数を放っている。


​「あれが、1000年の因縁を作り出した元凶……」

 アヤメがアンカーに手を伸ばした瞬間、背後の通路から保存会の工作員たちが飛び込んできた。

​「動くな! アンカーを起動させるな!」

​ヒロトはとっさにアヤメを庇うように立ち塞がった。工作員の一人が時空安定器を作動させようとする。


​「アヤメ! 早く!」


 ​アヤメは解析端末をアンカーに接続し、消去コードを準備した。しかし、彼女の視線は、目の前で身を挺して守ろうとするヒロトに向けられていた。


​「ヒロト……私たちには、愛を証明する時間が、まだ必要よ」


 ​アヤメは一瞬の判断で、消去コードではなく、一時的なアンカーの停止コードを起動させた。

 ​円盤の振動がピタリと止まる。そして、室内の空気が一瞬で重力から解放されたかのように軽くなった。工作員たちの動きが止まる。


​「逃げましょう! 彼らの安定器が再起動する前に!」


 ​アンカーの停止により、周りの時空の歪みが一時的に緩和された。二人はこのチャンスを逃さず、アンカーを破壊するための時間と、自分たちの愛が偽りではないことを証明する時間を稼ぐため、再び闇の中へと走り出した。

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