第2話 掲示板前のため息
昼下がりの陽射しは、どこか濁っていた。
村の中心にある冒険者ギルド。名ばかりの、崩れかけた木造小屋だ。
入口の看板は錆びて片方が外れ、風が吹くたびに「ギィ……ギィ……」と悲鳴を上げていた。
店先で錆びた魔導器をいじっている子どもがいた。
声も出ず、光もない石板を叩き続ける小さな手を横目に、俺は扉を押した。
中は薄暗く、埃の匂いが漂っていた。
俺は脇の掲示板に貼られた紙束を眩しげに見上げる。
『森の薬草採取:報酬銅貨五枚』
『家畜の世話:報酬銅貨三枚』
『井戸の修繕手伝い:報酬銅貨二枚とパン一個』
指で紙を撫でると、表面の羊皮紙が湿気を吸ってぐにゃりと歪んだ。
どの依頼にも、夢も物語もなかった。
泥の現実の匂いしかしない。
俺は小さく息を吐き、懐から黒い魔導器を取り出した。
「……周辺求人検索、起動」
光が一瞬走り、石板が軽い音を立てる。
『現在、募集はありません。主要都市へ移動してください』
「うるせぇな……」
画面を閉じようとした指が、泥でぬめった手のひらに滑る。イライラだけが手元に残る。
ため息をついても、胸のもやもやは晴れることがなかった
二度、三度と漏れるたび、魔導器が機械的に反応した。
『ため息の連続検出。メンタルサポートモードを起動します。癒やしの小鳥のさえずりを再生しますか?』
「は? ふざけんな。黙れ」
ピピッ、と可愛げなエラー音。
俺の苛立ちに油を注ぐつもりか、画面の花模様がゆらゆらと揺れた。
まるで「夢を諦めたお前でも、笑いましょう」とでも言いたげだ。
俺は魔導器を胸の奥に押し込んだ。
王都にも繋がらない。金を食い続けるただの飾り。
手放せないのは、あの黒い鏡に自分の過ちが映っているからだ。
そこへ、ギルドの奥からくぐもった声がした。
「よう、新入りか?」
現れたのは油で汚れた前掛けの長身の男。筋肉質で、目の下に深い隈がある。俺より一回り上の年齢だろう。
「仕事探しか。……ならこれだ」
男が無造作に一枚の紙を掲示板から剥がした。
汚れで半分消えかけた字。
『下水道の魔物糞掃除:報酬銀貨一枚/重装備不要』
鼻の奥に酸味が走った。
下水道の空気は、村中の汚物と獣の死骸の臭いが混ざった地獄だと聞く。
でも、銅貨じゃなく銀貨。食いつくしかない額だ。
「……やる」
口が勝手に動いた。
男が鼻で笑う。
「本気か? まあ、やって死ぬやつはおらん。臭いと時間が敵だがな」
依頼証に印を押す音が響く。
小屋の外に出ると、太陽がすでに傾き始めていた。
俺は胸の内で呟いた。
「笑いたければ笑えよ。……誰も見ちゃいねえけどな」
握りしめた魔導器が、薄日に反射して黒く光った。
あの中に残っているのは、壊れた夢のデータと、未払いの契約通知。
文字のひとつひとつが胸にグサグサと突き刺さる。
だが、もう空を見上げる余裕はない。
腹が鳴る。頭が重い。
生きなきゃ。
それだけが、いまの俺を動かしている。
ギルドの裏手にある鉄格子の扉を開ける。
下水道への入口が、ギィと音を立てて軋んだ。
底なし沼よりも不気味な暗さが、口を開けて待っている。
俺は夜風の中でひとつ息を吸い込み、鉄格子に手をかけた。
指の中で、魔導器の光が一瞬、微かに明滅する。
消えかけているくせに、まだ震えていた。
まるで、書けと催促している。
「黙れよ、もう……」
顔を逸らし、足を踏み出した。
靴底が、泥と汚水を混ぜた感触を掴む。
瞬間、ぷつ、と何かが切れた気がした。
夢と現実の境界。
あとは、落ちていくだけだった。
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