チートは無くとも魔術は楽しい─言葉を話せない神のせいでチート無しでの異世界転生─

蒼月地蔵

転生

転生 

 夕日も落ちた薄暗い車道の上で、信号のない横断歩道を歩いていた少女を僕は反射的に押しだしていた。

 薄暗くなり始めていたこともあり歩行者が見えていなかったであろうトラックに、明らかにトラックが迫っていたにも関わらず横断歩道へ出ていった少女と、動かなければ目の前の惨状を見るだけで済んだであろう僕。

 だがなぜか体が動いてしまっていた。

「え」

 驚いた顔で歩道に尻餅をつく少女と目が合う。

 瞬間、世界がゆっくりになった。

 スローモーションの中視線をトラックの方へと向ける。

 耳を劈くクラクション、眼前にトラックのフロント部分が迫る。

 どこか他人事の中、僕の記憶はそこで終わった。

 ──

「……ん」

 留須木 二緒トメスキ ニオは目を覚ます。

 目を開いた二緒はゆっくりと体を起こし周りを見る。

 真っ白だった。

 光源のない、だがまるで昼間のように明るい真っ白な空間に一人座っていた。

 二緒は首をかしげる。

 トラックに轢かれた記憶が最後の記憶だったからだ。

 ゆっくりと立ち上がり部屋全体を見渡す。

 何もない、本当に何もない空間だった。

 何故こんなところにいるのだろう、なんて思っている二緒の視界の先に歪みが生まれた。窪みのような歪みはそれはどんどんと大きく広がっていき、瞬く間に穴へと変貌した。

 何もなかった白い空間にぽかりと空いた穴。

 黒々としたその穴は成人男性の平均身長ほどはある二緒よりも大きく、穴の頂点を見ようとすれば見上げる必要があるほどの大きさだった。

 何が起きているのか分かっていない二緒は、目の前にできた穴を怪訝な顔で見つめ、「……なんだこれ」と声を漏らした瞬間。

 黒い穴の奥からずるりと指が這い出る。

 人間の指に酷似してはいたがそれは明らかに

 まるで死体のように青白く血色のないその指は赤ん坊の腕程もあったからだ。

 その深淵の穴から手首が出てきたことで、先ほど現れた指が人差し指だと理解した。

 現れたその手は、歪みの淵を握る。

 二緒よりも遥かに高い歪みの位置を握ることで、二緒の脳内で徐々に手首の持ち主の姿が補完されていく。

 だと、二緒は理解わかってしまいぺたりと尻をつく。

 呼吸は荒くなり、瞬きが増え、乾いた喉を少しでも湿らそうと唾液を飲み込む。

「……な、なんだ、よ……」

 震えた声が喉の奥からかすかに出た。

 二緒の虹彩に映ったのは、青白い頭部のない人型のなにかだった。

 姿形は人型だった。

 腕は二本、足も二本。胴体も鍛えている人間のように腹筋や胸筋が盛り上がっている以外は人間と変わらない。

 だがミケランジェロのダビデ像ほどはあろうかというサイズ、色白を通り越した完全な死人色の体色、そして何よりも本来であればなければならない頭部の部分には何もないその姿は、二緒を恐怖させるには十分すぎた。

 それは穴から出た後、空間の床を見るように背を丸める。

 まるで二緒の方を見るかのように。

 何もないのにも関わらず、何故か視線を感じる二緒は歯をカチカチと鳴らしながら、震える腕と足で少しずつ後退りしていく。

 目を見開き、「く、くるな、くるな……」とずりずりとそれから距離を出来るだけ離そうとしていた。

 それは両手を二緒へ手を伸ばす。

「あ、あぁ、あぁぁ……」両腕で顔を覆い、守る体勢になった二緒の眼前で手を止めると、手をくるりと返しまるでカーテンを開くように、何もない場所を握りしめた。

 そのままぐぐぐと開く動作と共に、先ほどそれが出てきた穴──と言ってもサイズは小さく普通の人間サイズ──が二緒の目の前に現れた。

 それはその穴から手を離すと、一つ分離れた空間を再び握り、開こうとする。

「……?」痛みを覚悟していた二緒は恐る恐る薄目を開けて顔を覆っていた両腕をゆっくりと下ろす。

 二緒は目の前にある、穴を見た。

 何もない深淵に見えていたが、じっとよく見ればそこには村が写っていた。転々とあるレンガ作りの家。その脇には野菜畑があり、さらに少し離れた場所にある柵で囲われた中には少し見慣れない豚の様な何かを飼育しているようなそんな平和な風景が。

 二緒は少しだけ穴から視線をずらし、それの方を見る。

 空間を掴み広げながら、二緒の方を見ていた。

 二緒はぱっと視線をずらし穴の方へと視線を戻すと、穴へと勢いよく飛び込んだ。

 穴の中はどこまでも真っ暗で、だが地面はあった。

「あ、あんなのと一緒にいるよりましだろ、これの方が」

 二緒はそんなことを呟きながら顔をひくつかせ、笑みのような顔を作る。

 背後の入ってきた穴をちらちらと見ながら二緒はよたよたと穴の奥へと前進していく。

 しばらく歩いた二緒は改めて背後を見た。

 それが追ってきていないことに安堵して、ふうと大きく息を吐いた瞬間、二緒は眠気に襲われた。

 それも強烈な、抗えないほどの強さの睡魔に。

「な、なんだ……?」

 体から力が抜けがくっと膝をつき体が真っ暗の床でどさりと体が倒れ込む。

 膝が勝手に腹へと吸い寄せられ、背中が丸められた。

「な、なんで、どうなって……」

 そのまま二緒は落ちていく瞼に反抗できず、瞳を閉じた。

 ──

「チート付与出来なかった?」

 白い空間の中で、純白の翼を背から生やした男が、肩をすくめたそれを見ながら苦笑いを浮かべる。

「なんでそんなことなったんだよ?」

 それはそっと人差し指で自身の無い頭を指差す。

「あーそういやこないだの飲み会の一発芸で、『頭のないガネーシャ先輩やります!』とかやって居酒屋で頭忘れてきたんだっけ?お前も馬鹿だなー。

 ……何?だからとりあえずいくつかの選択肢の入り口を作って、俺を呼ぼうとしたのに人間が勝手に入って行っちゃった?

 お前がその入り口作る前に、先に俺呼んどけばそうはならなかったのに。

 というか人語を話せないせいで人間にビビらせて、説明もなしに異世界に転生させるってお前、晒し上げ案件だぞ。

 とりあえずさっさと頭取りに行けお前は」

 男は呆れたように言うと体を伸ばし、「まぁ人なら逞しく生きてくれんだろ。頑張ってもらおうや」と欠伸をする。

「俺もわざわざ上に報告はしねーからお前もバレねえこと祈っとけよ。

 っと、トイレって抜けてきてんのに、流石に話しすぎたな。仕事終わったらお前の頭取りに行くついでに飲もうや。じゃあな」

 男はそれに背を向けるとふっと姿を消した。

 ──

 太陽が燦爛と輝く青空の下、褐色肌の黒髪を短く切り揃えた男はナイフを手に畑にいた。

 ツヤツヤとしている紫色の表皮をしたナスを指でなぞり、頷いた男はヘタの上へナイフを当て、切り取る。

 そのままぽいっと背負っていたカゴへと放り、ふうと息を吐いた。

 立ち上がった男はそのまま、畑から出るとそのまま畑の脇にあるレンガ造りの家へと向かう。そこが彼の家だった。

 彼の名は──ティガルダ・フォック。村で農家をやっている男だ。

 ティガルダは家に入ると、玄関の脇に背負っていたカゴを置き、台所へと向かう。

「ただいまアクータ。やっと一段落ついた、昼出来てる?」腰まであるブロンドの髪をゆるく結んだ女性、ティガルダの妻である──アクータ・フォックにそう声をかけた。

「お疲れ様。もう出来るわよ。

 あ、あなた帰ってきて早々、悪いんだけどニオ呼んできてくれない?川辺で遊んでると思うから」

 鍋を混ぜながらアクータはそう返す。

「よしわかった」

 ティガルダは頷き、家を出た。

「暑いな……」なんてティガルダはぼやきながらそのまま近くの川まで歩いていくと、緩やかな川辺で男の子と女の子が楽しそうに二人で水を掛け合っているのがティガルダには見えた。

「いたいた。おーい、ニオ、パトルちゃん!」

 二人はティガルダの声に反応し、そちらを見た。

「あ、父さんどうかしたの?」

 父譲りの黒髪の少年、──ニオ・フォックは目をティガルダへ向ける。

 ニオの隣にいた、綺麗な金色の髪を腰辺りまで長く伸ばした上等な布のワンピースを身につけた──パトル・パラセルは、それに倣うように視線を向けた。

「昼出来たから呼びに来たんだ」

「あーそうなんだ。じゃあ帰ろうかな」

 先に川から出てきたニオは、川から出ようとするパトルに手を差し伸べながらそう言った。

「そういやパトルちゃんご飯まだだろう?良かったら食べていくといい」

「え、え?で、でもその……あの……」

「こないだニオがパトルちゃんの家でおやつをご馳走になったって言ってたしお返しさ。うちのアクータが作る野菜スープ美味いよ」

「そうそう、母さんの野菜スープはとても美味しいんだ」笑顔を浮かべるニオとティガルダを見て、パトルは遠慮がちに頷いた。

「よしじゃあいこうか」

 頷いたパトルを含めた三人はフォック家へと向かう。

 がらっと玄関の扉を開けるとアクータが玄関に立っているのを見て、「母さんただいま」とニオ、「あ、あのお、お邪魔します」とパトルが口を開く。

 アクータは「おかえりニオ。それといらっしゃいパトルちゃん」と返事を返して「はい一旦ストップ」玄関へあがろうとした二人に待ったをかける。

「この暑さだし多少乾いてはいるけど服完璧には乾いてないでしょ?」

 二人の服は水で肌に張り付いていた。

 滴り落ちるほどではないが、座ったり服に当たった物が濡れる程度には濡れていた。

 アクータはすっと

 突然風がアクータの手のひらから発生した。

「わぁ!」「きゃあ!」

 と驚いた声をあげる二人へ、服がばさばさとなびくほどの風が当たる。

 数十秒後、腕で顔を抑え目を瞑っていた二人に「はいオッケー。これで乾いたでしょ?」とアクータの声がする。

 恐る恐る腕を離した二人の服は水気が飛んでいて、綺麗に乾いていた。

「ほらみんな手洗ってきなさい、皿の取り分けしておくから」

 アクータは微笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る