ファントム・ファング・フーゴ

吾妻 峻

プロローグ

逃避行:2027/04/18 02:07 NEBULA|トウキョウ-シブヤ

「はぁ、あぁッ! クッソ!!! 」


 僕は必死で逃げている。真っ暗で、薄気味悪い廃墟オブジェクトの中を。

 持ち前のアバターの筋力パラメータ、物理設定を極限まで駆使。

 暗視オプションに切り替え、必死に逃げる、逃げ続ける。


(曲がり角)


 思考のまま、方向転換し飛び込んだのは、マネキンが立ち並ぶ不気味な一室だ。

現実リアルなぞらえるなら一店舗分の広さ、床天井含む全面がガラス張りの設定。名付けるなら「観客のいないファッションショー」だろうか。開かれた入り口から差す光が、様々な衣服を着せられたマネキンの中で立ち尽くす、僕の姿を暴き出す。


――鏡越しに愛くるしい、犬耳男子が見返していた。

 プラチナを伸ばしたように輝き、フワフワと柔らかい頭髪、腰から伸びる尻尾。

アバターの中でも抜きん出た可愛らしさ。真っ白な頬はつい突きたくなるほど柔らかそうだ。

 整った顔パーツ配置にあどけない表情、パッチリした瞳はサファイアのような青。

小柄な身長155cmは、現実の僕よりさらに10cmも小さい。身に纏う衣装はオーバーサイズのテックパーカ。どこか背伸びして見えるけどお気に入り。


 一瞬、マネキンの中にたたずむ自分の姿に呆然とした後、我に帰る。

 頭を振って、立ち並ぶ人形の間を縫って部屋の奥まで進んでいく。


(紛れられれば、ログアウトするくらいの時間稼ぎは、できるはず)


 心を落ち着け、もう一度画面右端のステータス表示に目をやる。心拍数、疲労度、各種バイタルに異常はない。荒い息を抑えつつ、視界の端に指を向ける。空間内に展開された設定メニューバーを広げ、その先の操作へ進もうとし――


 強烈な音と衝撃に阻まれた。


 空間内に響き渡る轟音が疑似聴覚神経を刺激する。

 外壁ごと破壊され飛び散るガラスと、マネキンのオブジェクト。首を折られ服を裂かれ、破壊された仮想内プログラムは自己崩壊し、極小のポリゴンへ変わって消え失せる。

 衝撃に煽られ僕はその場でたたらを踏んで、致命的に判断が遅れた。

 音と共に舞い上がる、仮想空間内の粉塵エフェクト。その中から飛び出た大きな手の平に、細い腕をガッチリと取られてしまった。


 視界がグルリと回転し、叩きつけられて呻く。


 見上げた先にあったのは、僕に馬乗りになった謎のアバターだ。

 フードを被り、黒衣を纏い、大柄な体躯で、左腕だけで難なく僕を押さえつけている。そして右腕には噂通り、血のついた無骨な手斧を携えていた。


「ま、待ってくださいって! 僕、15歳なんで! アバターへの加害行為、運営BANどころか犯罪ですよ!? 」


 震え声で、このプラットフォームにおける常識を訴える。

 誰かの意識が皮を被ったアバターが危険行為でねじくれた欲望を発散しているだけだろうと。お願いだからと、祈るように。

 そこでようやく、システムが相手を認識する、ネームタグが表示された。


HATCHETTERハチェッター|*?/?』


 目にしたことのない、文字化けした種別表示。それ・・はただおもむろに、右腕の手斧を掲げる。

 血の気が引く。もはやできることは一つ。現実へ帰還するために残された、最後の緊急離脱オプションを使うしかない。


 仮想現実内でも、一定の動作で、現実へアウトプットできる設定がある。

 例えば僕の場合、左腕のスナップ一つで、左腕の操作が現実の肉体に反映されるようになる。その状態で、ダイヴ用のヘッドギア「アストロノーツ」を無理やりにでも現実の僕の頭から取り外せば、このイカれたアバターから逃げられるはず。

 即座に左腕をスナップ。しかし直後の左腕の動きは、未だ仮想空間内に残されていた。視界に、嘘みたいなエラーメッセージ。


『CODE 20501:外部アウトプット失敗――神経I/Oが外部プロセスにロックされています』


「僕が、ロックされてるって……何に? 」


 世界最大の仮想空間プラットフォーム「ネビュラ」。その中でまことしやかに語られる、ある怪談。

――ジャパンサーバ、トウキョウ、シブヤセクション。

――現実では過去に惨殺事件のあった座標、仮想内廃墟に出没する「手斧鬼ハチェッター」。

――彼に捕まると、現実に帰れなくなる。


(マジで言ってる……? 都市伝説じゃなくて? )


 事実、目の前のアバターは通常権限では不可能な「公共オブジェクトの破壊」をやってのけた。さらに今僕自身が、強制ログアウトさえできない状況に直面している。


(この世界で致命傷を負っても平気なのは、最悪、強制ログアウトされる――はずだから)


 でも今の僕は、ログアウトすら叶わない。

 こんな状態でさっきのマネキン同様、オブジェクトごと破壊されたら、どうなってしまうのだろう。

 今この仮想で刺激のインとアウトを完結させている現実の僕「四ツ谷よつや 風悟ふうご」の脳髄は、無傷でいられるのだろうか。


 振りかぶられた手斧が、迫ってくる。


 思考と感情を切り離す。右腕でメニューバーを展開、アバターオプションのうち、ある対象行を見定めた。


Overlayオーバーレイ AvatarアバターGARGANOPSガルガノプスADMINアドミン―666』


 間髪入れず、咄嗟に指を走らせる。

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