第2章その7 人狼と優勝者


 ベロニカが指をパチンと鳴らすと、顔つきのよく似た若い男と中年の男が、布に包まれた巨大な物体を、フゥフゥ言いながら運んできた。

 舞台がきしむほどの重量感だ。

「お兄ちゃん、もう少し左向きに回して。お父さんたら、体がなまってるんじゃないの?」

(家族かよ……)

 ベロニカは二人を顎で使い、物体の位置を細かく調整させた。汗だくの兄と父は、仕事を終えると逃げるように舞台袖へ消えていった。

「さてわたくしがタチバナ様にお見せするのは……製作期間十日、ほとんど寝ずにしあげたこちらの作品ですわ!」

 ベロニカが勢いよく布を引き剥がした。

 わっ、というどよめきが広場を包んだ。

 そこに現れたのは、黒光りする石を彫って作られた、ほぼ等身大の石像だった。

 モチーフは狼男――タチバナだ。そしてその狼男に、しなやかな肢体の女の人狼が絡みついている。二匹は裸で抱き合い、互いの首筋に牙を立てんばかりの情熱的なポーズをとっていた。筋肉の隆起、毛並みの質感、そして表情の陶酔感が――あまりに。

「満月の夜は人狼を狂わせる……タチバナ様が見て悦ぶものといえば、やはり人狼同士のMA・GU・WA・Iですわ! どうです、このなまめかしさ!」

 ベロニカが高らかに宣言する。

 タチバナは天を仰いだ。

「……いや、すごいよ、確かに。十日でこれほどの物を作り上げるとは」

 ベロニカが両手を胸の前で組んでうっとりする。

(俺が喜ぶもの……というテーマは完全に外してるが。なんか村の奴らも困ってるし)

 会場の空気は微妙だった。頬を赤らめて目を背ける娘や、咳払いをする男たち。ローズはスズの目を手で覆っているし、アイリスはやれやれと頭をかいている。

 タチバナは乾いた拍手をした。

「とにかく見せてもらったから……ベロニカの出番はこれでいいか?」

「ええ? もう終わりですの? 今すぐスタオベして"お前が優勝だ!"って叫んでくれるのでは!?」

「どうなってるんだ、お前の中の俺は」

 タチバナの冷たい反応に、ベロニカは不満そうに唇を尖らせて舞台を降りていった。兄と父が再び現れ、重そうな石像を運び出す。

          ***

 マーガレットが再び壇上に上がった。

「さて、楽しかったコンテストもそろそろおしまいじゃ」

 タチバナの周りには、花冠や手作りの人形、家具など、村人から贈られた品々が山のように積まれている。

「誰が一番お主を喜ばせたのか、決めてもらおうかのお」

 マーガレットがタチバナを見た。タチバナは気まずそうに顔を歪めた。

(きたか……)

 会場の百近い視線が一斉にタチバナに集まる。

(匂いが一気に変わりやがった。ワクワクするような……期待の心の匂い)

「やっぱスズの踊りじゃねえか」

「デイジーのチーズは美味そうに食ってたぜ」

 ささやき声が聞こえる。ベロニカは腕組みをして自信満々にタチバナを見つめ、ローズとスズも笑顔で待っている。アイリスだけが、我関せずといった様子でドーナツを食べていた。

(このコンテスト……くだらねえと思っていたが、俺も楽しんだ部分があったのは認めよう。だけど、コンテスト前から機嫌取りをされるのも面倒だし、見世物みてえにずっと壇上にいるのは性に合わねえし、新参の俺ごときが村の人間たちに順位を付けるのも気が進まねえ。それに、ガチに順位を付けようとしても決めがたい……!!!)

「さあ、タチバナ……優勝者は誰じゃ!?」

 マーガレットが促す。

(ここまで盛り上がっちまうと、来年またやろうと言い出すやつが出かねない。別にそれはいいが、少なくともこの人狼は審査員に向かねえってみんなに思わせる必要がある。それだけは絶対だ。悪いなスズ……デイジーさん……村のみんな……もう十分楽しんだろう? 優勝者なんて、大した意味はねえ。だから……俺はこうする)

 タチバナは息を吸い込み、立ち上がった。

「村長、参加者ならもう一人いるぜ。どうやら本人が忘れてるみてえだ」

「ほっ? 誰じゃ」

 タチバナは客席の隅を指さした。

「アイリス!」

 アイリスが驚いてドーナツを持ったまま顔を上げた。

「は? あたし?」

「舞台に上がれ」

 ざわめく村人たちの視線を浴びて、アイリスがしぶしぶと壇上に上がってきた。

「なんだよ?」

 タチバナはポケットから、ある物を取り出した。

 黒く焦げた、食べかけのドーナツだ。先日アイリスの家で食べたあの失敗作である。

「あ!」

 アイリスが声を上げる。

「それは?」

 マーガレットが怪訝そうに覗き込む。

「これはアイリスがこさえたドーナツだ。アイリスはこれを俺に贈った」

「いや、確かにやったけど……え? それを今?」

 タチバナは黒焦げのドーナツを口に放り込み、勢いよく噛み砕いた。

 ガリッ、ジャリッ。

 焦げた欠片が口の端からこぼれる。口の中に広がるのは、炭と鉄のような苦味。

(マジで鉄食ってるみてえな匂いと味だな……だがしょうがねえ、これも俺の安らかな暮らしのため……アイリス、すまんな)

 タチバナは満面の笑みを作って叫んだ。

「う、うめえええ! 最高の味だ! 優勝は、アイリスだ!」

 タチバナが大げさに手を叩く。

「はああ!?」

 アイリスが素っ頓狂な声を上げた。

「い、いいのかタチバナ。黒焦げに見えたが」

「いやこれが香ばしくて最高なんだよ。人狼の味覚はちょっと人間とは違うところがあるからよ、他のみんなも素晴らしかったが、優勝はやっぱりこれだ」

「そうか……まあ、あくまでお主が一番喜ぶものを優勝にするのがルールじゃからな。……優勝は、アイリス!」

 マーガレットが高らかに宣言する。

「いやいや! おい、どうなってんだタチバナ!?」

「謙遜するな。うまかったぜお前のドーナツ」

 客席からざわめきが起こる。戸惑い、困惑、そして諦めの匂い。

(……よし)

 タチバナはローズを見た。ローズも困惑した顔をしていたが、タチバナの視線に気づき、ハッとしたように表情を緩めた。

 タチバナが拍手を続ける。

「おめでとう!」

 ローズがそれに合わせるように拍手を始めた。

「まあタチバナさんがいいなら、いいか」

「いやいやスズの踊りの方が良かったろ~やっぱ人狼にはわからねえか」

「それより酒でも飲もうや」

 村人たちの拍手は次第に大きくなり、やがて笑顔に変わっていった。

(匂いが変わってきたな。失望、満足感、入り乱れてる)

 村人たちは拍手をしながらも、すでに酒や料理に手を伸ばし始めている。彼らの関心はコンテストの結果から、目の前の宴会へと移っていた。

(強い匂いはない……もう村の人間の気持ちはコンテストの結果なんてどうでもよくなってる……もともと祭りの企画の一つだからな……これで来年も俺を審査員に選ぼうなんて考えるやつはいないはずだ……)

 タチバナは安堵した。

 アイリスが困惑したまま、壇上で立ち尽くしている。マーガレットは台座から水晶の女神像を持ち上げ、アイリスに手渡した。

 拍手の中、村人たちは談笑を始め、もう舞台を見ていない者も多い。

 その時だった。

「!?」

 タチバナの鼻が、強烈な異臭を捉えた。

(なんだ……? これは、嫉妬の匂いだ。どこからだ? 腐りきった果物みてえな嫉妬の匂いを発してる奴が一人だけいる……誰だ?)

 タチバナは鋭い視線で客席を見渡した。

 ゾクリ、と背筋が凍る。

 女神像を持つアイリスを、険しい顔で睨みつけている人物がいた。

 ベロニカだ。

(嫉妬してるのは……ベロニカだ!)

 その瞳に宿る暗い光と、漂ってくるドロドロとした感情の匂いに、タチバナは戦慄した。

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