酒場の主は元S級〜弱そうな酒場のマスターに喧嘩を売ると、だいたい人生が終わる〜

有賀冬馬

第1話

 昼下がりの酒場なんてのは、だいたいこんなもんだ。


 俺はカウンターの内側で、古い布巾を片手に木目をなぞっている。ゴシゴシやるほど汚れてるわけでもないけど、こうして手を動かしてると時間が勝手に流れていくから楽でいい。

 店の名前は「昼行灯」。冒険者通りの真ん中で、広場からは少し外れた場所にある。まあ立地だけ見ればそこまで悪くないんだが、昼間はどうにも静かだ。


「なあマスター、昼間から酒場やってて、ヒマじゃねえの?」


 カウンター席に座っている若い剣士が、あくび混じりにそう言ってくる。

 肩に立派な剣を背負ってるが、刃はまだ新品みたいに光ってる。たぶん最近登録したばかりの冒険者だろう。


「ヒマだよ。だから掃除してる」


「はは、正直だなあ。俺だったら昼寝しちまうぜ」


「それもいいな。今度そうするか」


 そう返すと、剣士は「冗談だろ?」って顔で笑った。

 まあ、昼寝してても誰も困らないだろうけど。


 店の中には、他にも数人、昼休憩みたいな客がいる。鎧を脱いで汗を拭いてる槍使いとか、壁際で地図を広げて話し込んでる魔術師二人組とか。

 昼間はだいたいこんな感じだ。騒ぐ奴もいないし、酔っ払いも来ない。


「しかしよ、この街はほんと落ち着かねえな」


 槍使いの男がエールを一口飲んで、向かいに座る相方に言った。


「昨日も広場の方でケンカだろ? 冒険者同士で」


「聞いた聞いた。原因は報酬の取り分だってさ」


「くだらねえ」


 そんな会話を、俺は布巾を動かしながら聞いている。

 この街は、表向きはにぎやかで平和そうに見えるけど、裏側じゃ毎日なにかしら起きてる。ダンジョン、依頼、金、魔道具。理由はいくらでもある。


「マスターはさ、ああいうトラブルに巻き込まれたことないのか?」


 さっきの剣士が、ふと思い出したみたいに聞いてきた。


「俺? ないない」


「ほんとかよ。こんな場所で店やってて?」


「店の中で静かにしてりゃ、だいたい大丈夫」


 そう言って肩をすくめると、周りの客たちが笑った。


「さすがだな、昼行灯マスター」


「争いごとが嫌いって顔してるもんな」


「いや、単に弱そうなだけだろ」


 最後の一言で、また笑いが起きる。

 悪意があるわけじゃない。ただの軽口だ。俺もそれは分かってる。


「まあ、俺は剣も振れないしな」


 そう言うと、「やっぱりな」って声が返ってきた。

 実際、今の俺はただの酒場のマスターだ。眠そうな目でカウンターに立って、注文を聞いて、料理を出して、あとは掃除と金勘定。冒険者としては、たぶん一番頼りにならない部類だろう。


「でもよ、マスターがいると落ち着くんだよな、この店」


 槍使いがぽつりと言った。


「静かだし、変なの来ねえし」


「それはありがたい話だ」


 本音だった。

 静かなのが一番いい。変なのが来ないなら、なおさらだ。


 そのときだった。


 店の外、通りの方から、バタバタと慌ただしい足音が聞こえてきた。

 複数じゃない。ひとり分。でも、やけに必死な音だ。


「ん?」


 扉の方に、客たちの視線が集まる。

 俺は布巾を動かしたまま、ちらっとそっちを見ただけだった。


「誰か走ってんな」


「追われてんじゃね?」


「昼間っから物騒だな」


 そんな声が上がるけど、扉は開かない。足音は通り過ぎたみたいで、すぐに遠ざかっていった。


 俺は小さく息を吐く。


「……面倒ごとじゃなきゃいいけど」


 誰に聞かせるでもなく、そうつぶやいた。

 この店に関係ないなら、それでいい。

 昼行灯は、昼行灯のままでいたいんだ。


 俺はまたカウンターに目を戻して、布巾でカウンターを拭き続ける。

 昼下がりの静かな時間は、何事もなかったかのように、ゆっくりと流れていった。

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