第4話 代執行
息を切らしながら、チャイムを鳴らした。
深夜のアパート。
スマホを握りしめた手に、じっとりと汗をかいていた。
インターホンの音が、静寂を切り裂いた。
しばらくして、ドアが開く。
「……蒼斗! どうしたの、こんな時間に」
美咲だ。パジャマ姿で、眠そうに目を擦っている。
無防備で、可憐な姿。
変わらない。俺が不登校になった後も、定期的に様子を見に来てくれた。
「ごめんな。こんな時間に」
「ううん、入って。それにしても、引きこもりが、とうとう夜逃げ?」
美咲が小さく笑う。
招き入れられたワンルームは、甘い芳香剤の香りがした。
俺は玄関で靴を脱ぎながら、肩の力を抜いた。ここなら、まだ息ができる気がした。
「座ってて。お茶入れるね」
美咲がキッチンへ向かう。
俺はローテーブルの前に座った。
少し待つと、マグカップを二つ持って、美咲が戻ってくる。
俺は口を付ける前に、深々と頭を下げた。
「ごめん。俺、死亡推定を受けたわ」
カップに口を付けていた美咲が、派手に紅茶を溢した。
俺は慌てて、自分のTシャツで拭いた。
「何、言ってんの?」
「だから、ほら。確認しなかったんだ。ずっと放置してて」
「嘘でしょ……どうすんの」
「分からない。ただ、時間がないから、美咲に会いに来た。改めて、不登校になったこと、悪かった。謝りたかったんだ。美咲のせいじゃない」
「ううん。私が蒼斗の想いを、素直に受け取らなかったから」
俺は首を横に振った。
もう過ぎたことだ。ガキが幼馴染との関係に勘違いして、恋だと錯覚した。
それだけのこと。
美咲と俺が釣り合うはずがない。
フラれたことを、クラスのみんなに冷やかされて、登校できなくなった。それを
「とりあえず、会えて良かったよ」
「それだけ? 蒼斗のいつもの悪い癖。諦めるには、まだ早いよ」
美咲はそう言うと、タブレットを取り出した。
特別屍籍法を検索している。
長い髪を耳にかけた。美咲の目は真剣だった。白く細い指が、画面を高速でスクロールする。
「あった……これ!」
美咲が声を上げた。
「第6条2項。『本人への生存確認の通知が通信障害等、本人の責めに帰さない事由により到達しなかった場合、猶予期間を設ける』って」
「俺のタブレットにきっと通知が何本も来てる。見ていないだけなんだ」
「到着も不着も、デジタルなんだもん。絶対に穴がある。スマホ、貸して」
美咲の諦めない姿に勇気をもらう。
そうだ。
俺はまだ、死にたくない。
こうやって美咲と話し、母とカップ麺を食べる時間が好きだと、今、初めて思った。
マイナポータルに接続する。未開封通知の中に、『生存確認(重要)』の文字がいくつもあった。
「どうすんだ?」
「設定画面から、不着扱いに改竄できないかなと思って」
「無茶すると、美咲まで――」
不意に、チャイムが鳴った。
深夜の静寂を切り裂く、無機質な電子音。
美咲が息を呑む。
俺も、その場で凍りついた。
美咲が立ち上がり、チェーンを掛けてからドアを開く。
「どちら様でしょうか?」
「こちらに、五十嵐蒼斗様はいらっしゃいますか?」
「いません」
美咲が即答する。
隙間から、玄関のチラッと見えた。見覚えのある、痩せたスーツ姿の男。
役所の市民課で、俺に死を宣告したあの職員だ。
背後にも誰かいる。
「おかしいですね。GPS反応は、こちらにあるのですが」
「私、一人暮らしですよ。お帰りください」
「おや? だとしたら、そこの男の靴は? もし、隠匿しているのなら、共犯の可能性も――」
「います」
我慢できなかった。
美咲まで巻き込みたくない。
「ちょっと、蒼斗!」
「速やかに開けてください」
美咲が眉間に皺を寄せ、チェーンを外した。役所の職人と警棒を所持した警備員が二人、乗り込んでくる。
職員が憐れむような目で俺を見た。
「五十嵐蒼斗。特別屍籍法・第10条違反です。指定区域からの『逸脱』を確認しました。これにより、選択権を剥奪し、直ちにCコースが執行されます」
「待ってください!」
美咲が俺の前に立ちはだかった。
「蒼斗は通知を見ていなかっただけなんです」
「スマホを見てない、通知を確認し忘れた。そんなものは通りません。国家の危機的状況で、法に対する無関心は死に値するんです」
職員が美咲を押しのける。
「連れて行きましょう」
職員の指示で、警備員が俺の腕を掴んだ。
強い力で、腕がねじ上げられる。
「やめろ! 離せよ」
「蒼斗に触らないで!」
美咲が警備員に掴みかかるが、軽くあしらわれて床に倒された。
「やめて……お願い、連れて行かないで。彼は生きてる! こんなやり方、間違ってる!」
美咲の絶叫が部屋に響いた。
「確保。これより焼却施設へ移送します」
強引に引きずられていく。叫ぼうが、誰も助けに来てくれはしない。
終わりだ。
母さんを捨て、美咲を巻き込み、無様に抵抗した挙句、燃やされる。
「待ちなさい」
凛とした声が、玄関から響いた。
全員の動きが止まる。
開け放たれたドアの向こうに、母が立っていた。
息を切らし、髪は乱れ、化粧も落ちている。
だが、その瞳だけは光を失っていなかった。
「やっぱり、美咲ちゃんのところだと思った。この馬鹿、急に居なくなるんだもん」
「母さん……なんで」
母は俺を見なかった。
真っ直ぐに、職員だけを見据えていた。
その手に一枚のプリントを持っている。
『第15条』
印刷の仕方も知らないくせに、巨大な文字で条文をコピーしてきたらしい。
母が静かに口を開いた。
「特別屍籍法・第15条の適用を申請します」
職員の表情が初めて崩れた。
驚愕に目を見開いている。
「本気ですか? あれは、まだ運用例のない……」
「条文に記載がある以上、権利はあるはずです」
母はプリントを投げつけた。
*
(
第15条
特別屍と認定された者が、扶養親族である場合、その直系尊属は、自らの生命を引き換えに、当該認定を代わりに受けることができる。
*
内容を目にした瞬間、俺は叫んでいた。
「母さん、やめろ!」
美咲が母の腕を掴む。
「おばさん、ダメだってば」
母の声が朗々と響く。
「私の命を、この子の代わりに納めます」
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