勇者枠、満席。――クレーム係は異世界に誤配属された

@chiwainu

序章 ――勇者が黙る世界

この世界では、声はただの音ではない。言葉には必ず魔力が伴い、まれに「世界の魔力循環」と位相同期してしまう者がいる――それが勇者だ。勇者が希望を語れば結界は強まり、治癒は安定し、魔物は鈍る。だが不満や恐怖が言葉になった瞬間、波形は逆相に反転し、結界が薄れ、治癒が不安定になり、人心が荒れ、魔物が活性化する。国はこの同時不安定化を「揺れ」と呼ぶ。だから勇者枠には定員があり、満席でも召喚は止められない。英雄を増やせば災害も増えるからだ。勇者を守る名目で設けられた勇者療養院――現場ではそこを、もう一つの名で呼ぶ。「処分場」と。






勇者は、この世界にとって光だった。

剣が強いからではない。魔法が派手だからでもない。


この世界では、声は空気を震わせるだけのものではない。

言葉は必ず、魔力を伴う。

そして、まれに――その声が、世界そのものと噛み合ってしまう者がいる。


それが勇者だ。


勇者の声には「発話魔力波形」と呼ばれる揺らぎが重なっている。

普通の人間の声が水面に落ちる雨粒なら、勇者の声は底まで届く杭だ。

杭は深く刺さり、世界の魔力循環に位相同期する。


だから、勇者が希望を語る限り、世界は正に傾く。

結界は張り、魔物は鈍り、人の心は持ち直す。


だが、同じ理由で、勇者が不満を吐いた瞬間――光は反転する。

怒り、恐怖、疑念、絶望。負の感情が言葉として発された瞬間、波形は逆相になり、負の魔素が漏れ始める。


それは目に見えない。

だが確実に、結界を軋ませ、回復魔法を不安定にし、魔物を活性化させる。

そして余波は人にも及ぶ。理由もなく心が荒れ、暴言が増え、逆に街が沈黙することさえある。


国は、これらをまとめて「揺れ」と呼んだ。

地面が揺れる前に、結界と治癒が揺れる。

それがこの世界の災害の始まりだった。


国は、勇者を生み出せなかった。

この世界の住民は多くが「勇者波形」に耐えられない。

だから、異世界から素材を呼ぶ。

異世界人は“勇者候補”として召喚され、まず検査される。


検査は《声紋鏡》で行われる。

鏡に映るのは顔ではない。声の形だ。

判定は四つ――A、B、C、E。

Aが「勇者波形」。世界に刺さる声。

Bは共鳴不安定。扱いを誤れば揺れを招く。

Cは非勇者波形。役職から外れる。

Eは異常波形。同期しないが、別の用途に回される。


勇者枠は定員制だ。

増えれば世界が揺れる。だから満席がある。


満席になったとき、召喚は止まらない。

止めれば、次の揺れに耐えられないからだ。


世界が選ぶのは英雄ではない。安定だ。


だから今日も、どこかで誰かが呼ばれる。

勇者としてではなく。

勇者が黙る世界を回すための、別の役職として。

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