悪役令嬢のその後――秋終の輪舞曲

豆井戸

プロローグ

 このお話はあたしが積み上げてきた物語。

 もしかしたら破滅していたのかもしれないあたし自身。

 そのままでも結末はハッピーエンドを迎えるカレン。

 その少女と結ばれる可能性を秘めたヘルメス様。

 そしてそれらを支える数多の友人知人達。

 あたしはこの世界のみんなを幸福にすることができたのだ。

 そしてこの先もずっと……。


「ヘルメス様!これからも……」

 ベネオータムはその瞬間、自分に起きていた物語を思い出せなくなった。

「ベネオータム様……?」

 隣にいたカレンは心配そうにベネオータムの顔を覗き込んだ。

 ベネオータムは顔を覆い、必死に現在の状況を把握しようとしていた。

「ベネ、一体どうしたんだ?」

 ヘルメスもこれはただ事ではないと踏んでベネオータムの肩を掴んで揺らした。

「い、いや……いやあああ!」

 ベネオータムはヘルメス王子の手を振り払ってその場から走り去った。

 自分は知らないのに周りはなぜか自分のことをなんでも知っている。未知の恐怖というべきなのだろうか。

 底知れぬ不安がベネオータムの心の中に広がっていく。

 ベネオータムは気が付けば学園の建物裏の影で座り込んでいた。

 ここは自分が一人で物事を考えていたい時にいつもいた場所……いつもいた……場所?

 知るはずもない場所なのに、なぜか知っていた。

 なぜ?どうしてこんなことが……言いようのない恐怖が身を覆う。

 ヘルメス王子のことはよく覚えている。生まれついての婚約者の顔を忘れるわけもない。

 だが何かが違っていた。はっきりとはわからないけれど何かが違う。

 自分でも人格が優れているとは思っていない。自他ともにそこは認めているはずなのだ。

 それは、人格だけに限ったことなのだろうか……まるで白いもやが視界にかかるように、何もかもが曖昧でつかめない――そんな恐怖が押し寄せる。

「ベネオータム様!お待ちください!」

 顔を上げるとそこには悲しい顔をしたカレンが……カレン?

 そう、ベネオータムはこの少女を知っている。知るわけがない少女なのに、なぜか知っている。

 そこが恐ろしく、とても怖い。

「うう……なんですの貴女は。こ、このワタクシに対して気安く話しかけないで!」

 きっとカレンは悪い子ではない。でも、どうしても拒絶してしまう自分がいる。

 あんなにも仲が良かったはずなのに……仲が……良い?

 そこでも頭が混乱する。考えるたびに脳みそが悲鳴を上げているような感覚に捉われる。

「お気をしっかりベネオータム様!どうなさったのです?あのお優しい貴女はどこへ行ってしまわれたのですか?」

 カレンが悲痛な叫びにも似た声でベネオータムに話しかけている。

「やめて……そんな目でワタクシを見ないで。」

 ベネオータムは嘘偽りのないカレンのまっすぐな眼差しを直視することができなかった。――怖かったのだ。

 なぜこんなにもカレンのまっすぐな瞳は懐かしいのだろう?……そもそもなぜ自分は懐かしさを感じているのだろう?

 ベネオータムの足はそのままカレンのいない場所へと走り出していた。もっと遠くに……誰もいない場所へと。


 翌日――ベネオータムの変化の噂は瞬く間に学園中へ広がった。

 あるものはベネオータムを心配し、ある者はさも当然、今までが猫をかぶっていたのだと陰口をたたく始末。

「ちょっと、そこの貴女!」

 ベネオータムは中庭で一人の令嬢を捕まえた。

「……そうですわ、貴女のことですのよ?」

「ベ、ベネオータム様。」

 不安に苛まれながらもその令嬢はベネオータムの呼びかけに応じ、立ち止まった。

 その令嬢には特に不躾な部分は見当たらない。しかし今のベネオータムにとって、順風満帆にも見えるこの令嬢が気に食わなかった。

 自分はこんなにも不安で苦しいのに彼女たちは何の悩みもなく、楽しそうに笑っている……ただそれだけの理由で?

 いや、それはきっと自分に足りていない充足感を満たすためのものなのかもしれない。それが故のないものねだりに等しい理不尽な怒りだった。

「正直に申し上げて、貴女の立ち振る舞いは不愉快ですわ!」

 人目も憚らずに放つ暴言の数々。それは既に過去のベネオータムのものではなかった。

「……わ、ワタクシ……どうしてあんな酷いことを。」

 泣きながら立ち去って行った令嬢の後姿を横目にベネオータムは後悔の念を感じていた。

 こんなはずではなかった。あんなことを言うつもりはなかったのに。

 幾度も逡巡する。

 それまで親しくしていた者たちは次第に一人、二人と離れてゆき、ベネオータムは孤立の一途を辿るのみであった。

 その近くにはいつもカレンが不安そうに見守っていた。

「……ベネオータム様。」

 カレンはベネオータムのこの急激な変化が怖くて仕方がなかった。

 出会った当初から仲が良く、同級生のいじめからは救ってくれた。

 淑女としては……いまいちな部分もあったがカレンにとっては目指すべき理想の令嬢なのだった。

 今のベネオータムからはそれを感じさせない。本当に人が変わったかのような変化。

 カレンの心の中に例えようのない不安が押し寄せてきていた。

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