第6話:暗躍する影
第6話:暗躍する影
雨が降りしきる夜。東京の街は濡れたアスファルトに映る街灯の光で、まるで水面に揺れる影のように揺らいでいた。田中はコートの襟を立て、雨粒が頬に冷たく当たる感触に身を震わせながら、約束のカフェの前に立っていた。湿った空気には、コーヒーの香りと排気ガスの匂いが混じり合い、街全体が息を潜めているかのようだ。
「……こんな夜に、会うなんて。」田中は小声でつぶやく。
「仕事には休みはありませんからね」
返事はカフェの入り口から出てきた細身の人物、情報提供者の松井だった。黒い傘の下で、薄暗い表情が雨に濡れて光る。
二人は人目を避けるように店内へ。木の床の軋む音、カランと鳴るドアの音、冷たい風が隙間から入る。カフェの中は、コーヒー豆の香ばしい匂いと湿ったコートの匂いで満たされていた。
「田中さん……あの契約、表面上は合法的に見えるように作られていました。しかし裏では、銀行や不動産の関係者にまで影響力を行使しています」
松井の声は低く、落ち着いているが、どこか冷たい緊張感を帯びていた。
田中は手元のメモ帳を指でなぞり、雨に濡れた街の情景を頭の中で思い浮かべる。心臓がじんじんと高鳴り、掌の湿り気が熱を帯びる。目の前の人物の息遣いまで、まるで空気を震わせて伝わってくる。
「具体的には?」田中は問い返す。
松井はしばらく沈黙し、指先でカップの縁を撫でる。
「役割分担ははっきりしています。契約書類作成班、金融機関担当、登記操作班、接触班……全員が完璧な連携を取り、情報は階層ごとに厳重に管理されています」
田中は眉をひそめ、冷たい雨の音を思い出す。カフェの窓ガラスに叩きつける雨粒のリズムは、まるで地面師たちの巧妙なネットワークを象徴しているかのようだ。
「……銀行まで巻き込んでいたのか」
「ええ、資金の流れを正規のルートに見せるためです。振込記録、書類の偽装……どれも完璧でした。あの55億円は、ほとんど誰の手にも触れず、瞬く間に移動したと考えられます」
松井の言葉に、田中の背筋に冷たい鳥肌が立つ。
「それで、今、動きは?」田中が尋ねる。
「一部の容疑者が、ようやく逮捕されました」
松井の目が暗く光る。カフェの照明が彼の瞳に反射し、深い闇を映し出す。
「逮捕……?」田中の胸が高鳴る。手が震え、カップの縁が指先に触れた瞬間、微かな冷たさが走った。
「ええ、接触班の一部です。情報は限られていますが、捜査官の手で確保されました。しかし、影の核心はまだ捕らえられていません」
田中はテーブルに拳を打ちつける。音が木の床を通して響き、カフェの空気が一瞬ざわめいた。
「……影の核心……」田中は低くつぶやく。
「そう。地面師グループのリーダー、冷静沈着で、表情一つ変えずに全体をコントロールしている男です」
田中は椅子の背もたれに体を預け、深く息を吸う。冷たい空気が肺を満たし、緊張が血液を駆け巡る。指先の震えが、情報の重みを物語る。
「田中さん、ここから先は、あなた次第です」松井は低く警告する。
「俺が……やらなきゃならないのか」田中の声は掠れ、雨音のように切なく響く。
その夜、田中は一人、社に戻り、逮捕された容疑者の情報を整理する。蛍光灯の光が白く冷たく、手元の書類に影を落とす。ページをめくる音、インクの匂い、コーヒーの残り香、そして冷えた指先の感触が、すべて現実を突きつける。
「……核心まで辿り着くには、もっと深く潜らなければ」
田中はつぶやき、息を吐く。吐いた息が白く、室内の冷気と混じり合い、緊張感を増幅させる。
電話が鳴る。着信は非通知。田中は手に汗をかき、鼓動を感じながら受話器を取る。
「田中です」
低く、しかし微かに笑みを含んだ声。
「……知りたいか? 影の全貌を」
田中の手がわずかに震える。冷たい机の感触が指先に伝わり、緊張が全身に走る。視線が窓の外に向く。雨は止まず、街の影が揺れる。
「……知りたい」田中は静かに答える。
声に力が宿る。胸の奥で、不安と決意がせめぎ合い、手のひらの汗と冷たさが混ざる感触が現実を突きつける。
「なら、会おう。だが、覚悟しておけ。ここから先は、影が牙をむく世界だ」
受話器を置いた瞬間、田中は深く息を吸う。蛍光灯の下、紙のざらつき、ペンの冷たさ、遠くで聞こえる夜の交通音――すべてが、これから始まる戦いの予兆を告げている。
雨音、影の揺れ、冷たい空気、手の震え、そして心臓の鼓動。すべてが、田中を次なる局面へと押しやる。暗躍する影は、確かに動き出していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます