神楽舞

海藤つばさ

第1章 試衛館編

第1話 大正4年

蝉の声も聞き飽きた、大正4年(1915年)の夏。


風鈴の音が、縁側に涼しげに響いた。


ーーーうちのおばあちゃんが、死んだ。


私は根っからのおばあちゃん子だった。



小さい頃からずっと一緒に住んでいた。


3人きょうだいの末っ子の私はたくさん可愛がってもらって、私は誰よりもおばあちゃんが大好きだった。


嫌なこととか、悲しかったこと、嬉しかったこととかを、全部全部おばあちゃんに話して一緒に笑ってきた。


お正月が近くなると、私はおばあちゃんと一緒にお節料理を作った。


おばあちゃんはお料理はあんまり得意じゃないみたいだけど、お正月に毎年卓に並ぶ伊達巻が嘘みたいに美味しかったことを、昨日のことみたいに覚えてる。


…通夜は…嫌いだ。


こうやってずっと死んだ人と向き合っていると、辛くなるばかりだ。


頬に、ぬるいものが伝う。


何度も何度も流し尽くした涙を拭いて、立ち上がった。


姿見に映った私の姿は、世にも酷いものに見える。


夏っぽい生ぬるい風が縁側から吹き抜け、私の髪を揺らす。


私の大嫌いな、小さな頃からいじめられてきたこの栗色の髪を、おばあちゃんは好きだと言って優しく撫でてくれた。


でも、そう言ってくれる人は、もういない。


そう思った途端にこの髪がまた恐ろしく醜いものに見えてきて、また涙が溢れてくる。



ーーーパサ


流れた涙が畳にこぼれた瞬間、小さい音が聞こえて、咄嗟に振り向く。



ーーー小さな紙きれが、落ちていた。



畳の上に落ちた茶ばんだそれを、恐る恐る丁寧に拾い上げる。



「、、、写真」



それは茶ばんでいて、ところどころ切れ目が入っているとても年季の入った写真。


写っていたのは、前髪を上げ、軍服を纏った若い男性だった。


椅子に深く腰掛け、切れ長の双眸はどこか凄絶な色を帯びているように見える。


…この写真、おばあちゃんのものなんだろうか。


写真を元あった場所と思われる戸棚に戻そうとした時、私は、写真が深く半分に折りたたまれていることに気がついた。


もう半分をそっと開くと、男性の隣に立つ、髪の短い同じく軍服姿の女性の姿が現れた。


「…私に、そっくり」


あまりに今の私と瓜二つのその姿に、思わずそう口に出た。


白黒で見ても分かる色素の薄さと、顎で切り揃えられたクセの強い髪と、縦に長い瞳。


ああ、おばあちゃんだ、と何故か思った。


なぜこんな格好をしているのか、隣の男性は誰なのか、この写真は一体何なのか、何もわからない。


無性に興味をそそられた私は、母に聞こうと思い、写真を手に廊下に出た。


一歩踏み出した瞬間、人にぶつかりそうになる。


咄嗟に足を止めて上を向くと、背が高い白髪の老人がいた。


通夜に来ているということは、おばあちゃんの生前の知り合いだろうか。


吊り上がった狼のような琥珀の瞳が、私を見下ろす。



私は横を通りすぎようとしたが、強く腕を掴まれた。


その驚きのあまり、私は思わず、


「ひゃっ」


と情けない声を漏らしてしまう。


でもそんなことを少しも気に留めず、その老人は唇を震わせ、一言。



「…その写真、見せてくれ」



言い知れない迫力に、言われるがままに写真を差し出す。


私から写真を受け取ると、老人は食い入るように写真を見た。


ゆっくりゆっくりと、その冷たい瞳の色が、柔らかく緩んでいく。


そして、掠れるような小さな声で、




「…副長…




ーーーかぐら…」




と、呟いた。




“かぐら”




それは紛れもない、私のおばあちゃんの名前…



「やっぱりその写真って…


うちのおばあちゃんなんですか?」



老人は写真を手に持ったまま、そっと目を閉じた。


しばらく何かを深く考え込むように黙る。




「ーーー話を、聞いてもらえるか?」




その何とも言えぬ迫力に、ただ黙って頷く。

私は座布団を二つ用意して、向かい合って座る。

縁側と隣り合わせの畳の部屋に、風鈴の音と蝉の声が響く。


「私はもう、長くない。

だから全て語り尽す。

それが…私が今日、ここまで生き永らえた意味だと思う」


言っていることはあんまり理解できなかった。

けど…何だか、得体の知れぬ迫力に押されて私は一言も言葉を発することができない。


全く老いを感じさせない、凛と張り詰めた声を胸に残したまま、私は老人の狼のような鋭い瞳を無意識に見つめ続けた。


シワが刻まれた細長い指で、写真を指差していく。



「これが、君の祖母だ。そしてこっちが…


ーーー新選組副長、土方歳三」



「…しんせんぐみ?」


聞き慣れない単語に、私がカタコトかつ疑問系で返すと、彼は少し間を空けてから説明してくれた。


「…幕末の京都の治安維持の為に結成された浪士組だ。君の祖母は、この新選組の隊士として刀を振るっていた」


「刀…?」


大正の街を歩いていればまず見ることのない、刀。


私の脳みそでは、理解が追いつかない。


女性であるおばあちゃんが、刀を使っていたの?


新選組とは、一体何なのだろう?


この男性は、おばあちゃんとどういう間柄だったのだろう?


抱えきれない疑問が私の頭に渦を巻く。


すると、突然、突風のような強く温い風が、庭から部屋を一気に駆け抜けていった。


私の髪が暴れ、風鈴が煩いくらいに涼しい音を立てる。


「彼女と私達が出会ったのは…

もう60年ほど昔。


東京の多摩地方の剣術道場…



ーーー試衛館しえいかんという所だ」







『まるで、天より遣わされた巫女が舞う、

美しい神楽のように彼女は戦場を舞った』





数少ない新選組幹部の生き残りの1人は、晩年にそう語ったとされている。

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