覚えているのは
白石ひなたは、朝倉 光一の背中を見つめていた。
話しかける勇気は、まだない。
ただ見ているだけで、胸がいっぱいになる。
——覚えていなくても。
それでもいいと、自分に言い聞かせる。
光一は、いつも一人でいるようで、
実際は必ず桐生直人の隣にいる。
二人の距離は、近すぎるほど近い。
「光一」
直人が名前を呼ぶと、
光一は必ず足を止める。
それを見て、ひなたは思う。
——あの人は、直人くんだけを信じてる。
昼休み。
ひなたは、窓の外に落ちる雲の影を見ながら、
小さな頃のことを思い出していた。
転んで、泣いて、動けなくなったあの日。
「大丈夫?」
差し出された手。
無表情だったけれど、声は優しかった。
その温度を、今も覚えている。
「ひなた、どうかしたの?」
友達の声に、ひなたは我に返る。
「ううん、なんでもない」
そう言って笑うが、
心はずっと、同じ場所にあった。
放課後。
昇降口で、ひなたは二人を見つけた。
光一と直人。
並んで靴を履いている。
今なら——
今なら、声をかけられるかもしれない。
「……あ、あの」
声が小さく震えた。
二人が振り返る。
「白石?」
直人が先に気づいた。
光一は、無表情でこちらを見る。
「何か用?」
その声に、少しだけ胸が痛んだ。
「その……今日、暑いから」
言葉が迷子になる。
「気をつけて帰ってください」
沈黙。
光一は一拍置いて言った。
「分かった」
それだけ。
でも、ひなたは少しだけ救われた気がした。
二人が去ったあと、
直人がちらりと振り返った気がした。
——気のせいじゃない。
ひなたは、胸に手を当てる。
怖い。
近づけば、傷つくかもしれない。
それでも。
「……逃げない」
小さく呟く。
覚えていなくてもいい。
感情がなくてもいい。
それでも、好きだ。
白石ひなたは、
朝倉 光一に恋をしている。
その事実だけは、
絶対に消えなかった。
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