星を消した神無月は、異世界で「星隠しの神」と呼ばれる
あらびきコショー
序章:星隠しの神
プロローグ:消えた太陽
1.黒く塗り潰された地平線
地平線が、黒く塗りつぶされていた。
城壁の上で震える兵士たちには、迫りくる死の波が、ただの黒い津波にしか見えなかった。
「構わぬ!始めよ!」
国中から集められた高位魔法使い数百人が、巨大な魔法陣を取り囲んでいる。彼らに残された選択肢は二つに一つ。魔族に食い殺されるか、禁忌に触れて自滅するか。
詠唱が始まる。だがそれは、魔力を練る音ではない。彼ら自身の「生命力」と「魂」を削り取り、次元の壁を無理やりこじ開けるための、命の悲鳴だった。
2.音が消えた世界
魔族軍の先鋒が城壁に手をかけた、その時だった。
音という音が、世界から消失した。
数百人の魔法使い全員が、糸が切れた人形のように崩れ落ちた。血を流すこともなく、ただ乾いた殻のように、命だけを抜き取られて絶命した。
直後、空が
——いや、違う。空が裂けたのではない。空そのものが、何か巨大なものに覆い尽くされたのだ。
蒼穹があったはずの場所に、世界を覆い尽くすほどの、何かが現れた。
3.世界を覆う眼球
最初、それが何なのか、誰も理解できなかった。
城壁の上にいた老魔法使いが、震える手で望遠の術式を発動させた。視界が拡大される。そして——彼は、理解した。
「眼球……?」
それは、この世界の空全体を覆い尽くすほど巨大な、一つの眼球だった。
「空が見えなくなった……若い魔族の兵士が、空を見上げて恐怖に震えている」
白目部分には、まるで古木の根のように太く、どす黒い血管がびっしりと浮き出ており、ドクン、ドクンと脈打つたびに空全体が震えた。
老魔法使いは、さらに術式を強化した。瞳孔の奥を、もっと詳しく見ようと。
その時、彼は見た。
瞳孔の中心——その黒い深淵の、そのまた奥に——人がいた。
一人の、人間が。
いや、正確には「人間に見える何か」が、そこに立っていた。
その存在は、自分の手を見つめていた。困惑した表情で。まるで、自分が何をしているのか分からないという顔をしていた。恐怖でも、怒りでもなく——ただ、戸惑いと混乱だけが、その表情に浮かんでいた。
「あれは……人間なのか? いや、あの大きさは——」
老魔法使いの思考が、そこで止まった。
なぜなら、理解してしまったからだ。
あの「人間に見える存在」こそが、この巨大な眼球の正体なのだと。
いや、眼球ですらない。
あれは——ただ、あまりにも巨大すぎる「人間」の、瞳の部分を見ているだけなのだ。
この世界全体が、その存在の眼球一つ分のサイズしかないのだ。
「そんな、馬鹿な……」
老魔法使いの声が、震えた。
4.反転する重力
異形の神が、ゆっくりと瞬きをした。
ただそれだけの動作が、物理法則を書き換えた。
「な、なんだ!? 身体が……!」
地上にいた魔族たちが、悲鳴を上げる間もなく空へ向かって「落ちて」いった。
重力が——反転したのではない。
この世界よりも遥かに巨大な質量を持つ「何か」が、目の前に現れたことで、重力のバランスが崩壊したのだ。
惑星サイズの存在と、月ほどのサイズしかないこの世界。その質量差は、圧倒的だった。
100万の大軍勢が、まるで子供が玩具箱をひっくり返したかのように、空中の一点——巨大な存在の方向へと凝縮されていく。魔族も、人間も、建物も、大地の一部すらも、全てが引き寄せられていく。
「総員、衝撃に備えろぉぉッ!!」
魔族軍総大将、ジェジェ将軍の怒号が響く。全長600メートルを超える
5.消えた存在と戻る重力
だが——次の瞬間。
巨大な存在が、消えた。
瞬きを終え、視界から消えたのか。それとも、別の場所へ移動したのか。
理由は分からない。ただ、確かなことは——その存在が消えた瞬間、反転していた重力が、倍の威力を持って戻ってきたということだ。
ドォォォォォォォン!!
大地が割れるほどの衝撃音。何万、何十万という魔族の兵士たちが、自らの軍の兵器や仲間の巨体に押しつぶされ、大地に赤い染みを作った。
「被害状況を報告せよ!」
血を流しながらジェジェが叫ぶ。部下のオペレーターが、信じられないものを見る目でモニターを凝視していた。
「推定戦死者数……約90万。地上部隊は……全滅です」
ジェジェは言葉を失った。
たった一撃。いや、攻撃ですらない。ただ現れて、瞬きをして、消えた。それだけで、最強を誇った魔族の軍団が消滅したのだ。
「あれは魔法ではない……神の召喚だと!? 正気ではない!!」
6.消えた太陽
そして、決定的な異変が起きた。
空を見上げた兵士の一人が、震える指で天を指差し、絶句した。
「しょ、将軍……空が……太陽が……」
時計の針は、正午を指している。本来であれば太陽が最も高く昇り、世界を照らしているはずの時間だ。
しかし、見上げた空は、深い深い夜の闇に包まれていた。星すら見えない、絶対的な虚無の空。
老魔法使いだけが、真実に気づいていた。
あの巨大な存在——その瞳の中にいた「人間」が、何かに手を伸ばしていた。
そして、その手が触れたものは——
「太陽を……掴んだのか?」
この世界を照らしていた太陽は、あの存在にとっては、手のひらに収まる小さな光の玉でしかなかった。
そして——掴んだまま、持ち去ってしまったのだ。
神は、供物として捧げられた数百人の魔法使いの命だけでは満足しなかった。
召喚の対価として、この世界を照らす「太陽」そのものを持ち去ったのである。
7.二つの星が交わる時
急速に冷えていく大気。
真昼の暗闇の中で、勝者なき静寂だけが広がっていた。
この瞬間をもって、この世界に二度と日が昇ることはなくなった。
しかし——この出来事の真の原因は、星々の狭間を超えた、遥か彼方の別世界で、同時刻に起きていた。
そこには、まだ自分が何者になるのかも知らない、一人の男がいた。
自分の手に収まった小さな光を見つめながら、ただ困惑している——一人の、普通の人間が。
この二つの星が交わる時、世界は——血と絶望に染まることになる。
だが、それはまだ、誰も知らない未来の話だ。
「俺は、ただ温もりが欲しかっただけなのに——」
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