謀攻の代償

梅酒はロック

第1話 開戦の秋、日本を分かつ三つの渦


1894年8月~9月上旬 東京・広島、そして黄海の波濤


東京の熱病:平次郎の亢進する心と愛国の具現化

明治二十七年八月、東京の日本橋界隈は、連日の暑さにもかかわらず、沸騰するような熱気に包まれていた。輸入商社「大黒屋」の中堅社員、 平次郎 (35歳)は、店の外の街路で、号外を読み上げる人々の群れに加わっていた。 「見ろ、平次郎さん! 今朝の新聞だ! 平壌への総攻撃が始まるぞ!」 同僚の吉川が、興奮した声で囁いた。平次郎は若者たちのように無邪気に騒ぐことはなかったが、その胸は静かに、しかし力強く高鳴っていた。彼は明治の世を30年以上生きてきた大人として、この戦争が単なる「国策」ではなく、自身を含む日本の全ての市民が参加する、「日本の新しい歴史」**の創造行為であると感じていた。

豊島沖海戦の勝利以来、彼の生活は一変した。以前は、藩閥政府と民党の対立、そして重税への不満が主要な話題だったが、今や全ての議論は「勝利」と「愛国」に収束していた。


戦時公債という「奉公の証」

平次郎にとって、最も具体的な愛国の具現化は、戦時公債の購入であった。

彼は、給料のほぼ全てを注ぎ込んで公債を購入した。これは単なる投資ではない。それは、銃を取らない市民が、「御国に奉公している」という精神的な充足感を得るための儀式であった。

「我々市民は、兵士の血と汗に報いなければならぬ。公債を買うことで、我々は銃後の守りを担い、勝利を支えているのだ」

平次郎は、そう語ることで、故郷の村の貧しい生活や、徴兵で働き手を失った農家の苦難という、戦争の「負の側面」から、意識的に目を背けることができた。彼にとって、「愛国心」は、不満や矛盾を消し去るための、精神的な解毒剤として機能していた。


新聞報道の絶対的な信仰

当時の新聞は、軍の発表を鵜呑みにし、清国兵の残虐性や規律の無さを誇張する一方で、日本軍の行動を「人道的」「文明的」なものとして徹底的に美化した。

平次郎は、その報道を絶対的に信じた。彼は、黄海海戦で日本が勝利したという報を受けた際、その感激を抑えきれなかった。

「アジアの巨艦『定遠』『鎮遠』を打ち破っただと! これは、単なる軍事勝利ではない。これは、日本の工業力、技術力、そして教育が、清国の旧態依然とした体制に勝った証明だ!」

商社の社員として、西洋文明の恩恵を受けている平次郎にとって、この海軍の勝利は、近代化こそが正義であるという彼の信念を確固たるものにした。彼の心には、「日本はアジアの『文明の盟主』として、遅れた清国を指導する義務がある」という、強烈な優越意識が深く根を下ろした。

広島大本営:川上操六の冷徹な計算と焦燥

一方、広島に設けられた大本営の執務室は、東京の熱気とは正反対の、凍るような緊張感に包まれていた。参謀次長川上操六の視線は、壁一面に広げられた地図から離れなかった。彼の隣には、参謀の日下部清一少佐が、戦況報告の資料を整理していた。

「日下部、平壌は9月中旬までに必ず陥落させよ。清国軍の主力を朝鮮半島から駆逐し、即座に遼東半島への上陸準備に入れ」

川上の命令は、まるで機械のように正確で、感情の介入を許さない。彼は、平壌の戦局を分析しながらも、その思考は常に「次の手」、そして「次の戦争」へと向かっていた。


「時機」という名の絶対命令

川上が焦燥を募らせる理由は、清国の軍事力への過度な警戒ではない。それは、国際的な干渉という名の、外交的な時間との闘いであった。

「伊藤総理は、外交的解決を試み、時間を稼ごうとした。その隙に、ロシアはシベリア鉄道の建設を急ぎ、極東の兵力を増強するだろう。我々が清との戦争を長引かせれば、ロシアは必ず仲介者として乗り出し、朝鮮半島への権益を要求してくる」

川上にとって、この戦争は、「ロシアが本格的に動く前に、清国を完全に無力化する」という、極めて時間制限の厳しい作戦であった。そのため、平壌での勝利の後、休む間もなく清国本土へ攻め込む必要があった。


陸軍と海軍の戦略的葛藤

9月、黄海海戦での海軍の勝利は、陸軍参謀本部内にも複雑な波紋を投げかけた。

日下部は、勝利の報に歓喜したが、川上はそれを「手段の達成」として冷徹に評価した。

「海軍は制海権を確保した。これで陸軍は、清国本土へ安全に兵力を展開できる。しかし、海軍が大きな功績を上げたことで、陸軍はさらに決定的な勝利を求められる」

川上の思考の根底には、薩摩閥が主導する海軍への対抗意識と、藩閥間の功績争いが潜んでいた。陸軍が戦争の主導権を握り続けるためには、清国の首都北京に迫る「大陸戦略」を、海軍の勝利に続けて実現する必要があった。

日下部少佐は、この冷徹な計算に従いながらも、前線からの兵站(補給)の困難の報告に苦悩していた。急速な開戦準備は、輸送能力を限界まで超えており、兵士たちは既に疲弊し始めていた。しかし、川上は、この苦難を「武士の精神」と「勝利の必要性」によって押し殺すよう命じた。


官邸の外交戦:伊藤博文の胸中と陸奥宗光の防御線

宰相の葛藤と不測の事態

一方、東京の首相官邸。伊藤博文は、軍部の連戦連勝の報に接しながら、喜びよりも、外交上の不安定さへの不安を深めていた。彼は、自身の外交的理想が軍部の武力によって歪められていく過程を、静かに見つめるしかなかった。

「軍は勝つ。しかし、その勝利は、国際的なルールを無視した結果だ。この勝利を、いかにして『国際社会で受け入れられる形』に整えるか。これが我々の戦いだ」

伊藤の最大の懸念は、豊島沖海戦で発生した英国籍船「高陞号」撃沈事件が、日本を国際的な孤立に追い込む可能性であった。彼は、外務大臣の陸奥宗光に、この外交の火種を完全に消し去るよう全権を委ねた。

陸奥宗光の緻密な防御戦術

陸奥宗光は、冷静なリアリズムに基づき、緻密な防御戦術を展開した。

1. 迅速な賠償と謝罪: 英国に対し、最大限の誠意をもって補償を行い、外交上の非難を回避する。

2. 法理論の構築: 清国が中立旗を悪用し、国際的な信義を裏切ったという論理を確立し、日本の行動を「正当な武力行使」として位置づける。

3. 列強の思惑の利用: 英国がロシアの南下を最も恐れていることを利用し、「日本の勝利は、東アジアの安定に寄与する」という共通認識を植え付ける。

陸奥の努力により、英国は最終的に中立を維持し、高陞号事件は国際的な大問題となることを免れた。この成功は、伊藤に一時の安堵をもたらしたが、それは同時に、軍の行動が**「外交の武器」として今後も不可欠であることを示していた。

政治家による「義戦」という物語の維持

伊藤内閣は、軍の暴走を追認した代償として、戦争を「義戦」という美談として維持する責任を負った。

「この戦争は、清国の旧弊から朝鮮を解放し、東洋の平和と独立を守るための『正義の戦い』である。この大義を、国内はもとより、国際社会にも徹底的に浸透させよ」

伊藤は、国民の熱狂と、軍の連勝という「事実」を利用して、この「義戦」の物語を強固なものにした。政治家は、軍部の行動に振り回されながらも、その成功を巧みに利用し、国際的な防波堤を築こうとしていたのである。


三つの渦の交錯

1894年9月。平壌と黄海での勝利は、三つの異なる渦を巻き起こした。

• 平次郎の渦: 勝利への高揚と、個人的な野望が結びついた「熱狂の渦」。

• 川上操六の渦: ロシアとの対決を見据え、時間を切り詰める「冷徹な計算の渦」。

• 伊藤博文の渦: 軍の成功を外交の武器とし、列強の干渉という危機を回避しようとする「苦悩と防御の渦」。

これら三つの渦は、それぞれ異なる目標を持ちながらも、「清国への勝利」という一点で収束し、日本の運命を、誰も予期せぬ激動の道へと押し進めていった。この開戦直後の時期に下された「速戦即決」の戦略と「義戦」の物語が、その後の日本の全ての行動の土台となったのである。

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