第32話
これは追及ではなく、あくまで情報の提示としてだ。
「まず、1つ目。更衣室の棚のズレです。3度、棚が動かされた形がありました。1つ目は事件当日、2つ目は事件後、3つ目は最近。何故、棚を動かす必要があったのでしょうか。」
杉田の指が机をかりかりと掻いている。
落ち着きのない癖だろうが、明らかに強まってきている。
「それから、裏口の鍵。事件当日だけ閉まっていた。通常は誰でも開けることの出来るように施錠していないはずなのにです。」
愛菜が驚きの表情を浮かべる。
「次です。これは事件が起きて数年後のお話です。スーパーは、今は倉庫として使われていました。しかし、スーパーにあった更衣室と事件現場となったバックヤードはそのままの状態で残されています。そのバックヤードと倉庫部分には1枚の扉で仕切られています。本来、倉庫を使用している業者はスーパーで使用していたバックヤード側には立ち入らない。しかし、以前までは鍵がなく、誰でも入れる状態でした。そこで何者かはその扉に鍵を取り付けた。明らかに新しい金具が見受けられていました。」
杉田は俯き、握った手が震えた。
「すべて、偶然じゃ。」
それでも主の声は変わらない。
本当に変わることはない。
淡々と事実を並べているだけだ。
その静けさが、かえって部屋に重い圧力を広げている。
「もちろん偶然かもしれません。棚のズレ、裏口の施錠、変わった鍵、あなたのログ閲覧。これらが一本の線に繋がりつつあります。」
静寂が支配する。
杉田は、もはや弱々しい被害者的な雰囲気ではなかった。
必死に笑おうとするが、口元が引きつっている。
「じょ、冗談ですよね?だって、ぼ、僕はただの警備員、にすぎませんから。そんな大それた事。」
「そうですね。あなたはただの警備員だった男。ですが、誰よりも店の構造と弱点を知っていた警備員でもありますよね?」
主はそこで初めて杉田の目をまっすぐに提えた。
「そしてそのあなたが、金庫のセキュリティのページだけを集中して閲覧した。それも事件の起こる朝に。」
その瞬間、杉田の呼吸が目に見えて乱れてきた。
しかし、主は追撃しない。
ひとつだけ間を置き、静かに語りかける。
「杉田さん、これはあなたを追い詰めるための場ではありません。ただ聞きたいだけなんです。なぜ、あの日。あの情報を閲覧したのか。」
部屋に沈黙が落ちる。
重い。逃場がない。
杉田の手は震え続けている。
視線は泳ぎ、呼吸は浅く、まるでどこかに出口がないかを探しているようだった。
主は柔らかく言う。
「大丈夫ですよ。まだ、何も決めつけたわけではありません。お話しください。あなたの言葉でね。」
その言葉がようやく杉田を椅子に沈めた。
背を丸め、両手で顔を押さえる。
「僕は、ただ、ちょっと気になって、見ただけです。」
主はゆっくりと頷いた。
「ええ、まずは、それで十分です。」
まだ決定的な追及には入るない。
ここは、これから始まる推理ショーの静かな序章に過ぎない。
愛菜は不安げに主を見たが、主は微笑み返した。
この場の支配権はすでに僕らの手中にある。
しかし、杉田はそのことにまだ気が付いていないのだ。
沈黙が落ちる。
杉田は細い肩をすくめ、指先をぎゅっと握りしめたまま動かない。
「では順序立てて、10年前の事件を説明いたします。」
汗と、不安と、言い訳の匂い。
僕は、その真ん中で丸まり、しっぽを小さく揺らす。
「まずはあなたがバックヤードに入ったお話からですね。」
杉田の肩がピクリと跳ねた。
人間は追い詰められると、こういう反応を見せる。
僕は今までに何度も見てきたのだ。
「そ、それは見回りですよ。警備員ですから。」
「見回りなら、店の表側だけで充分では?バックヤードのスペースはあくまでも従業員用。そこの鍵を握っているのは従業員、もしくは元店長の関町さん、そしてあなたですね。」
主の声は静かだが、逃げ道を塞ぐように滑らかだ。
「事件の日、関町さんは早めに帰宅したらしいですね。あなたはそれを確認してから、バックヤードの中に入った。」
図星を指されたときの人間は、呼吸を忘れてしまう。
今の杉田が正にそれだった。
「その日の売り上げが多い曜日だって言うことは警備員になら分かりますね。金庫にどれだけ入っているか詳細を知らなくても、狙うならその日だと気が付ける。現に300万円もの大金が入っていたそうですから。」
「知らなかった、そんな・・・。」
この種の嘘はすぐに匂いで分かる。
「知らなかった?では再度、お伺いします。事件の朝、あなたは金庫マニュアルを閲覧しています。何故でしょう?」
杉田の喉が大きく上下する。
もう匂いが変わってきた。
苦い匂いだ。
「だから仕事の興味で。」
「偶然で済ませるには無理がありますよ。売り上げの多い日に店長が早退、鍵を持つ者は限られる。その状況下で金庫の開け方を調べた。これだけで十分です。」
主が僕の目を一瞬だけ見つめる。
「従業員の方が青いシャツの男を目撃しています。バックヤードの中にいたと。あなたは普段、警備員の制服を着ていることは誰もが知っている事実です。だから青シャツの男を一目見ただけでは青シャツの男をあなただとは思わなかった。」
すると愛菜が思い出したように目を丸くした。
「そっか。だからお姉ちゃんの手帳には警備員の名前は書かれていなくて、誰かが金庫の鍵を探している、みたいな書き方になっていたんですね。」
「その通りです。ちなみにですが、あなたは事件の起こる1ヶ月前にフィリピン旅行に行っていたようですね。帰国後、やけに機嫌が良かったと証言があります。そして、その旅行で買ったのがその青いシャツですね?」
杉田は首を横に振った。
「ち、違う。何故そうなるんですか?」
「タグが落ちていたから、とだけ言っておきます。あとで説明しますよ。金庫に近づくとき、あなたは青シャツを選んだ。警備員とバレず、巡回ルート外にいても怪しまれない服装だったから。」
杉田はまだ弱いふりを保とうと肩を震わせている。
でも人間は隠せない。僕にはとっくに分かっている。
その奥に潜む鋭い牙。
「ぼ、僕は、ただ・・・。」
「つまりあなたは金庫を狙っていたんです。それが10年前に起こった悲劇の始まりです。」
その瞬間、杉田の中で何かがひび割れるような気配がした。
「次に黒服の男についてお話します。」
僕の尻尾が揺れ動く。
彼がこの話題を避けたがっている匂いは、ずっと前から漂っていた。
主は手帳を開き、関町の供述内容を確認した。
「被害者となった南城夏美さん。この方は元カレによるストーカー被害を受けており、そのことを関町さんに相談していました。関町さんはストーカー対策のため、フリーの警護をやっていた黒服の男を雇っていました。夏美さんを護るために。」
「し、知りませんよ。そんなの。」
「知らなかったでは困りますね。黒服の男は夏美さんを護るために店内をうろちょろとしていたようですよ。従業員の何人もがその姿を確認している。まあ、店内で商品を買わずに、夏美さんを張っていたわけですから不審に見えるのは仕方ありませんよね。そんな人物を、警備員であったあなたが知らない、なんてことは通らないでしょう。そして、黒服は事件当日、病欠だった。関町さんがそう証言しています。」
杉田の指先が再び震え始める。
僕はその震えの質で分かった。
これは恐怖ではない。
計画が綻びる音への焦りだ。
「あなたは、その黒服の男がその日、店に来ないことを事前に知っていたはずです。」
「し、知らない。」
「では聞きます。事件の日、あなたは警備服ではなく、黒服のスーツを着ていましたね。」
静寂。
沈黙。杉田の匂いが、嘘をつけないほど濃い。
「あなたは分かっていたんです。本来の警備の制服で店の裏側にいれば、警備員が何をしているんだ、とすぐに疑われてしまう。だからあなたはその日、黒服に化けた。」
「証拠は?」
主が少しだけ口角を上げた。
「残念ながらその証拠はありません。これはあくまでも推理。状況を全て整理した上で導き出された推理です。これが真実かどうかはあなたしか知らない。」
「証拠がないのであれば僕じゃない。」
「黒服本人は、事件日、病欠で休むと関町さんに連絡があったと言っています。つまり、彼は事件の起こる日の朝、何者かの手によって仕事に行くことが出来なかった。つまり、彼は事件が発生した当日、もしくは関町さんに電話をした後、何者かに連れ去られた可能性が高い。どこで?誰に?それは言うまでもありませんね。あなたは黒服に罪をかぶせたかった。だから彼の黒スーツを着用して、バックヤードスペースに侵入した。普段、本物の黒服が立ち寄ることのないバックヤード付近にね。」
杉田の呼吸が荒くなる。
「ああ、それと一つ大事なことを言っておきます。あなたの嘘は筒抜けですよ。私にではなく、私の頼もしい相棒である、この猫、翡撃にね。」
僕は静かに杉田を見た。
猫には化けた匂いは通用しない。
その瞬間、杉田の瞳に弱々しさとは別のもの、獣の眼がちらりと浮かんだ。
「ちなみに私は最後まで悩みました。あなたなのか、それとも関町さんが犯人なのか。関町さんにも不審な点がありました。被害者である吉岡さんとの間に金銭トラブルがあったようです。おそろくギャンブルによる借金返済とか、そういう理由で関町さんからお金を借りていたそうです。しかし、関町さんは口は悪いが、悪人ではない。どちらかといえば善人です。おそらく事件の1週間前に金銭トラブルにより口論していた。それが吉岡さんは1週間後にはすっかりと機嫌が良くなっていたと言います。これは何故か。普通に考えれば分かります。金銭トラブルが解決したからでしょう。吉岡さんには当時、まだ10歳かそこらの子どもが居ました。その子のことを考えると、あの関町さんの人柄なら、返済期限を延ばしてもおかしくはないでしょう。それに借金を重ねている相手に店の売り上げの集計を任せると言うことはそれだけ信用している証拠。トラブルがあったが、信用し合える仲だという証拠です。そして関町さんには不審な点が1つありました。もしかするとあなたは気が付いていなかったかもしれません。関町さんは20時頃に退勤をしていたようなんです。タイムカード上はね。ただし、実際に帰ったのは21時頃だそうです。これはおそらくですが、夏美さんが心配だったのではないかと思っています。彼は責任感の強い男です。黒服が病欠のため、自分が夏美さんを見てやらなくとはならないと思っていたのだと思います。しかし、あと数十分、もう少し長く見てあげてたらこの悲劇は生まれなかった。そう責任を感じてあまり口を割らなかったのかもしれませんね。」
なるほど、流石は主だ。
よく人間観察が出来ている。
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