百合感染──噛まれた瞬間、世界が色づいた

白雪 愛琉

第1話 噛まれた少女

始まりは、本当に一瞬だった。


 放課後の帰り道。夕焼けが校舎を朱色に染める頃。

 私は、裏庭の古い倉庫の前で——彼女に出会った。


 肩までの黒髪。

 涙を含んだような、濡れた瞳。

 制服のリボンが少し曲がったままなのに、どこか儚くて、美しくて。


 その少女は、私の名前を知らないはずなのに、

 まるで長い友達みたいな声で言った。


「——ねえ、少しだけでいいから……。触れても、いい?」


 その言葉に返事をする前だった。


 彼女は私の手首を掴み、

 そのまま、白い歯を立てた。


「——っ…!? ちょ、待っ……!」


 痛みじゃない。

 熱い、甘い、痺れるような感覚が、皮膚から脳に流れ込んでくる。


 視界がふわりと揺れる。


 ——色だ。

 世界中の色が一気に溢れ出した。


 夕焼けの赤は薔薇みたいに艶を増し、

 風の音は恋の囁きみたいに甘く、

 彼女の瞳は、虹を溶かしたみたいに輝いて見える。


 まるで映画のフィルムを突然切り替えられたみたいだった。

 白黒の日常に、突然、恋の色彩が流れ込む。


「……っ……はぁ……っ……」


 息ができないほど胸が苦しい。

 彼女を見ているだけで、胸の奥がじんじん熱を持つ。


「……大丈夫。すぐ慣れるよ」


 噛んだ少女は、嬉しそうにも悲しそうにも見える笑みを浮かべた。

 その声すら、心臓をくすぐる。


「これは“感染”だから」


 ——感染?


 意味を理解する前に、彼女は走り去った。

 残された私は、ただ呆然と立ち尽くす。


 でも、ひとつだけハッキリしていた。


彼女を、追いかけたい。

もう一度、会いたい。

触れたい。


 その衝動が、噛まれた跡から身体中に染みていく。


 この瞬間から始まった。

 私の“百合感染”が——

 まだ誰も知らない、危険な恋のパンデミック。

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