第4話「甘い支配と戸惑いの夜明け」

 次に目を覚ました時、俺はまだラッセル様の寝室のベッドの上にいた。

 身体を覆うのは上質なシルクの寝間着で、昨日までのごわごわした従者服とは比べ物にならない肌触りだ。

 身体の熱っぽさは幾分和らいでいたが、気怠さはまだ残っている。


 窓の外はすでに明るく、小鳥のさえずりが聞こえてきた。

 一体、どれくらい眠っていたのだろうか。


「起きたか、レオンハルト」


 穏やかな声に顔を向けると、ラッセル様がベッドの傍らで本を読んでいた。

 朝の光を浴びたその姿は、まるで絵画のように美しい。

 しかし、その手には俺の好物であるハチミツをかけた温かいミルクの入ったカップが握られていた。


「ラッセル様、なぜこのような……。俺は、すぐに仕事を……」


 慌てて身を起こそうとする俺を、ラッセル様は優しく、しかし有無を言わせぬ力で制した。


「駄目だ。お前はまだ安静にしていなければ。さあ、これを飲め。お前が好きだろう?」


 そう言って、カップを俺の口元に差し出す。

 その行動に、俺の思考は完全に停止した。

 主君に、飲み物を飲ませてもらう?

 あり得ない。

 あってはならないことだ。


「滅相もございません!そのようなこと、自分で……!」


「口を開けろ、レオンハルト。これは命令だ」


 命令、という言葉に俺の身体は逆らえなかった。

 恐る恐る口を開けると、温かいミルクがゆっくりと流し込まれる。

 優しいハチミツの甘さが、乾いた喉を潤していく。

 その行為があまりにも屈辱的で、そしてどうしようもなく甘美で、俺は顔から火が出る思いだった。


「……よろしい」


 俺がすべて飲み干したのを確認すると、ラッセル様は満足そうに微笑んだ。


 昨日、彼が言った言葉は夢ではなかったのだ。

『これからは私が、お前の世話を焼いてやる』。

 その言葉通り、主従の立場は完全に入れ替わってしまっていた。


 食事も、そうだ。

 運ばれてきたのは、俺のためだけに用意された豪勢な朝食だった。

 ラッセル様は当然のように俺の隣に座り、スープをスプーンですくうと、「ほら、あーん」と俺の口元に運んでくる。


「ラッセル様、お願いですからおやめください!俺は病人では……!」


「病人ではない。私の可愛いΩだ。それに、初めてのヒートが近いお前は体力をつけなければならないだろう?」


 ヒート、という単語に俺の頬がカッと熱くなる。

 Ωが定期的に迎える発情期。

 その存在は知識としては知っていたが、まさか自分が経験することになるとは思ってもみなかった。


「抵抗するなら、口移しで飲ませることになるが?」


 悪戯っぽく笑うラッセル様に、俺は観念して口を開けるしかなかった。

 悔しさと恥ずかしさで涙が出そうだったが、ラッセル様はそんな俺の様子を心底楽しんでいるようだった。


 その日一日、俺はラッセル様に付きっきりで世話を焼かれた。

 着替えを手伝われ、身体を拭かれ、髪を梳かされる。

 一つ一つの行為が、これまでの俺の矜持を打ち砕いていく。

 俺は主君を守るための屈強な従者だったはずだ。

 それが今や、赤子のように扱われている。


 だが、不思議なことにその支配は不快なだけではなかった。

 ラッセル様の指先が肌に触れるたびに、身体の奥が疼くような甘い感覚が走る。

 彼の優しい声を聞くたびに、心が安らいでいくのを感じる。

 これは、Ωの本能なのだろうか。

 それとも……。


 夜になり、風呂の時間になった。

 ラッセル様は当然のように、俺を浴室へと連れて行く。


「さあ、服を脱げ。背中を流してやろう」


「そ、それだけはご勘弁を!一人で入れます!」


「駄目だ。お前が湯船で倒れたらどうする。これも主君命令だ」


 もはや彼の言う「主君命令」は、俺を従わせるための魔法の言葉だった。

 結局、俺はなすがままに服を脱がされ、湯船に入れられた。

 ラッセル様は服を着たまま、俺の背中を丁寧に洗い始める。


 大きな手のひらが、鍛えられた背中の筋肉をなぞる。

 その感触に、思わず身じろぎしてしまった。


「レオンハルト」


 耳元で、囁くような声がする。


「お前は、この状況が嫌か?」


 その問いに、俺は即答できなかった。

 嫌に決まっている。

 だが、心のどこかでこの甘い支配を受け入れている自分もいた。


「……わかりません」


 正直に答えると、ラッセル様はくすりと笑った。


「そうか。なら、すぐに分かるようになる。お前が、どれだけ私を求めているのかをな」


 そう言うと、彼は俺のうなじにそっと唇を寄せた。

 そこは、Ωの最も敏感な場所。

 番の誓いを交わす際に、αが噛み痕を刻む場所だ。


「ひっ……!」


 小さな悲鳴を上げた俺の身体を、ラッセル様は後ろから優しく抱きしめた。


「怖がらなくていい。まだ、噛んだりはしないさ。お前が心から私を望む、その時まではな」


 彼の腕の中で、俺はただ震えることしかできなかった。

 主従の逆転。

 それは、俺の身体だけでなく心までも、この美しい主君の色に染め上げていく甘く恐ろしい支配の始まりだった。

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