週末ロック!
大日小月
PR動画編
第一話 作曲の依頼
「今回、古井さんを呼び出したのは頼みたいことがあって」
新年度も始まり春の陽気に包まれる四月、定時後の会議室で野田が言った。グレーのスカートスーツを着てロングの栗毛をポニーテールにした妙齢の女性だ。
「頼みたいことですか」
一面の白い壁と青いタイルカーペットが敷き詰められた十人程度が入れるまだ新しさの残る会議室に、机を挟んで二人は対面に座っている。定時後の雑談か、はたまた残業に励んでいるのか、話し声が廊下からドア越しに聞こえる。
「そう、古井さんってバンドやってたんだって? 作曲もできるとか」
「はい、高校生の時に少し。素人に毛が生えた程度ですが」
瑚乃海は大きな目で野田を見ながら淡々と回答する。
バンドをやっていたことを何故知られているのだろうかと考えるが、就職活動中に面接でいったことを思い出す。採用担当から話が伝わり、営業職である野田にまで届いたのだと嫌な納得をする。
「いやいや、謙遜しなくていいよ。動画見たけどいい曲だったじゃん!」
「動画まで見てくれたんですね。一応オリジナル曲作るのにはこだわっていたので」
瑚乃海のバンドは活動の一環で動画サイトにオリジナル曲を投稿していた。バンドは解散したが動画はそのままネット上に残しており、それを野田がリサーチ済みだった。
「そこで頼みなんだけど、古井さんには作曲してほしいんだ」
野田は手を擦り合わせて上目遣いでお願いをする。ポニーテールが少し揺れる。
「作曲ですか。なにに使う曲でしょうか」
間髪入れずに瑚乃海が聞き返す。就職活動を期にバンドを解散したのは高校三年の夏。それから一年半以上経った今、わざわざ作曲を頼むことを訝しげに思った。
「会社のPR動画をリニューアルすることになって、その動画のBGMを作ってほしいの。ほら、今ある動画って結構前のやつじゃん? 二十年近く経ってるとか」
野田は説明しながらノートパソコンで動画を再生する。粗い画質のスライドショーに音質の悪いナレーションが入り、その裏でやけに煩いBGMが流れている。すぐに十数年以上前のものとわかる動画だった。
「営業の身としては会社のPR動画があった方がいいけど、これは使いたくないんだよね」
野田は苦笑を浮かべる。
「記憶していたよりかなり古いですね」
瑚乃海は就職活動の時や入社式で何度か見たことがあったが、改めて見ると時代遅れも甚だしく、人前に見せられないできだと認識する。
「でも、BGMくらいならフリーでもあるんじゃないですか」
無料で優良な曲がいくらでもある時代、BGM程度でわざわざ自作する必要があるのか瑚乃海は疑問を口にした。
「この動画を皮切りに放置されてた会社のチャンネルを活用して、広報動画をどんどん作っていくことになったの。それで、できるだけ自作できる体制にしてる方がいいよねって」
画面に映るのは動画サイト上の会社の公式チャンネル。投稿された動画は三本だけで、更新は何年も前から止まっている。
「それに去年社長が変わったじゃん? それから色々改革してるけど、これもそのうちの一つなんだよ」
入社して早々新社長就任式に出席したことを瑚乃海は思い出す。
「なるほど、そういうことですか」
事情を知り得心がいく瑚乃海。小さく首肯する。トラブルがない限り残業をしない瑚乃海は、わざわざ定時後に呼び出したことに見合う理由を求めていたのだった。
「動画の雛形はできてるから、これに合わせて作ってほしいんだけど……」
野田はノートパソコンを操作して、また別の動画を再生する。
始まった動画は、まず画質が雲泥の差なのがすぐにわかる。会社の外観から始まり、工場内や製品を映した動画に沿革や製品の説明が字幕で流れる。最後はドローンで撮影した会社の全景を背景に企業ロゴが現れて動画は終了する。
「どう?」
短く野田が問う。その目は期待に満ちていた。
「わかりやすくていいですね。これは野田さんが作ったんですか」
シンプルながら会社の特徴がわかる動画に瑚乃海は率直な感想を述べる。
「そうなの! 私学生の頃映像研にいたからね!」
野田はカメラを構えて撮影をする振りをする。
「今はいれてないけど、ナレーションも入れる予定だから、それに合わせた曲がいいんだけど、できそう?」
野田は構えていたエアカメラを下ろして営業に戻る。
「私はバンドしかやってないのでバンド編成での曲になりますが、それでいいなら」
瑚乃海は曲の構成を何通りか弾き出しながら答える。
「それで問題ないよ。じゃあ頼めるかな?」
「はい、わかりました。いつまでにとかは決まっていますか」
「ありがとう! 時期は特には決まってないかな。会社のPR動画を投稿してからその後に製品の紹介動画とかを投稿する予定だから六月までには終わらせたいかな? 展示会とかもあるし」
「それなら問題ないです」
机に広げた手帳にスラスラと瑚乃海は予定を書き出す。無骨な文字が刻まれる。
「じゃあBGMの件は頼むね」
「はい、わかりました」
作曲の依頼という手土産を片手に瑚乃海は帰路についた。四月の夕暮れの風はまだ冷たく吹き荒んでいた。
◇
その日の夜、瑚乃海はパソコンの前に座り早速作曲の体制になっていた。パソコンのソフト上で作曲をする行うDTMと呼ばれる手法だ。
学生の頃から作曲用に整えてきた机回り。実家暮らしを続けていたこともありバンドを解散してからもそのままの状態だったためすぐに作業に入ることができた。
(久しぶりだな)
作曲ソフトを眺め瑚乃海は懐かしむ。最後に作曲をしたのは解散よりも前のため、二年近く前のことだった。
(問題は音源とループパターンだな)
所詮高校から始めたどこにでもいるガールズバンドの一つとはいえ、バンドのオリジナル曲は全て作曲をしていたのでそれなりに曲作りに自負を持ち合わせている。その経験から瑚乃海は現行の紹介動画の曲の問題点を二つに絞っていた。一つ目は音の安っぽさ、二つ目はリズムパターンの短さだ。
音の安っぽさは時代の古さと予算の都合だろう。これに関しては手持ちの音源で解決できると瑚乃海は当たりをつける。
リズムパターンは短い単純なものだと飽きがくるが、あまり複雑にすれば主張が強すぎて動画に合わなくなってしまう。その塩梅をつけるのがポイントだ。
(ちゃちゃっとやりますか)
瑚乃海はTシャツの腕をまくり、気持ちを入れる。
まず、操作を思い出すついでにコード進行を打ち込んでみる。ブランクがあったこともありここは王道のパターンをキーボードでつける。
それが終われば次はメロディー。単調すぎず、それでいてナレーションの邪魔にならないようなほどよいところを探る。
やっているうちに操作する手の動きが淀みのないものになっていく。
ドラムパターンは担当楽器だったため少しこだわる。まずはバスドラム、スネア、ハイハットで基本の8ビートを作る。メロディーと同様で似たパターンの繰り返しだと退屈なものになるため、要所でパターンを崩したりシンバルをいれたりと派手すぎないように変化をつける。
ベースラインはドラムに合わせつつ隙間を埋めるように打ち込む。ベースに関しては会社の動画の視聴者層を考慮し、こだわりすぎる必要はないとここは単調にする。
(ギターはいれなくてもいいか)
癖でギターの項目を触ってから瑚乃海はふと思う。あくまで主役は動画とナレーションであるため、楽器の数は増やしすぎないようにした。
最後にコードの調整や音の強弱をつけるなど細かな調整をする。
そうして作業開始から一時間もせずに曲は完成した。
(なんだか今日は調子がいいな)
できあがった曲をききながら瑚乃海は一人思い耽る。コード進行は変に凝らず王道で、テンポも歩く程度の速さと抑えめだ。ところどころに入るアクセントとループ感の薄い構成。充分なできだろうと瑚乃海は結論づけ、提出用にと渡されたUSBメモリに曲を保存する。
”聴いてきた曲の量が作曲できる量になる”バンド活動で知り合った同じ作曲担当が言っていた言葉、その意味を実感する。
バンド活動はやめたが、音楽はバンドをやらなった分よく聴くようになっていた。解散してから吸収してきた音楽がここにきて発露されていたのだった。
(たまには悪くないな)
自分でも不思議なくらいすらすらと作曲できた瑚乃海は、久方ぶりの創作による疲労感と充実感を味わっていた。
軽く伸びをしてからベッドに横たわる。頭の中では次々にメロディーが浮かんでは消えを繰り返す。音楽熱が高まっている。やりきったと思いバンドは解散したが、自分の中にまだ創作意欲が眠っていたのかと瑚乃海は我が事ながら他人事のように感心する。
たまにはライブハウスにでも顔を出そうか、それともドラムを久々に叩いてみようか。音楽熱の行き場を考えて心地よい疲労感に包まれながら瑚乃海は眠りについた。
◇
「曲作ってきたので確認お願いします」
翌日、瑚乃海はできたての曲を野田に提出した。場所は同じく会議室。二日続けての残業だか、今日は心が軽やかだった。
「昨日の今日でもうできたの!? 仕事が早いね」
提出用のUSBメモリを受け取りながら野田が目を丸くする。
「簡単な構成なので」
「それでもすごいよ。早速聴いてもいい?」
野田はノートパソコンを広げて曲を取り込んで再生する。
特段音質の良くないスピーカーからではあるが、優しいキーボードの旋律に控えめな伴奏と軽やかなドラムが加わり曲の良さが聴いてとれる。
「いいじゃんいいじゃん! 派手すぎず地味すぎない絶妙な感じ」
親指を立てて野田が褒めるのを見てほっとする瑚乃海。
「ありがとうございます」
簡素な返答。
ずっとバンドのために作曲をしていた瑚乃海にとって依頼されて曲を作るのは初めての経験だった。作曲をして感謝されることにむず痒さを感じ、言葉が簡単なものしか出てこなかった。
「後は私の仕事だね。動画にナレーションと古井さんの曲を入れて上司に承認もらったら終わり!」
「この曲は上司に確認とらなくても大丈夫なんでしょうか」
承認という言葉を聞いて瑚乃海が質問する。なにをするにしても承認がないと動くことができないのを社内で何度も見てきた経験が甦る。
そんな心配を余所に、野田はおどけた調子で言う。
「大丈夫大丈夫! 動画くらいでとやかく言われることないから。自前だから予算もドローンくらいしかかかってないし」
指で小銭の形を作り笑顔を浮かべている。
「そうなんですね」
「そうそう、後は任せて!」
瑚乃海は一抹の不安を覚えながらも、半回り年上の先輩のことを信じることにした。
◇
瑚乃海が勤めているのは、ベルトコンベアやローラーコンベアといった各種コンベア、それに付随する自動仕分け装置などの産業用輸送機器の製造販売をするメーカーだ。そこで瑚乃海は品質管理として測定や検査、それに伴う書類作成を行っている。
製造業に興味があったわけでも品質管理の職種に興味があったわけでもない。家から近く地元ではそれなりの規模の会社で労働条件が良い、そんな理由で入社しただけだった。
業務を黙々とこなし、定時になれば帰るだけの日々。午後五時が近づき心の中では帰り支度を始めている時だった。
「古井さーん、ちょっといいかな?」
品質管理部にやってきたのは野田だった。
現場に似つかわないスーツ姿を同僚たちが一斉に横目で見る。招かれざる客とともに瑚乃海は退出する。
「動画の件でしょうか」
単刀直入に瑚乃海は切り出す。
「そうなんだけど……」
僅かに視線を下ろし言い淀む野田。
「再提出って言われちゃって」
「なるほど」
一週間前に自信満々だった姿は何処へやら、すっかり意気消沈している先輩を前に瑚乃海はひとまず適当に相槌を打った。
「なにか問題があったのでしょうか」
「それが、よくわからなくて」
次いで素直に疑問をぶつけたが、要領の得ない回答を得る。
「上から下に口頭で伝わっていってるみたいで、私が聴いたのは動画も曲もやり直しってことだけなんだ」
野田の表情には最初に会った時のような笑顔がなかった。
非上場とは言えこの地域では規模も大きく優良メーカーとして名が通っているというのに、内情は報連相すらまともにできない有り様なのか。瑚乃海は内心で呆れ返した。
その内心を出さないように確認をする。
「とりあえず、私はまた曲を作ればいいですか」
「……うん。そうだね。やってくれる?」
表情を崩さない瑚乃海を見て少し驚きながら、野田は弱々しく聴く。
「はい、それくらいなら」
「……ありがとう! 私も頑張るよ!」
野田は瑚乃海の手をとりながら感謝を次げる。
公私を分けたい瑚乃海にとってはプライベートな領域に踏み込まれて微妙な気持ちになるが、同じ境遇の身として作り笑いをしつつ受け入れた。
「とは言っても動画をどういう風にするか決めてないんだよね」
ため息こぼす野田。
「それなら先に曲を作って、それに合わせて動画を作ってみるとかはどうですか」
前回と逆の手順を瑚乃海は提案する。
「それはありかも。うん、そうしようか」
野田はそれを採用する。少し表情が明るさを取り戻している。
「じゃあ、また頼むね古井さん」
野田を見送った頃には定時はすでに過ぎていた。
急いで着替えた瑚乃海は、メロディーを探しながら帰宅の途についた。
◇
そして夜、瑚乃海は一週間ぶりに作曲に取り掛かっていた。画面を見つめるその表情は、再提出になったにもかかわらず怒りや悲しみがなかった。
(今回はキーボードの代わりにギターにして、前の曲を軽く修正した版も出すか)
瑚乃海は社会人としてはまだまだ若造ではあるが、上司が設備更新や人員の補充など様々な申請をして一度や二度、あるいはそれ以上の回数を却下されるのを見てきており、自身も新たな備品の導入を提案して却下された経験がある。
今回の動画の件も一度は差し戻しになるだろうと予測していた。曲の依頼を野田から間接的に頼まれていたこともあり精神的ダメージはあまりなかった。
(全然違う雰囲気にしとけばどっちかは採用されるだろ)
選択肢を与えればどちらも却下にはしづらいという心理的な打算もしながら作業に入る。
(やっぱり調子がいいな)
頭に浮かんだメロディーがそのまま作曲ソフトに流れていくように打ち込まれていく。ソフトの操作の勘を取り戻したこともあり着々と曲ができあがっていく。
ギターでメロディーと伴奏を担当し、そこにリズム隊であるドラムとベースが乗っかる。
そして、一時間足らずで曲が完成する。
(この流れでやってしまうか)
曲ができたその勢いで瑚乃海は却下をくらった曲の修正にとりかかることにした。
(偉いさんとかが聴くならゆっくりの方がいいか)
ミドルテンポでバンドの曲からすれば、どちらかと言えばゆっくりめの曲だが、それでも慣れてない人からすればテンポが早いと感じられたのかもしれない。
動画に使えるようにしつつ速さ感じないように拍子を分割し、残響音を長くする。曲の速さはほとんど変わっていないが錯覚でゆっくりに感じられるように変わった。
(まだ余裕があるな)
時計を見ればまだ寝る時間には早い。やるべきことは終わったが、まだ気持ちが音楽をしたがっている。
(久々にやるか)
クローゼットにしまった電子ドラム。手入れだけはしていたそれを引っ張り出す。
家での練習ようにと貯金を全てはたいて買った思い入れのあるドラム。当時を振り返りながら瑚乃海は基本の8ビートを刻む。
(意外と覚えてるもんだな)
ゆったりとしたテンポだが、スネアを叩く左手、ハイハットを刻む右手、バスドラムのペダルを踏む右足。どれもちぐはぐになることなく動いた。
その後、しばらく演奏そして音楽熱を冷ますことに瑚乃海は励んだ。
◇
作りなおした曲を瑚乃海は翌日に再提出した。
「うんうん、いいね! どっちも今風でカッコいいじゃん」
「ありがとうございます」
「これなら何パターンか動画作れそうだよ」
いつも通り野田は迅速な確認をし、曲のできに満足して笑顔を浮かべる。
「古井さんの曲を無駄にしないように私も頑張るよ!」
額でピースサインをする野田。半周り年上の大人が繰り出すギャルっぽさに面食らいながらも、仕事はしっかりこなすだろうと期待して瑚乃海は送り出した。
それから二週間が経過した。最初の頃は行く末を気にしていた瑚乃海も今では依頼の件自体を忘れつつある。
先に曲を作ったこともあり、野田がどういう動画を作ったのかさえ見ていない。なにも連絡がないということは上手くことが進んでいるのだろうと勝手に解釈をしていた。
午後二時、眠気が襲いかかり仕事が中弛みする時間、あくびを噛み殺しながら業務をこなす瑚乃海。築五十年を越える工場内に品質管理部の部屋があり、年数相応にボロボロで薄暗い環境にいるとどうしても眠気が襲ってくるのだった。
眠気戦っている最中、瑚乃海のもとに野田がやってきた。
「古井さん、会議室まできてくれない?」
憔悴した顔で告げた野田に、なにか良くないことが起こっているのだろうと瑚乃海の同僚たちは見てみぬ振りを決め込む。
「取り敢えず出ましょうか」
上長に断りをいれて瑚乃海は野田とともに退出する。そのまま工場を出て歩くこと数分、敷地内唯一のビルへと着く。
営業や事務職といったホワイトカラーが勤める七階建てのビルだ。
その二階に共用の会議室がある。
この一ヶ月で何回も訪れてすっかり慣れた会議室。現場と違いリニューアルで綺麗になった部屋を瑚乃海は恨めく思う。
「なにがあったんですか」
瑚乃海の眼差しが野田を捉える。眠気はすでに霧散していた。
「……また再提出だって」
「また、ですか」
意気消沈した野田の冴えない顔と二度目の再提出という非常な三文字がそこにはあった。
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