思春期の怪獣

日原夏至

第1話

 東京は文字通り、突如出現した巨大怪獣に蹂躙されていた。


 イグアナのような巨大な頭部の下から伸びた無数の触手を振り回す度に、周囲のビルが崩れていった。


 頭の上を編隊を組んだ戦闘機が飛んで行く。戦闘機からミサイルが射出され、怪獣に直撃した。

 大きな爆発とともに、煙が怪獣を包み込む。


 しかし、煙の中から橙色の熱線が天に昇ると、戦闘機を破壊した。


 怪獣が脚を一歩踏み出す度に地震が起こる。

 何十本もの触手が伸びて、先端に鋭い牙の生えた口が覗く。触手が、逃げまどう人々を喰らっていた。


 悪夢だ。B級パニック映画のような世界が広がっている。……しかし、夢ではなく現実だった。

 俺は街が踏み潰され、罪もない人々が食べられるのを見ているしか無かった。

 ……巨大怪獣の右頬から。


    ◇


『怪獣が山梨に出現。今年で3体目』


 7月のある日、バイトから帰った俺はベッドの上で仰向けになり、スマートフォンで動画を見ていた。全身を鱗に覆われたカバのような生き物が池から出てきたと思われる画像を、機械音声が紹介していた。

 画質が酷いし、細部がわからない。AIで作った画像じゃないのか?


 配信者の話によると他にも怪獣が目撃されているらしい。

 豚のような頭に、モスグリーンの長い毛が生えた生き物が、ぐったりしたウサギを口にくわえている写真が映る。……ほぼ、ただの豚だ。


 もう一枚の写真には、2本の足で立った大きな灰色のハムスターのような動物が、犬と格闘していた。配信者は怪獣と言い張っているが、犬に襲われてるようにすら見える。


 どれもこれも、胡散臭すぎる。


 そんな気持ちを見透かしたように、機械音声は語った。


『……これは本物の怪獣です。情報提供者は、命の危険を犯して私に写真を託しました。政府やマスコミは嘘をついています。怪獣は、本当に日本各地に出現しているのです。次は、あなたの所に出現するかもしれません』

 そう言って動画は終わった。


「ぜひ来てもらいたいもんだ……」

 スマートフォンを投げ出し、俺は目を閉じた。



 朝方、奇妙なサイレンと人間の悲鳴で目が覚めた。

 ワンルームの部屋が断続的に揺れている。


 地震か? 揺れはおさまるどころか大きくなってきている。

 一体、何が起きている? 俺は、揺れる室内を壁伝いに歩き、カーテンを開けた。

  

 50メートル程先に大きなビルが建っていた。いつの間にこんな建造物が? しかし、その高層ビルは動いていた。


 巨大な頭部は爬虫類を思わせ、口が顔の後ろの方まで割れている。首の周りからは体を包むようにの触手が垂れ下がっていた。

 シルエットは、まるで巨大なクラゲのようだ。触手が鞭のように動いては、周囲の建物を破壊していた。


 ……巨大怪獣?

 寝起きの頭に、昨日の動画が浮かんだ。本当に怪獣が現れたのか?


 その時、1本の触手が蛇のように宙を泳いで、俺の窓の前にやってきた。

 触手の先が縦に割れて、巨大な牙が覗く。


 声を上げる間もなく、触手が窓ガラスを突き破って俺を安い家具ごと飲み込んだ。


    ◇


 闇の中で、人々の悲鳴が聞こえる。

 しかし、体が動かない。


 ……死んだのか、俺?

 くそっ、せっかく大学に合格したのに! 彼女も出来て、大学生活を謳歌しようとしたのに!

 あれ、彼女には振られたんだっけ? 俺の人生って一体?

 嫌だ、まだ死にたくねえっ! 


 闇の中で俺の声が木霊した。


 ……ズシン、ズシンと大きな振動が伝わってくる。眠りから覚める直前のように、徐々に意識が戻って来た。

 周囲からは、相変わらず奇妙なサイレンと人々の悲鳴が聞こえる。


 俺は生きてるのか? しかし、体が動かない。瓦礫に挟まれているのだろうか。

 突然、近くで爆発音が聞こえた。強い衝撃で体が揺れる。飛行機が飛ぶ音が聞こえた。

 どうなってんだ! 俺は、思い切り目を開いた。


 眼下には、倒壊したビルから黒い煙が上がり、ビルの間を逃げ惑う人々が目に映った。


 さっきの怪獣にやられたのか? 

 街が破壊され、逃げる人間が次々と怪獣の触手に捕食されていた。


 クソッ、やめろ! 誰か、怪獣を止めてくれ!

 そうだ、自衛隊は? こんな時は自衛隊が出撃するはずだ。

 その時、太陽を背に戦闘機が飛んでくるのが見えた。



 来た来た、やっぱりこれでしょ! 心の中で喝采を送る。


 戦闘機はミサイルを発射した。……俺の方に向かって。


 え? 何で? ヤバいじゃん!


 怪獣の触手が素早くしなり、ミサイルを払い落とす。

 ミサイルが空中で爆散した。


 怪獣は触手を器用に動かし、次々とミサイルを迎撃していく。


 すげえ……感心してる場合じゃ無いけど。

 ていうか今の俺ってどういう状況なの?

 

 景色が振動と共にゆっくり流れている。まるで俺が怪獣と一緒に移動しているような……。

 もしかして俺、怪獣に乗ってる?


 後頭部が固定されているようだ。しかし、全力を込めるとわずかに頭を動かすことが出来た。


 ここは……?

 灰色のでこぼこした壁が、空に浮いている。左側を見ると、大きな口が見えた。

 下を見ると、無数の触手が蠢いている。


 どうやら、怪獣の頭部に括り付けられているらしい。どうして? ていうかどうやって固定してんのよ?

 俺は慌てて体を動かそうとしたが、体は動かない。

 どういうことだ!?


 その答えは、鏡のようなビルのガラスを見た時に分かった。

 怪獣の右頰に、小さなニキビのようなものが見える。

 それは、よく見ると人の顔のような形をしていた。


 え……まさかこれが今の俺!?


    ◇


 どう言う仕組みかわからないが、俺は怪獣に食べられた後、その頭部にぽっこり顔を出したようだ。一見、ただのニキビだが。


 ……って、なんでだよ!


 俺が混乱している間にも、怪獣は街を破壊しながら進んでく。触手が素早く動き、逃げ惑う人間を捉えてはその先端から飲み込んでいた。


 自衛隊の攻撃を何度も受けたが、戦闘機のミサイルも戦車による砲撃も怪獣の歩みを止めることはできなかった。

 触手が思った以上に厄介で、掻い潜って怪獣に攻撃するのが難しいようだ。

 強度が高い上に、千切れても新たな触手が生えてくる。

 頭部も相当皮膚が厚いのか、ミサイルが直撃してもびくともしなかった。

 

 怪獣は強力な装甲だけではなく、武器も持っている。口から吐く熱線だ。ビルを切断しながら戦闘機を破壊した時は、思わず笑いそうになった。飛距離も長く、視界に入るものは全て薙ぎ払う。

 

 俺は何も出来なかった。目の前で人間が食べられるのを見せつけられるだけだった。

 俺と同じ状況の人間が生き残っていないか、怪獣の身体を探したが、誰も見当たらなかった。つまり、生き残りは俺だけだ。

 絶望と孤独に俺は泣いた。涙腺が無いのか、涙は出なかったけれど。


    ◇


 ん……? ビルとビルの合間に、見覚えのある顔がのぞく。

 大きい眼鏡をかけた女の子が家の中から出てきて、道路の反対車線に停まった車の方に移動していた。


 あの娘は確か……同じ学部の浅葱炎華あさぎほのかじゃないか!

 なにやら重そうなバッグを肩にかけて、よたよたと道路を渡ろうとしている。


 俺は興奮した。

 そんなに親しいわけではないが、この絶望的な状況下で知っている人間に会うのがどんなに嬉しいことか。


 ちなみに華やかで強そうな名前と裏腹に、炎華本人は至ってそのような人物ではなく、むしろ真逆のタイプだった。なぜかいつも白衣を着ていたが、普段何をしているのか誰も知らない。講義は前の席で話を聞いているが、終わるとすぐにどこへともなくいなくなってしまうのだ。

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