第4話 森の異変②

朝の陽が傾き始めた頃、リュミナ村には重い空気が漂っていた。

森での狼の襲撃から翌日。森の奥にはまだ血の匂いと、何か異様な気配が残っているという噂が広まっていた。


村の広場に村長ボウガンの声が響く。

「森の奥で新たな獣の足跡が見つかった。子供たち、そして村人はしばらく森に近づくでないぞ」


その言葉に、村人たちは一斉にざわめく。

アッシュは眉をひそめ、「まだいるのか…この前の狼の群れも危なかったのに」

隣でフーゴ・シェルキが頷く。「ああ、でも今回は何か違う。バルデンも朝から森の方を気にしてた」


森を見つめるアッシュの胸に、ひとつの嫌な予感が浮かぶ。

――この時間帯、エリナがいつものように薬草を取りに行っている。


「……やばい、エリナ!」

「え?」フーゴが目を丸くする。

アッシュは振り返りもせずに駆け出した。「森だ! 今の時間、エリナは薬草を取りに行ってる!」


「おい、待てってアッシュ! ちゃんと村に探したらいるかもだろ!」

それでもフーゴはそんな言葉を吐かながらも、アッシュの後を追った。



森に入ると、朝だというのに空気はひどく淀んでいた。

鳥の声が途絶え、葉の揺れる音さえもどこか遠い。


「なあ、アッシュ…森、異様に静かじゃないか?」

「……ああ、何か嫌な感じがする。空気が焦げてるような匂いがする」


アッシュは足元の地面を見つめる。泥が黒く焦げ、木の断面には雷に焼かれたような痕が残っている。

「……フーゴ、これ…」

「まさか、魔物の仕業か?」


そのとき、遠くから悲鳴が聞こえた。

「きゃあっ!!」


「エリナの声だ!!」

アッシュは即座に駆け出す。



走った先で見たものは、全身の毛を金属のように逆立て、雷光を纏う獣だった。

咆哮一つで木々が震え、地面が裂ける。

「……なんだよ、あれ……!」アッシュは思わず後ずさる。

「ありゃ…並の魔物じゃねぇな」

フーゴも下唇も強く噛んだ


エリナは転倒しながらも薬草袋を抱きしめ、恐怖で動けずに震えていた。

「ア、アッシュ……!」

「大丈夫だ、来たぞ!」


アッシュは炎を纏い、フーゴは風を巻き起こす。

「目を逸らすな! あの化け物、こっちを狙ってる!」


獣が一歩踏み出すごとに、雷が地面に走る。毛の一本一本が光を帯び、空気が焦げた。


その瞬間、アッシュは渾身の火球を獣に向かって放った。しかし、重厚感のある獣の体は火球をまともに喰らってもびくともしなかった。

「う、うそだろ……あんなの、俺たちの…いや、バルデンさんの魔法でも太刀打ちできねぇ!」

フーゴの声が震える。


アッシュは即座に判断する。「逃げるぞ!村の方はダメだ、森の奥に誘い込め!」

フーゴは、逃げるための通路を作るために風の斬撃で木を倒し、走った。「おう、わかった!」


エリナを抱えて走るアッシュの後ろで、雷光が炸裂。

ファンガルムの咆哮が森全体を揺らし、虫や鳥が一斉に逃げ出す。


「このままじゃ追いつかれる!」フーゴが叫ぶ。

「森の南、ぬかるんだ場所に誘導する!」


アッシュは炎を地面に走らせ、煙幕を作りながら道を誘導する。

「こっちだ、フーゴ!」

「言われなくても、わかってる!」


そのとき、前方から土煙を上げながら一人の男が現れた。

「アッシュ、フーゴ! 下がれ!」


「その声は…」

アッシュが呆然としていると、フーゴが叫んだ

「兄ちゃん!?」

王都に仕えるセグライフ騎士団所属の青年、そしてフーゴの兄であるカイン・シェルキが剣を抜き放ち、土の壁を立ち上げる。

ファンガルムの雷撃が直撃し、轟音が森を包むが、カインの壁がそれを紙一重で受け止めた。


「こいつは……間違いない、九災の一体――ファンガルムだ!」

「九災……?」アッシュとフーゴは息を呑む。


カインの顔には汗が流れた。「王都でも報告された怪物だ。毛に雷を宿し、咆哮だけで人を麻痺させる。普通の魔物とは次元が違う!」


「冗談だろ……じゃあ、あんなの、どうやって倒すんだよ!」フーゴが叫ぶ。

「倒すんじゃない! 今は村に知らせて逃げるのが目的だ!」カインは剣を構え、二人を振り返らずに怒鳴る。


アッシュは歯を食いしばる。「……わかった。行くぞ、フーゴ!」

「でも、兄ちゃんは!?」

「俺が時間を稼ぐ。早く行け!」カインの声は震えていなかった。


アッシュはエリナを抱えて、ぬかるみを踏みながら森を走る。

「ア…アッシュ!」

エリナは抱き抱えられた瞬間、顔を真っ赤にしていたが、アッシュは気づかなかった。

後ろでは雷鳴が轟き、地面が爆ぜる。


「……くそっ……絶対、あいつを倒して、村を守ってやるからな……!」アッシュは胸の奥で誓う。その手の中で、炎が赤黒く揺れた。

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