完全手動(フルマニュアル)おじさん、システム補正を切っていたら運営に人間卒業させられました。

別所 セラ

地球にダンジョンが現れた。

第1話 完全手動(フルマニュアル)おじさんの、日常

 ダンジョン入口のゲート前は、今日も騒がしい。


「今回のアタックでは、16層到達できるかもな!」


 声の主は、全身を銀色のフルプレートアーマーで固めた若い男。

 朝日を反射して眩しい。物理的にも、精神的にも。


「入って2年でここまで来れるとは思わなかったぜ」


「才能あるからな、俺ら。このペースなら白金級プラチナも夢じゃないぞ」


 取り巻きたちも、負けじと高そうな装備を見せつける。

 魔導士風の女の子が、最新型のスマホを構えてキャピキャピ笑っていた。


「ねえ、配信映えするモンスター狙おうよ。今日は絶対バズるって!」


「おお、いいなそれ! サムネ用のポーズ考えとくか」


「あ、ちょっと待って。光の加減が……」


 若さというのは、時として暴力だ。

 未来への希望。才能への無邪気な信頼。

 彼らの目には、ダンジョンという死地さえも、自分たちを輝かせるステージに映っているらしい。


 三人はゲートを背景に、楽しそうに自撮りを始める。

 シャラ、と新品の鎧が軽やかな音を立てた。漂ってくるのは、甘いコロンの香り。


 ――その横を、空気のように通り過ぎる。


 カツン、カツン。

 足元から響くのは、履き潰した安全靴の無骨な音だけ。

 染み付いているのは鉄錆と、ダンジョンのカビ臭さ。


 誰もこっちを見ない。

 視界の端にすら入っていない。完璧なスルー。


 まあ、無理もないか。

 俺の装備ときたら、作業着に安全靴。腰には古びたポーチ。

 そして武器は――ただの鉄パイプ。

 金がないわけじゃない。いろいろ試した結果、この「ただの鉄の棒」が一番手に馴染んだだけだ。折れても拾えるし、何よりシステムに干渉されない「ただの物質」である点が気に入っている。


 探索者というより、現場の下見に来た工務店のおっさんである。


 10年も潜ってるのに、今日が始めてです、みたいな装備。オーラがなさすぎる。


「……16層中層か」


 ゲートの光に包まれながら、独りごちる。

 彼らは2年でそこに辿り着いた。


 俺が到達したのは、4年目だったか。


 泥水を啜り、地べたを這いずり回って、ようやく辿り着いた場所。

 それを彼らは、ピクニック気分で駆け抜けていく。

 悔しくないと言えば嘘になる。

 だが――不思議と腹は立たなかった。


 才能というのは残酷だ。

 ある奴にはあるし、ない奴にはない。俺は後者。それだけの話。


 転送が完了する。

 ゲート前の喧騒が消え、湿った冷気が肌を撫でた。


「……ふぅ」


 一つ、息を吐く。

 襟を正し、鉄パイプを握り直す。

 手に馴染む、冷たくて硬い感触。これだけが俺の相棒だ。


 彼らには彼らの、キラキラした道がある。

 俺には俺の、地味で薄暗い道がある。


 それでいい。

 今日も仕事の時間だ。


 重い足が、自然と前へ踏み出していた。


 ◆


 浅層エリアは、カビと鉄錆の臭いがする。

 壁の発光苔が、頼りない青白い光を放っていた。

 静かだ。誰もいない。

 今の時間は、もっと効率の良い狩場に人が流れている。いわゆる「不人気スポット」。


 そこが、俺の仕事場だ。


 角を曲がる。

 ――いた。


 通路の真ん中で、半透明のゼリーがふよふよ浮いている。

 スライム。上野 不忍池ダンジョンの不人気モンスター。


 こいつがまた、探索者たちにすこぶる評判が悪い。

 理由は単純。「コスパが最悪」だからだ。


 実のところ、スライムは素材の宝庫である。

 稀に落とす『スライムジェル』は超高級化粧品の原料になるし、『スライムウォーター』はポーションの基材として高値で売れる。

 確定ドロップの『スライム核』だって、生活魔導具の燃料として安定した需要がある。


 だが、それでも手を出す人は少ない。


 まず、MP効率が悪い。

 探索者にとってMPは生命線。便利な「スキル」を使うにはMPが必須で、無駄遣いは命取りになる。

 だがスライムは酸を使ってくる。武器を守るために魔力を纏わせれば、その分MPをごっそり持っていかれる。攻撃を受ければ防具の修理費がかさむ。

 これなら、少し先の階層で別のモンスターを狩る方が、よほど資金効率もMP効率も良い。


 そして何より――「エイム補助」が効かない。


 現代の探索者は、全員が「システム補正」に依存している。

 攻撃を当てやすくするエイム補助、無理な体勢でも動ける姿勢制御、スキル発動の簡略化、魔力操作のアシスト機能、さらには恐怖を和らげる痛覚抑制まで。

 至れり尽くせりの機能のおかげで、素人でもそれなりに戦えるのがダンジョンという場所だ。


 だが、スライムは例外。

 弱点の「核」が体内を不規則に移動するため、エイム補助が追いつかない。攻撃しても核に当たるとは限らない。

 そして、魔力を付与せず攻撃すると、素材によっては酸で武器がボロボロに。

 かと言って魔力を付与して攻撃する場合、MPが固定で消費される。

 倒すころにはMPがムダに消費され、得られるモノも多くない、と。


 だから、誰も狩らない。

 おかげで、ここ数年間、この場所は俺の貸し切りの仕事場になっている。


「……よし」


 呼吸を整える。

 システムのアシストは切ってある。自分以外には見たことがない『完全手動フルマニュアル』設定。

 

 オートを使ったのは、探索者になった初日だけだ。

 体を動かされてる感じがして気持ち悪かったから、それ以降はずっとマニュアル設定。

 「男は黙ってマニュアル操作」と布教活動してた時期もあるが、ついぞ、誰も真似してくれなかった。


 だが、そのコダワリが思わぬ副産物を生む。

 システム補正を使わないおかげで、魔力操作の自由度が劇的に上がったのだ。


 鉄パイプに薄く魔力を纏わせる。

 普通の探索者は攻撃のたびにシステムが自動で魔力を消費するが、俺は違う。

 一度付与した魔力を、呼吸のように維持し続ける。

 これならMP消費は最初の1回だけ。スライムを何百匹狩ろうが、追加コストはゼロだ。


 それに、スライムの不規則な動きも、俺には止まって見える。

 昔、これより遥かに深く、遥かに速いバケモノたちが跋扈する階層で生き延びてきた。

 それに比べれば、こいつらの動きはスローモーションだ。


 スライムがこっちに気づく。滑るように寄ってきた。

 動かない。

 ただ一点――体内で明滅する紅黒の点を見つめる。


 不規則な軌道。予測不能な動き。

 エイム補正ではお手上げの、カオスな挙動。


 だが、見える。


 右と見せかけて、上。そこから急降下して、左回転。


 ――ここだ。


 思考より先に、体が最適解をなぞる。

 足裏が湿った地面を捉え、腰の回転が鉄パイプへと伝播する。

 システムによる『攻撃軌道予測(アシストライン)』なんて邪魔なものはない。俺の網膜には、奴の動きの「先」が焼き付いている。


 鉄パイプが空気を裂く音。

 酸の飛沫を一滴たりとも浴びないよう、インパクトの瞬間に手首を返す超精密動作マイクロ・コントロール


 ――グシャリ。


 鉄パイプ越しに、掌へ伝わる感触。

 柔らかい粘液を貫通し、硬質な核(コア)を粉砕する、独特の反発力。

 システム越しではフィルタリングされてしまう、この生々しい「破壊の感触」こそが、マニュアル操作の醍醐味だ。


 一瞬の静寂。

 バシャリ、とスライムが崩れ落ちる。


 残ったのは、キラリと光るスライムコア。

 拾い上げる。指先にひんやりとした感触が走った。


「……ふん」


 悪くない。

 

 確かに、システムに頼れば楽なんだろう。疲れないし、考えなくていい。

 だが、この「達成感」はないはずだ。

 自分の筋肉が動き、骨が軋み、狙い通りに獲物を仕留める。

 脳汁が溢れ出すような、この快感。

 これは、マニュアルでしか味わえない。


 俺は、これが好きなのだ。


 ……いや、よそう。

 いい年したおっさんが、スライム狩りに美学を感じてどうする。

 所詮、これは仕事だ。生活のため。老後のため。


 自分に言い聞かせ、コアをポーチに放り込む。

 レベル100で解放されるインベントリに直接しまえば楽なのは分かっている。だが、狩りの最中にいちいちウィンドウを開くのは集中が切れる。それに――

 チャリン、という音が心地いい。

 この音が積み重なるたびに、俺の老後資金が増えていく。

 デジタルの数字より、この重みと音の方が「稼いでる感」があるんだよな。

 うん、悪くない。


「次」


 奥から、リスポーンしたスライムたちが湧いてくる。

 全部で五匹。

 普通の探索者なら逃げ出す数だ。


 だが、口元が自然と緩んでしまう。

 さあ、稼ぎの時間だ。定時までに終わらせるぞ。


 ◆


 六時間経過。

 まだ、同じ通路に立っている。


 流石に少し疲れた。

 汗ばむシャツを感じながら、スポドリを流し込み、息をつく。

 カウンターは582。

 600匹まで、あと少し。


 システム補正がないから、疲労も100%自分持ちだ。

 とはいえ、Lv.220は伊達じゃない。

 このくらいの運動量なら、いくらでもぶっ通しで続けられる。疲労は感じるが、回復も早い。

 システム補正に頼る奴らは、疲労感を軽減して動けるらしいが、俺はこの「疲れ」が好きだ。

 仕事した、という実感があるしな。


 このエリアの三カ所の湧きポイントをローテーションで回る「巡回業務」。

 誰にも邪魔されず、誰とも話さず、ひたすら狩る。


 3年前、あの人が死んでから、俺はずっとこうだ。

 深層には行かない。パーティは組まない。危険とは程遠い場所で、コツコツ核を狙い続ける。

 この地道な積み重ねこそが、今はどこにいるか分からない『アイツクソ虫』への復讐に繋がると信じている。


 ――本当は、もっと上に行きたかったとしても。

 ――本当は、もっと強くなりたかったとしても。

 死んでしまっては意味がない。


「……よし」


 最後のポイント。

 スライム三匹が、団子になってお待ちかねだ。


 チャンス。

 助走なしで踏み込む。

 一撃目、突き。手前の核を粉砕。

 引き抜く反動で回転、二撃目を横薙ぎ。二匹目を処理。

 残った一匹が飛びかかってくるが、軌道は見えている。

 頭を下げて回避、アッパー気味の一撃。


 パンッ。

 三匹同時撃破。


 流れるようにドロップを回収。

 完璧だ。無駄がない。自画自賛したくなるレベル。

 こんな雑魚狩りを極めても、世界は救えないし、秘銀級ミスリルにもなれないけどな。


 でも、『完全手動フルマニュアル』設定。

 これは俺だけのものだ。

 システムから借りた力じゃない。

 俺自身が積み上げた、誰にも奪えない力。


 ポーチがずっしりと腰に食い込む。

 その重みが、俺の生き方を肯定してくれている気がした。


「あと15匹……よし、一気にいくか」


 ペースを上げ、次々とスライムを処理していく。

 そして600匹目を仕留めた瞬間――


 視界の端に、ノイズが走った。

 チカチカと明滅する、見たこともない色のウィンドウ。いつもの安っぽい青色じゃない。警告色めいた深い赤と深淵のような黒が混じった異変。


『システム通知:スライム種の累積討伐数が規定値に到達しました』


「……あ?」


 文字列が滲んでいる。まるで、システムそのものがバグりかけているような不安定さ。


 眉をひそめる。

 システムからの通知?

 マップやステータス確認、収納機能でウィンドウは使うが、向こうからメッセージが来るなんて珍しい。

 普通の探索者ならスキル獲得やらで頻繁に出るらしいが、成長が止まった俺にはここ数年無縁の現象だ。


『特別報酬の権利が発生しました』

『注意:本報酬の受け取りには、システムの大規模なアップデートが伴う可能性があります』


「邪魔だな……」


 目の前に文字が浮いていると、索敵の邪魔になる。

 手で払うようなジェスチャーをして、ウィンドウを最小化した。

 内容はあとで確認すればいい。今は残りの作業を片付けるのが先決だ。


 家に帰るまでが仕事だからな。最後まで気を抜かずに行こう。



 ◆

 

「よし、今日も定時で終われた」

 17時ジャスト。探索者協会の換金所カウンターにいた。

 まぁ、探索者に定時なんて概念は本来ない。

 だが俺は、勝手に「9時出勤・17時退勤」と決めている。

 ダラダラ働くより、時間を区切った方が集中できる。それに、夜はビールが待っている。


「お疲れ様です、湊さん!」


 窓口の向こうで、黒髪のポニーテールが揺れた。

 舟木 葵さん。協会の換金窓口を担当する、馴染みの職員だ。

 切れ長の目元と、てきぱきした所作。仕事ができる女性特有の、隙のない雰囲気を纏っている。

 最初は事務的だったが、毎日顔を合わせるうちに少し砕けた対応になった。

 この短いやり取りが俺の一日の中で数少ない「人との会話」だったりする。


「お疲れ様です。今日の分」


 空中に指を走らせ、インベントリを開く。

 トレイの上で「一括排出」をタップすると、光の粒子が収束し、大量のドロップ品が実体化した。

 ジャラジャラと山を作るスライム核。ボトルと瓶が整然と並ぶ。


 周囲の探索者たちが、ギョッとしてこっちを見る。

「うわ、またあの人かよ……」

「スライムハンターだろ? よくやるよなぁ、あんな割に合わないこと」

「装備見た? 未だに鉄パイプだぜ」


 ヒソヒソとした嘲笑交じりの声。

 そりゃそうだ。スライム素材集めなんて、普通はコスパが悪くて誰もやらない。

 これだけの量を持ち込む変人は、俺くらいのものだ。


「うわぁ……今日もすごい量ですね!」


 舟木さんは手慣れた様子で鑑定していく。


「はい、スライム核600個。全部品質A。欠けなし、濁りなし。相変わらず完璧な処理ですね。それに……」


 トレイの隅にあるボトルと瓶を手に取る。


「スライムウォーターが15本に、高純度のスライムジェルが3個……! 今日は大漁ですね!」

「まあ、運が良かっただけですよ」

「またまた。これだけ大量に採取できるのは湊さんくらいですよ」


 ポニーテールを少し揺らしながら、彼女が溜め息をもらす。

 そこには「またこの人は……」という呆れと、隠しきれない職務上の敬意が入り混じっていた。

 お世辞じゃない、マジなトーンだ。


「ただの数撃ちゃ当たる戦法ですよ」

「謙遜しすぎです」


 苦笑しながら処理を進める彼女。


「まあ、これでも結構ベテランですから」

「継続は力なり、ってやつですか。本当にすばらしいです」

「格好つけて言いましたけど、他に取り柄がないだけです」


 軽口を叩きながら、内心ホッとしていた。

 彼女は俺を「スライム狩りのプロ」として認めてくれている。

 馬鹿にせず、対等に接してくれる。


 この短いやり取りだけが、俺が探索者であることを実感できる唯一の時間だ。

 透明人間の俺が、唯一、輪郭を持てる場所。


「本日の買取金額が確定しました。いつも通り振込でよかったですか?」

「はい、それで」


 提示された金額は、約55万円。

 アンチエイジング効果のあるジェルの買取価格が高騰しているおかげで、サラリーマンの月収を1日で稼ぎ出してしまった。

 トップランカーの稼ぎに比べれば鼻糞みたいなもんだろうが、何の危険もなく稼ぐ分には十分すぎる額だ。


「ありがとうございます」

「あ、そうだ湊さん。最近、16層から30層あたりで崩落事故が増えてるみたいなので、気をつけてくださいね」


 中層か。

 浅層の先、深層の手前。黄金級ゴールド探索者の主戦場だ。

 俺も最終到達層やレベルで考えると黄金級だから、本来ならそのあたりで稼ぐべきなんだろう。

 だが、ここ数年はずっと浅層に引きこもっている。


「まあ、俺は15層より下には行かないんで」

「もったいないですよ。湊さんのレベルなら、中層でも十分やっていけるのに」


 舟木さんの言葉を、曖昧な愛想笑いで流した。

 彼女は俺の探索記録を見られる立場だ。かつて30層台――深層の入り口まで潜っていたことも知っているんだろう。

 だが、それは4年前の話。今の俺はただのスライムハンターに過ぎない。


 それでも、首を振る。


「俺はここでいいんです。手の届く範囲で、地道にやるのが性に合ってるんで」

「……そうですか。湊さんらしいですね」


 彼女は少し残念そうに、でも優しく微笑んだ。


「また明日もお待ちしてますね」

「はい。お疲れ様でした」


 軽く頭を下げ、カウンターを離れる。

 背後で、次の探索者が自慢話を始めている。

 逃げるように協会を後にした。



 ◆


 帰宅したら速攻でシャワーを浴びて、即ビール。

 さっぱりして、直ぐにプシュッといって、ゴクゴクいく。

 最高だ。これぞ大人の至福。

 喉を通り抜ける炭酸の刺激が、今日一日の疲れを洗い流していく。



「……そういえば」


 昼間の出来事を思い出した。

 作業中に邪魔してきた、システムウィンドウの通知だ。


「あれ、なんだったんだ?」


 空中に指を滑らせ、最小化していたアイコンを展開する。

 リビングの空中に、再びあの不気味な色の文字が浮かび上がった。

 やはりノイズが混じっている。


『システム通知:スライムの累積討伐数が規定値に到達しました』

『特別報酬の権利が発生しました』


「……特別報酬?」


 思わず身を乗り出す。

 スライムの累積討伐数で報酬がもらえるのか。10年やってきて初めて見る通知だ。

 何十万匹も狩ってきた甲斐があったというものか。正直、ちょっと嬉しい。


『注意:本報酬の受け取りには、システムの大規模なアップデートが伴う可能性があります。安全な場所で実行してください』

『実行しますか? [YES] / [NO]』


「……大規模なアップデート?」


 嬉しさが一気に萎んだ。なんだその不穏な文言は。

 どう見てもシステムウィンドウだから偽装ではないだろうが、こんな通知は聞いたことがない。

 ダンジョン発生と同時に世界中に広まった、謎のテクノロジー。

 誰が作ったのか、どこから発信されているのか、誕生から32年経った今も誰も知らない代物だ。

 そんなものからの「アップデート」など、素直に喜べるわけがない。


 ……とはいえ、報酬は気になる。老後資金に上乗せできるかもしれない。


「まあ、明日じっくり調べてからでいいか」


 今はビールが大事だ。ぬるくなっちまう。

 ウィンドウを消そうと、虚空をスワイプした。

 だが。


『実行しますか?』


 消えない。

 しつこい。

 [×]ボタンを押しても、強制終了コマンドを試しても、視界の中央に居座り続けている。


「おいおい、スパムメールかよ」


 舌打ち。

 これだからデジタルは信用できない。叩けば直る昭和の家電を見習ってほしい。昭和生まれじゃないから知らんけど。

 諦めて、[YES] ボタンをタップする。


「はいはい、YES YES。これで文句ないだろ」


 指先が光に触れた瞬間。

 部屋全体がカッと発光した。


「うわっ!?」


 眩しっ。

 システムウィンドウの故障か?

 いや、空間そのものが歪んでいるような――


『対象のアバターログを確認』


 どこからともなく、機械音声が響く。

 耳じゃない。脳に直接語りかけてくる。

 湊 景明みなと かげあきよ、聞こえますね……今あなたの心に直接かたりかけていますってか。やかましいわ。


『通知:上位スキルを付与します……スキャン中』

『対象のアバターログを確認。システム補正の使用が長期間確認されていません』

『警告:対象の生体データが規定値を大幅に超過。毒素耐性レベル:MAX』

『推奨:アバターによる保護は不要と判断』


「な、なんだ……?」


 金縛りだ。指一本動かせない。

 視界がホワイトアウトしていく。


『推奨:凍結されたプロトコル【自律進化スタンドアローン】が最適と判断』

『付与のため、最終審査を開始します。適合者候補、湊景明』


「審査? おい待て、俺はただの報酬を――」


 抗議も虚しく、意識が遠のいていく。

 最後に感じたのは、浮遊感と、こぼれたビールの匂い。

 

 ……おい、俺のビール!


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