フラスコの中を覗く
比絽斗
第1話 レンズの向こう側
シュレーディンガーの猫
「箱を開けるまで、猫は死んでいる状態と生きている状態が重なり合っている」という有名な思考実験です。
観測者の影響: 量子力学では、誰かが「 観測」するまでは物事の状態は確定しないと考え。
多世界解釈: この理論から派生して、「猫が死んだ世界」と「猫が生きている世界」に宇宙が分岐したと考えるのが「多世界解釈」です。これにより、私たちの宇宙の裏側に無数の「別次元」が存在する可能性が示唆され
シミュレーション仮説(フラスコの中の事象)
「この世界は、高度な文明を持つ存在(あるいは未来の人間)が作ったコンピュータ・シミュレーションである」という考え方
思想の核心: 自分たちが現実だと思っているこの宇宙は、高次元の存在が実験や娯楽のために用意した「フラスコ(サーバー)」の中の出来事に過ぎないという説
哲学的背景: 古代ギリシャのプラトンの「洞窟の比喩」や、デカルトの「悪霊の欺き」といった哲学の流れを汲んでおり、現代ではイーロン・マスクなどの著名人がこの可能性に言及している。
ホログラフィック原理(高次元からの投影)
「現次元は別次元の事象を観察している」という感覚に最も近い物理学の理論
投影された現実: 私たちが3次元だと思っているこの世界は、「より高次元の境界線(2次元の膜など)に蓄えられた情報が投影されたもの」に過ぎないという理論
例え: クレジットカードのホログラムシールが、平面なのに立体的に見えるのと似ています。つまり、自分たちの「実体」は別の場所にあり、ここは投影された映像のようなものだという考え方
宇宙が人間に都合よくできているのはなぜかという議論
水槽の脳(自分が実は瓶の中の脳で、電気信号を見せられているだけではないかという思考実験
「この世界が何者かによって作られたシミュレーション(あるいはフラスコの中の実験)である」という考え方は、単なるSFではなく、物理学者や哲学者が真剣に議論している。
特に有名な「シミュレーション仮説」を中心に、科学者たちが「もしかして?」と疑う根拠を詳しく深掘りする。
1.宇宙には「解像度」の限界がある(デジタル的な性質)
コンピュータゲームの画面を拡大し続けると、最終的には「ピクセル(画素)」に突き当たります。実は、私たちの宇宙にもこれと同じような最小単位の限界が存在する。
プランク長さ: 物理学において、これ以上分割できない最小の長さ(約$1.6 \times 10^{-35}$メートル)が存在。
光速の限界: 情報の伝達速度に「光速」という上限があることも、コンピュータの処理速度(クロック周波数)の限界に似ていると指摘され、
物理法則の数式化: 世界が驚くほど厳密な数学的プログラム(物理法則)で動いていること自体が、コード(設計図)の存在を示唆しているという思想
「観測」されるまで確定しない(量子力学的効率化)
先ほどお話しした「シュレーディンガーの猫」に関連しますが、量子力学では「観測するまで状態が決まらない(重ね合わせ)」という現象が有る。
これは最新のオープンワールド・ゲーム(例:『原神』や『GTA』など)で使われる「レンダリング(描画)の最適化」という技術に酷似している
ゲームでは、プレイヤーが見ていない場所の背景は計算(描画)を省略し、プレイヤーが視線を向けた瞬間に描画されます。
自分たちの宇宙も、「誰かが観測した時だけ現実として確定させる」ことで、計算リソースを節約しているのではないか?という理屈。
ニック・ボストロムの「三者択一」
哲学者ニック・ボストロムは、論理的に考えて以下の3つのうちどれか1つは真実であると提唱した。
人類はシミュレーションを作れるほど高度に発達する前に絶滅する。
高度に発達した文明は、シミュレーションを実行することに興味を持たない。
自分たちは、ほぼ確実にシミュレーションの中に住んでいる。
もし高度な文明が「歴史シミュレーション」を何度も実行するとしたら、本物の宇宙は1つですが、シミュレーション宇宙は何億個も存在することに。
その場合、私たちがたまたま「唯一の本物」にいる確率は限りなく低い、という統計的な推論です。
フラスコの中の事象(水槽の脳)
質問にあった「フラスコの中」というイメージに最も近いのが、哲学の「水槽の脳(Brain in a vat)」であり
自分たちの脳が実際には水槽(フラスコ)の中にあり、スーパーコンピュータから電気信号を送られているだけだとしたら、私たちは「外の世界」と「シミュレーション」を区別する手段を持ちえない。
現代では、ニューラリンクのような脳インターフェース技術の進化により、この思考実験がより現実味を帯びて語られるようになっている。
追記:バグ(エラー)は起きないのか?
もしこの世界がプログラムなら、どこかに「バグ」があるはずだと考える人もいます。
マンデラ効果: 「大勢の人が、実際とは違う記憶(過去の事実)を共有している現象」を、シミュレーションの書き換えミスやパラレルワールドの混線だと解釈する都市伝説的な説もある
二重スリット実験の違和感: 光が「粒」でもあり「波」でもあるという矛盾した性質を持つこと自体が、システム上の仕様(あるいは限界)ではないかと言われることもあり。
この中で、特に「これは確かに不自然だ」と感じる部分はありましたか?あるいは、多世界解釈(別次元)の方をもっと掘り下げてみるのも面白い
この物語は、多世界解釈の「分岐」と、ホログラフィック原理の「投影」が交差する、ある科学者の視点から描かれます。境界のフラクタル ―― フラスコの中の箱庭 ――
レンズの向こう側
都心から離れた山間部に、その「観測所」はあった。
物理学者、九条(くじょう)蓮が向き合っているのは、巨大な超伝導量子コンピュータを中核とした、極低温の真空容器である。しかし、彼が密かに呼んでいる名は、もっと素朴なものだった。
「――今日の『フラスコ』の機嫌はどうだい?」
九条はモニターに映し出される、ゆらめく波形を見つめた。 そこにあるのは、ナノスケールの微小な真空空間。そこには、多世界解釈の理論に基づき、人工的に「分岐」を加速させた極小の宇宙がシュミレートされている。
彼には、幼い頃から奇妙な感覚があった。 自分が歩いている街並み、話している友人、手に持ったコーヒー。それらすべてが、どこか薄っぺらく、背後から強力な光源で照らされた「影」のように思えてならなかった。
「この世界は、別の場所にある本質が投影された映像に過ぎないのではないか?」
その直感は、大学で物理学を学び、ホログラフィック原理に出会ったことで、呪いから「確信」へと変わった。
「先生、第14層でデコヒーレンス(量子デコヒーレンス)が発生しました。観測データが『確定』していきます」
助手のアキの声で、九条は我に返った。 モニターの中では、霧のように曖昧だった確率の雲が、一瞬にして一つの結晶のような「現実」へと凝固していく。
「……また一つ、枝が分かれたか」
九条は呟いた。 多世界解釈によれば、観測が行われるたびに世界は分岐する。 シュレーディンガーの猫が死んでいる世界と、生きている世界。 九条がこのプロジェクトを始めた理由。それは、分身し続ける自分たちの「親」に当たる、高次元の観測者の視点に立つことだった。
分岐する絶望
九条が「フラスコ」に執着するのには、個人的な理由があった。 三年前、彼は妻と娘を交通事故で失っている。
あの日、もし自分が一本早い電車に乗っていたら。 あの日、もし妻が忘れ物をしていなかったら。
多世界解釈は、彼に救いと残酷な現実を同時に突きつけた。 理論上、妻と娘が生きている世界は「確実に」存在している。この宇宙のどこかではなく、今この瞬間に重なり合う「別の次元」として。 しかし、デコヒーレンスによって情報の混ざり合いが起きた瞬間、二つの世界は二度と交わることのない平行線となる。
「私たちは、フラスコの中の事象を観察している。だが、私たち自身もまた、誰かのフラスコの中に入っているのではないか?」
九条は深夜のラボで、独りごとのようにノートを走らせた。 もしこの世界が投影されたホログラムであるならば、その「投影元」を操作することができれば、失われた分岐点へと回帰できるのではないか。
彼は禁忌に手を染め始めた。 実験装置の出力を上げ、観測対象である量子ビットに、外部から逆位相の干渉波を叩き込む。
「量子的な巻き戻し」の試行だ。
投影の綻び
その夜、異変が起きた。
「フラスコ」の中のシミュレーションが、九条の操作に異常な反応を示したのだ。
波形が乱れ、本来なら「確定」するはずの現実が、モザイク状に崩れていく。 ホログラフィック原理における「情報の境界線」が、何らかの理由で干渉を起こしていた。
九条の目の前で、ラボの壁がかすかに透けて見えた。 壁の向こう側にあるのは、隣の部屋ではない。 そこには、見たこともない幾何学的な構造体と、巨大な光の渦があった。
「……なんだ、これは?」
アキが悲鳴を上げる。 彼女の手が、まるで解像度の低いデジタル画像のようにノイズ混じりになり、背景に溶け込んでいく。
「先生! 私たちが消えていく……!?」
「違う、アキ。消えているんじゃない。……『投影』が乱れているんだ」
九条は震える手で、モニターの数値を書き換えた。 彼が見ている光景。
それは、三次元の世界を包み込む「二次元の膜」に刻まれた情報の断片だった。 彼らの実体はここにはない。 もっと遠く、高次元の果てにある「境界線」に書き込まれたデータの羅列。 それが、何者かの「視線」によって、この3次元というスクリーンに映し出されている。
その時、九条は感じた。
背後に、巨大な、あまりに巨大な「誰か」の気配を。
観測者の瞳
それは、物理的な「目」ではなかった。 意識の奔流、あるいは純粋な情報の塊。
「フラスコの中を覗いているのは、私だと思っていた……」
九条は、自嘲気味に笑った。
彼が実験装置の中に作り出した「ミニ宇宙」の中で、小さな知性が「この世界の外側には観測者がいるのではないか?」と気づいたとしたら、自分はどう反応するだろうか。
慈しみか。あるいは、ただのバグ(不具合)としての排除か。
その「存在」は、九条に語りかけてくるようだった。言葉ではなく、直接脳内に流し込まれる概念の塊として。
『お前たちが「運命」と呼ぶものは、我々が描く情報の断面に過ぎない。 お前たちが「選択」と呼ぶものは、多世界という名の計算リソースの分配に過ぎない。』
九条は、震える声で問いかけた。 「……もし、私たちがただの投影なら。私の愛した人たちが死んだという事実は、ただのデータの欠損なのか?」
返答は冷徹だった。 『別の断面では、彼女たちは生きている。しかし、お前という個体(インスタンス)がアクセスできるのは、この座標だけだ。』
微調整
(ファインチューニング)の真実
九条は悟った。 宇宙がこれほどまでに精密に調整されている理由。 重力の強さ、光の速さ、原子の結合。 それらは、この「シミュレーション」が安定して持続し、観測に値する複雑性を生み出すための、あらかじめ設定されたパラメータなのだ。
人間原理とは、すなわち「設計者の意図」そのものだった。
「だとしたら、私は抗う」
九条は、装置のオーバーライドスイッチを叩いた。 彼は、自分たちを観察している高次元の視線に対し、データの逆流(フィードバック)を試みた。 自分の意識という、この世界で最も複雑な情報系を、投影元へと「アップロード」する。
フラスコの中の結晶が、外側の人間を刺し貫くように。
「アキ、逃げろ。これは、観測者への反逆だ」
新しい次元の夜明け
眩い閃光がラボを包んだ。 量子デコヒーレンスが逆転し、あらゆる可能性が一点に重なり合う。 シュレーディンガーの猫は、死んでもいないし、生きてもいない。 それは「全てである状態」へと回帰した。
九条の意識は、肉体という名のホログラムを脱ぎ捨て、境界線の向こう側へと染み出していく。
そこで彼が見たのは、無限に並ぶフラスコの群れだった。 一つひとつのフラスコの中で、異なる物理定数、異なる歴史、異なる「九条蓮」が、ある時は幸福に、ある時は絶望に沈んでいた。
彼は、その巨大な実験室の回廊を歩く。 その視線の先。 あるフラスコの前で、足が止まった。
そこには、三年前のあの日、事故に遭わずに帰宅し、娘を抱き上げる自分の姿があった。
「……観測を、始めよう」
九条は、そのフラスコをそっと指先でなぞった。 彼自身が「高次元の観測者」の一人となっていた。
私たちが生きているこの現実は、誰かの実験かもしれない。 だが、その実験を覗き込んでいる「誰か」もまた、さらに上の次元から見下ろされている。 フラスコの中のフラスコ。 終わりなき多世界の連鎖。
九条は、モニターに映る自分自身――かつての自分――に向かって、静かに微笑んだ。 その微笑みは、地上の誰にも気づかれることはない。 ただ、物理学者がふとした瞬間に感じる「視線」や、説明のつかない「直感」として、微かなノイズのように世界を揺らすだけだ。
追記:この物語の背景にある考え方
この小説は、4つの要素を一つの物語に編み込んだものです。
多世界解釈: 妻を失った九条が、別ルートの現実を渇望する動機として。
量子デコヒーレンス: 観測によって現実が「固まる」プロセスの描写として。
ホログラフィック原理: 自分たちの住む世界が、高次元からの「投影」であるという視覚的ギミックとして
人間原理(宇宙の微調整): この世界が「何者かによる実験」であるという核心的な設定として。
「あなたは、どちらの感覚に近いものでしたか?」
九条は最終的に「投影された映像」から「高次元の観測者」へと移行しましたが、あなたの直感は
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