第4話:発覚と動揺

第4話:発覚と動揺


田中の机の上には、山のように書類が積まれていた。コピー用紙の匂いとインクの刺激臭が鼻腔をつき、手のひらにうっすらと汗がにじむ。ディスプレイの光は、青白く冷たい。数字や名前が並ぶだけの画面が、今の彼の胸の鼓動を加速させる。


「田中君、登記簿の件、確認したか?」

声は、課長の岩崎だった。低く、しかしどこか鋭い響きを帯びている。


「え、はい……ですが、まだ……」

田中は言葉を選びながら、机の書類をめくる。手に触れる紙のざらつきが、まるで現実の冷たさを教えてくれる。


「まだ? 君、あの土地は本当に存在しているのか? 確認は完璧か?」

岩崎の目が、田中を刺すように光る。息を吸い込むと、空気が胸の奥に冷たく突き刺さる。


田中は一度、目を閉じた。頭の中で、あの銀行の振込瞬間の光景が再生される。画面に表示された五十五億五千万円、佐伯の無表情な目、行員の手元の淡々とした動き。それらが、まるで幻のように重なった。


「……社内の登記簿、そして法務部のデータ、すべて確認した結果です。土地の登記簿、存在していません……所有者の実在も確認できません」

田中の声は、震えを隠せない。五感が鋭敏になり、耳の奥で血の流れる音さえ聞こえるような錯覚がした。


岩崎は机を叩いた。

「な、何だと……!?」

紙が跳ね、机の角に手をぶつける痛みが現実に戻す。


その場にいた法務部の担当者が、紙を手に震えながら言った。

「田中さん、申し訳ありません……。本当に、存在しない土地です」


田中は椅子にもたれ、深く息をつく。額に冷や汗が流れ、背中に緊張が張り付く。手のひらで髪をかき上げると、髪の根元が湿ってひんやりとした。


「これは……どういうことだ……?」

小さく呟く。声はかすれ、耳に痛い。


その瞬間、社内の電話が一斉に鳴り出した。受話器のベルは、鋭く耳に刺さる。マスコミ関係者からの問い合わせが次々に入る。田中は受話器を握りしめ、微かに指先が震えるのを感じた。


「こちら積水ハウスです……はい……その件については、調査中です……」

必死に取り繕う田中。しかし言葉の端々に、動揺が滲む。自分の判断が間違っていたのではないかという不安が、胸の奥で渦巻く。


「田中君……」

佐伯の声が背後からした。振り返ると、彼の顔は冷たく、しかし怒りよりも深い失望を帯びていた。


「私の指示で……契約を進めた……すみません」

田中は俯き、手で顔を覆う。机の上の紙がざわつく音が、心臓の鼓動と同期するかのようだ。


「謝るだけでは済まないぞ……。この件は、会社の信用問題だ。法務部、広報、全員で対応せねば」

佐伯は言葉を絞り出す。冷たい口調だが、その奥に焦燥と責任感が滲む。


田中は深呼吸を一つ、二つ。手のひらの汗を机の上で軽くこすり、気持ちを整える。


「……分かりました。僕が……真相を追います」

低く、決意を込めた声。胸の奥で固まった不安が、逆に行動力へと変わる。五感が鋭敏になり、空気のわずかな振動や書類の匂い、窓から差し込む光の角度さえ、手がかりのように感じられる。


その頃、社外ではマスコミが少しずつ動き始めていた。ビルの外、寒風に吹かれながら記者たちがスマホやカメラを手に待機している。金属の冷たい感触、カメラのシャッター音が遠くに響く。田中は社内のモニター越しに、ニュース速報が流れるのを見た。


「積水ハウス、55億円土地取引で異変か……」

文字を目で追うだけで、胃の奥が重くなる。胸の奥で、これから起きる嵐の予感が膨らんでいく。


「田中君……」佐伯の声が再び響く。「君一人の問題じゃない。だが、君の直感が正しかったかもしれん。ここから先は慎重に……」


田中は頷く。手のひらで書類をぎゅっと握りしめる。紙のざらつきが、決意を体に刻みつけるようだ。


「まずは、地面師の正体、契約書類の真偽……一つずつ、確かめる」

机に置かれたパソコンのキーボードに指先を置くと、冷たい感触が指の神経を刺す。目の前の画面に映るファイル名が、未来の行動の指針となる。


外の風が窓を叩く。冷たく乾いた音は、田中の胸の中の不安を反響させる。街の喧騒はまだ遠く、時間はゆっくりと、しかし確実に動いている。


「絶対に……見つける。あの金の行方、そして真実を……」

田中の目は冷たく光る。呼吸のたびに、胸に渦巻く焦燥と決意が混ざり合う。夜はまだ深いが、彼の心の中では、新たな戦いの火が灯っていた。


静かな社内。パソコンのファンの微かな唸り、電話の残響、書類の紙の匂い、窓の外の冷たい空気。すべてが、田中に次の一手を促している。


「始まった……本当の戦いが……」


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