第2話 這い寄る祟り

地元に帰る新幹線の中で。

俺はボンヤリと時速270kmで流れる夜景に目を向けていた。

…さっきのアレは、なんだったんだろう。

なるべく考えないようにしていたのだが、流石に二時間近く新幹線の席に座っていれば、嫌でも先程の【闇色のヒトガタ】の姿が思い浮かぶ。


ゴウッ!

新幹線がトンネルに入った。

視界の先の夜景がトンネルの黒い壁に変わる。

その時。

俺は気付いた。

俺の座る席の窓の右下に。

黒い手形があった。

ぬるり。

その黒い手形が、動いた。

…手形じゃない!

俺の視線の先で、

ゆっくりと、だが確実に、

虫が這うような速度で、

手形が、

いや、

その闇色の手が、

窓の中央に向かって、

…俺に向かって這ってくる!

指と指の間をめいいっぱいに広げたその手形は、まるで新幹線の窓に張り付くヤモリのようであった。

「う、うわ!!」

我に返った俺は、短い叫び声を上げながら、イスから滑り落ちて尻もちをつく。

尾骶骨を打つ衝撃が俺を貫くが、痛みを感じる余裕は無かった。

周囲の乗客が、何事かと床に座る俺に好奇の視線を送る。

ハッとした俺が窓に視線を向けると…。

闇色の手はすでに窓から消えていた。



禁足地に足を踏みれてしまった、数日後。

勤務時間を終え、俺は会社を後にする。

時間は夕方。じきに陽も沈む。

会社から自宅まで車で30分ほどだ。


赤信号で停車していた時。

俺は車のライトを点灯する。


ライトをつけた、その瞬間。

その灯りに照らされた真正面に。

…アレがいた。

【闇色のヒトガタ】がそこにいた。

ライトに照らされたヒトガタは、まるで闇の中の黒い切り絵のようであった。

唐突に姿を現したそのヒトガタを、俺は固唾を飲んで凝視する。


ヒトガタの姿が、影が、闇が、微かに揺れる。

いや。それは『揺れた』のではなく、深く重なる影がブレたようであった。

何枚も何枚も重ねた紙がカサカサと空気の振動で揺れるように、ザワザワとヒトガタが揺れたのだ。


【闇色のヒトガタ】の、その顔に相当する部分に変化が生じる。

顔を思わしきその部位が、真横に裂ける。

人で例えるなら、それは口にあたる箇所に切れ目が奔る。

その切れ目が、ゆっくりと動いていた。

よく見れば、その動きは同じパターンを繰り返している。

まず、切れ目が左右横に伸びた。

次に、切れ目が短くなり、まるで口をすぼめるような形を作る。

その次は、横に楕円を作るような形。

最後は、切れ目が上下左右に均等に開き、円形を作る。

俺はその口の動きを見て、それが何を言わんとしているかに気付く。


  ミ

 ツ

  ケ

   タ


そう言っているのだ。

俺に向かって、ソレはそう言っているのだ。

俺の背筋に、森で感じた時以上の怖気が奔る!


その時。

プワーッ!!

後続車のクラクションで俺は我に返った。

【闇色のヒトガタ】の姿も消えていた。

信号はすでに青だ。

俺は、震える足で慎重にアクセルを踏み、車を進ませた。



その夜である。

俺はなかなか寝付けず、ベッドからトイレに起き出す。

ふと、廊下の電灯が点灯したままなのに気付く。

…おかしいな。消し忘れたか?

一人暮らしの俺には、同居人はいない。

俺以外に電灯を操作する人間はいない筈である。


俺は、壁のスイッチに手を伸ばし、天井の電灯を消す。

廊下の先は玄関であり、外の街灯の光が差し込んでくる。

その時、俺は一瞬ゾクリとした。

玄関の横のコート掛け。そこには俺のコートが掛けてある。あるのだが…。

ゾクリと背中が震える。

コートが外の街灯の光で影を作り、人の形に見えたからだ。


俺は念の為、もう一度天井の電灯を付ける。その影が間違いなく自身のコートである事を確認する。

ホッと息をつき、俺は再びライトを消す。

…だが、そこで俺は、違和感に気付いた。

コートの横に、もう一つ人影があるように見えたのだ。


俺は再びライトをつける。

…何もない。コートだけだ。


ライトを消す。

…おかしい。やはり、人影があるように見える。


目の錯覚だろうか?

俺は再々度、ライトをつける。

…何もない。


ライトを消す。

また人影のようなものが見える。


そして俺は、さらなる事実に気付く。

人影に見えるそれが、段々と俺に近付いているように見えたからだ。


…いやいや、あり得ない。錯覚だ!

俺は、もう一度、天井のライトを消した。

その瞬間。

俺の目の目前、1m先に!

黒い影が、いた。

錯覚じゃ、ない!

恐怖に声すら出せない。

俺は寝室に駆け込み、布団を被り、無理矢理に目を閉じた。



次の日。

俺は夜勤のシフトについていた。

巡視に回りながら、俺は昨夜の出来事を思い返す。


昨夜、自宅に、黒い影が現れた。

布団を被り無理矢理に眠りついた後。

それから俺の目の前に、あいつは現れていない。


夜が怖かった。

むしろ、今夜が夜勤で良かった。気が紛れる。

俺は夜勤の相方である同僚と巡視を終わらせ、ステーションに戻る。

同僚はこれから休憩時間だ。仮眠の為に個室に入っていった。

ここから3時間は、俺一人だ。

仕事に集中せねばと、椅子に腰掛け眼を閉じる。


…冷たい気配を感じて、俺は目を開けた。

椅子に座った姿勢のまま、気配の先に、ゆっくりと目を向ける。

ステーションの、面会カウンターの向こう側で、

重なる黒い影が、笑っていた。


「う! ぎゃーーーーーー!!」

俺は叫び声を上げる。

どうした!と、俺の声に驚いた同僚が飛んでくる。

相方は、俺の指差す方向を見る。

何もないじゃないか! 驚かすのはやめてくれ!

そう言って、同僚は迷惑そうな視線を俺に向け、個室に戻っていった。



それから。

ソレは。

黒い影は。

【闇色のヒトガタ】は。

俺のすぐ近くにいる。

何時も。

如何でも。

何処までも。

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