第7話 村を襲う影

村長の家に通されると、そこには数人の村人が集まっていた。

皆、疲れ果てた顔をしている。中には泣いている女性もいた。

「お待ちしておりました」

村長は六十過ぎの男性で、深い皺が刻まれた顔には、心労の色が濃く浮かんでいた。

「私は村長の源三と申します」

「蒼真です。こちらは白金」

「よろしくお願いします」

白金が丁寧に頭を下げた。

「では、早速だが状況を聞かせてもらえますか」

蒼真が言うと、村長は重い口を開いた。

「三日前の夜のことです。村外れの家が、妖怪に襲われました」

村長は震える手で、粗末な地図を広げた。

「最初の犠牲者は、猟師の吉蔵。家族が寝静まった深夜、何者かに攫われました」

「家族は気づかなかったんですか?」

「いいえ。妻が目を覚ましたときには、既に……」

村長の隣にいた女性が、泣き崩れた。

「あの人……あの人は何も悪いことしてないのに……!」

「奥さん……」

白金が女性の肩にそっと手を置いた。

「必ず、助け出します」

「本当に……本当ですか……?」

「ええ。約束します」

白金の優しい言葉に、女性は少しだけ落ち着きを取り戻した。

「二日目の夜は、農夫の権八が攫われました」

村長は地図の別の場所を指差す。

「そして昨夜、織物師の おたけが……」

「三人とも、家の中から攫われたんですか?」

「はい。それも、家族が気づかぬうちに」

蒼真は腕を組んで考えた。

音もなく人を攫う妖怪。しかも、家の中にまで侵入する。

「襲われた家に、共通点はありますか?」

「共通点……?」

村長は考え込んだ。

「うーむ……特には思い当たらんが……」

「では、攫われた三人は? 何か共通点は?」

「三人とも、真面目で働き者じゃった」

別の村人が口を挟んだ。

「それに、皆、家族思いで……」

「なるほど……」

蒼真は何かを考えているようだった。

「あの、もう一つ聞きたいのですが」

白金が村長に尋ねた。

「この村の近くに、何か変わったものはありませんか? 古い祠とか、神社とか」

「ああ、それなら」

村長は地図の北側を指差した。

「村の北に、『蛍火の沼』という場所がある」

「蛍火の沼?」

「昔から妖怪が住むと言われていてな。村人は近づかんようにしておる」

「その沼に、何か変化はありませんでしたか?」

白金が食い入るように聞く。

「そういえば……」

一人の若者が手を挙げた。

「一週間ほど前、沼から黒い霧のようなものが立ち上っているのを見ました」

「黒い霧……!」

白金と蒼真は顔を見合わせた。

「それは、神喰いの……」

「おそらく」

蒼真は立ち上がった。

「村長、その沼に案内してもらえますか」

「沼に? しかし、今から行けば日が暮れてしまう」

「構いません。むしろ、夜の方が都合がいい」

蒼真は短刀を確認した。

「妖怪は今夜も来る。その前に、こちらから仕掛けます」

「仕掛けるとは……まさか、沼に乗り込むつもりか!?」

「ええ」

村長たちは驚愕した。

「無茶じゃ! 陰陽師とはいえ、若造一人で……!」

「一人じゃありません」

白金が微笑んだ。

「二人です」

「それでも……」

「大丈夫です」

蒼真は村長の肩に手を置いた。

「俺たちを信じてください」

村長は蒼真の瞳を見つめた。

そこには、迷いがなかった。ただ真っ直ぐな決意だけがあった。

「……分かった」

村長は深く頷いた。

「では、わしが案内しよう」

夕暮れ時。

蒼真、白金、村長の三人は、村の北にある『蛍火の沼』へと向かっていた。

森の中の獣道を進むと、やがて開けた場所に出た。

そこには、不気味な沼が広がっていた。

水面は黒く淀み、腐った臭いが漂っている。周囲の木々は枯れ、生き物の気配がない。

「ここが、蛍火の沼……」

「昔は美しい場所だったんじゃがな」

村長は寂しそうに言った。

「十年ほど前から、少しずつ荒れ始めた」

「十年前……」

白金が呟いた。

「神喰いが活発化し始めた時期と重なります」

「やはり、ここに神喰いが……」

その時だった。

沼の中央から、黒い霧が立ち上った。

「出た……!」

村長が後ずさる。

霧は次第に形を成していく。それは――人の形をしていた。

いや、人ではない。人の姿をした、何か別のもの。

「グググ……ニンゲン……」

低い、地を這うような声。

「ニンゲンノ……ヌクモリ……ホシイ……」

「村長、下がってください」

蒼真は短刀を抜いた。

「わ、分かった……気をつけろ!」

村長は急いで森の中に隠れた。

「白金」

「はい」

白金が蒼真の隣に並ぶ。

「あれが、村人を攫った妖怪か?」

「いいえ。あれは妖怪ではありません」

白金の表情が厳しくなる。

「あれは『生成体』。神喰いの欠片が、人の負の感情を取り込んで生まれた、人造の妖怪です」

「人造……?」

「ええ。だから、普通の妖怪よりも厄介です」

生成体が沼から這い上がってくる。

その姿は、全身が黒い粘液に覆われた、人型の何か。

「ヌクモリ……サミシイ……ダレカ……」

「攫われた村人は、あの中に?」

「おそらく。生成体は、人の生命力を糧にします」

白金は九本の尾を広げた。

「急ぎましょう。でないと、村人たちが……」

「ああ」

蒼真は霊力を短刀に込めた。黄金の光が刃を包む。

「いくぞ、白金!」

「はい!」

二人は同時に駆け出した。

生成体が長い腕を伸ばしてくる。黒い粘液が、鞭のようにしなった。

「はっ!」

蒼真は腕を斬り払う。だが、斬られた腕はすぐに再生した。

「再生する……!」

「核を狙ってください! 胸の中心に、黒い珠があるはずです!」

白金が氷の刃を飛ばす。それは生成体の胸を貫いた。

だが、生成体は止まらない。

「ギィィィ……!」

生成体が口を大きく開けた。

その口の中には、無数の牙が並んでいる。

「蒼真様、避けて!」

白金の警告と同時に、生成体の口から黒い液体が噴き出した。

蒼真は横に飛び、何とか避ける。液体が地面に落ちると、ジュウッと音を立てて地面を溶かした。

「溶解液か……!」

「触れたら、霊力ごと溶かされます!」

「厄介だな……!」

蒼真は距離を取りながら、生成体の動きを観察した。

動きは遅い。だが、再生能力と溶解液が厄介だ。

どうする? どうやって核を破壊する?

「蒼真様!」

白金の声が響く。

「私が動きを止めます! その隙に、核を!」

「分かった!」

白金が印を結ぶ。

「■■■(氷結陣)!」

白金の足元から、氷が広がっていく。それは地面を這い、生成体の足元まで到達した。

「グギィ!?」

生成体の足が凍りつき、動けなくなる。

「今です!」

「ああ!」

蒼真は全速力で駆けた。

生成体の胸を目指し、短刀を振りかぶる。

だがその瞬間――

「ギャアアアァァ!」

生成体が叫び、全身から黒い棘を噴出させた。

「しまっ……!」

避けきれない。このままでは――

「蒼真様ぁっ!」

白金が蒼真の前に飛び込んだ。

バシュッ!

棘が白金の身体を貫く。

「白金!」

「大丈夫……です……!」

白金は血を流しながらも、笑っていた。

「私は……式神……少しくらい……」

「無茶するな!」

蒼真の中で、何かが弾けた。

怒り。悲しみ。そして――守りたいという、強い想い。

「もう……誰も……!」

蒼真の右手の痣が、激しく光り始めた。

「誰も失わせない……!」

黄金の霊力が、爆発的に溢れ出す。

それは今までとは違う、圧倒的な力。

「■■■■■(我、神殺しの名において命ず)!」

蒼真の口から、古代の言葉が紡がれる。

「■■■(滅びよ、偽りの命)!」

蒼真の短刀が、光の剣へと変化した。

「うおおおおぉぉぉ!」

蒼真は光の剣を、生成体の胸に突き立てた。

ドォォォン!

光が爆発し、生成体の身体を貫く。

「ギャアアアアアァァァ!」

生成体の悲鳴が、沼に響き渡った。

そして――

生成体の身体が崩れ落ち、黒い粘液となって消えていった。

その中から、三人の村人が現れた。

「村人たちが……!」

蒼真は急いで彼らに駆け寄る。

「大丈夫か!?」

「う……ここは……?」

村人たちは意識を取り戻し始めた。

「よかった……生きてる……」

蒼真は安堵のため息をついた。

「蒼真様……」

白金が倒れそうになる。

「白金!」

蒼真は慌てて白金を支えた。

「すみません……少し、力を使いすぎました……」

「無茶するな。俺を庇うなんて……」

「だって……蒼真様が死んだら……私……」

白金の瞳から、涙が零れた。

「私、生きていけませんから……」

蒼真は何も言えなかった。

ただ、白金をしっかりと抱きしめた。

「……ありがとう」

「いえ……」

白金は蒼真の胸で、小さく微笑んだ。

夜空には、満月が浮かんでいた。

最初の依頼は、無事に完了した。

そして蒼真は、改めて誓った。

もう二度と、大切な者を失わないと。

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