「海野晴人」観変遷の研究

来田千斗

『海が晴れる日』——歴史が伝説に変わる――

 今から500年ほど前、1人の英雄が、歴史を創った。彼は、多くの敵とそれ以上の信奉者を生んだ。そして、彼は、死してなおその征途を終わらせなかった。彼の人生は伝説となり、真偽の程も不確かな数多の伝承を残した。その伝説は多く彼を崇め、彼の子孫にもその崇拝の対象を広げるのにそう時はかからなかった。そうして伝承は、ますます人々の理想を含み、一群の神話となった。その英雄の名は……海野晴人。


 

『400年前に遺棄されたという水没した高層ビル群の一つ、6階建てのうち上側の2階だけがさながら小島のように水面上に顔を出す廃校。そこにボートで近づく2つの人影があった。

瓦礫が散乱する広間に足を踏み入れた二人は、比較的安全と思われる一画に腰を下ろした。

 そのうちの一人、白銀の髪を持つ少年が、打ち去る汐に運ばれて堆積したのだろう、壁に溜まった土を指でそっと擦った。

「見ろ、まるで積もった土に守らていたかのようだ。壁画がはっきりと残っている」

「これは……ラファエロの『アテナイの学堂』か」

漆黒の髪を持つ少年が答える。その顔を表したのは、絵の中央部。左側に佇むのは、天を指すプラトン。その右側、そこには地を指すアリストテレスがまた佇立し、二人は激しい議論を交わしている。彼らはなにかを、その絵から感じた。その正体は、まだ彼らの知るところではなかった。』 [シャルティラ・ウェイ, 2668]


 シャルティラ・ウェイが著し、海野晴人に対する後のイメージに多大な影響を与えた歴史小説『海が晴れる日』(2668)。これはその序章の一部である。この舞台となった廃校は、21世紀中期の令和関東地震と第一次大海進で遺棄された「セぺマケ学校」または「シェ―ウェイ学校」であるとされている。しかし、果たして21世紀の建築物とは、400年もの間水没状態で放置されてなおその原型を保持できるものであったのであろうか。この問の答えは、もはや歴史という霧の向こうである。


 この作品にはそのほかにも学術的な観点から疑問符のつけられる描写が多いが、一方でそれ以上の歴史的価値が存在する。この物語は、「歴史」を「伝説」に変えた。


 シャルティラ・ウェイは大宮出身の著作家であり、『海が晴れる日』のほかに『新たなる夜明』三部作、『浄瑠璃坂の雨』などがある。『海が晴れる日』は2668年、日光民主共和国にて初版が発行されると瞬く間に社会現象となり、その流行は相当に広い範囲へと波及した。日光が中立的な国家であったことも手伝い、当時としては異例なことに、鎖国体制下のものを含めた列島のすべての国で、この本は2670年までに販売が開始された。これほどの待遇を得た書籍は、27世紀においてはこれのみである。


 この小説は、その後の歴史に大きな影響を与えた。それまで「冷酷無比な侵略者」「列国を統一した英雄」と地域によって相反したものであった海野晴人へのイメージが、「等身大の人間」として描き出された。そうして、そののち数十年のあいだ、海野晴人への好意的なイメージが人々の間に醸成された。

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