カラクリ古代遺跡探検記

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プロローグ 境界を往く者たち

 朽ちかけた遺跡の浅い層は、乾いた古代木の匂いと、微細な砂塵に満ちていた。


 鼻腔に残るその匂いを、ギユウは嫌というほど知っている。長い時間が幾重にも折り重なり、それでもなお形を保ち続けた場所だけが放つ、独特の気配だ。


 壁も床も天井も、視界に入るものはすべて木。

 金属でも石でもない。信じがたいほどの年月を生き延びた古代木が、削れ、割れ、ささくれながらも、構造として成立し続けている。指で押せば崩れそうなのに、一歩踏み込めば確かに体重を受け止める。その相反する感触こそが、この遺跡の正体だった。


 絡みついた根の奥で、墨脈が黒く脈打つ。

 樹液とも鉱物ともつかないそれが、木の内部を神経のように走り、一定の周期で色を濃くする。遺跡が呼吸している――そんな錯覚を覚えるほど、静かで、確かな律動。


 ギユウは鉄スコップの柄を握り直し、足元を確かめながら進んだ。


 木床がかすかに軋むたび、無意識に重心を調整する。何度も浅層を踏破してきた身体が、危険の手前で自然とブレーキをかける。


 かつては、ここを一人で歩いていた。

 未知を掘り当てる高揚と、すべてを失うかもしれない恐怖。その両方を胸に抱え、孤独に潜るのが当たり前だった。


 だが今、その感覚ははっきりと違う。

 緊張はある。だが、胸の奥を冷やすような孤独はない。


「……そろそろ来るな」


 ギユウの低い声に応えるように、視界の端で淡い青粒子が集まり始めた。

 空間に光の輪郭が描かれ、実体を持たないはずの存在が、そこに“浮かぶ”。


 アルファだった。


 淡く発光する青のホログラム。光の糸を幾重にも編み上げたようなその姿は、幻想的でありながら、奇妙なほど現実感がある。彼女が現れただけで、埃っぽい遺跡の空気が、わずかに澄んだ気がした。


 穏やかな表情。だが視線はどこにも留まらない。

 壁の厚み、床の歪み、墨脈の流速――すべてを同時に見渡し、演算しているのが、ギユウにも分かる。


『前方十メートル。曲がり角の先に三体。浅層用自衛カラクリが起動しました』


 声は空気を震わせず、直接頭の内側に届く。澄んでいて、迷いがない。


 ギユウは短く頷いた。アルファの判断に、疑いを挟む理由はない。


「行けるか」


「もちろん!」


 弾む声とともに、半歩前へ躍り出た影があった。


 イロハだ。


 ミルクティホワイトのショートカットが、薄暗い遺跡の中で軽く揺れる。小柄な体躯に、よく動く身体。古い木製のメガネの奥で、好奇心に満ちた瞳がきらりと光った。


 太もものホルスターから鉄バトンを抜く動作に、無駄はない。

 遺跡という無骨な空間の中で、彼女の動きだけが不思議と軽やかに映る。


 次の瞬間、砂が割れた。

 木製のカラクリが姿を現し、発条が唸りを上げる。関節が展開され、遺跡全体が低く鳴動した。


『右の個体、駆動遅延。第三関節に歪みあり。イロハ、そこです』


 アルファが指先を動かすと、淡い光が宙に線を描く。


「了解っ!」


 イロハは迷わず跳んだ。

 踏み込みはしなやかで速い。鋭い加速の中に、乱れがない。


 回し蹴りが木製の胴体を捉え、鈍い音が響く。完全には壊れない。だが、確実に一瞬、動きが止まる。


 それで十分。

 イロハは距離を詰め、体勢を崩したまま制する。力でねじ伏せない。主導権を奪うための動きだ。

 ギユウは、その背中を何度も見てきた。


『左、二体。距離が詰まります。ギユウ、動線を』


「分かってる!」


 ギユウは踏み込み、スコップを床に叩きつけた。

 木片と砂塵が跳ね上がり、視界が乱れる。


 その隙間を、イロハが滑り込む。


「ちょっと、大人しくしててくれる?」


 軽口と同時に、鉄バトンが関節を打つ。

 歯車が噛み違い、二体の動きが目に見えて鈍った。


『今です』


 アルファの声は静かだが、確信に満ちている。


 ギユウは迷わず踏み込んだ。

 呼吸の延長にある一撃が、アルファの示した一点へ吸い込まれる。


 最後の一体は、抵抗する間もなく沈黙した。


 静寂。


 イロハが屈み、カラクリから発条石を拾い上げる。琥珀色の光が、彼女の横顔を柔らかく照らした。


「うん、上物やね。今日はツイてる」


『とても良い連携でした』


 アルファの声に、わずかな温もりが混じる。

 ギユウは、その変化を聞き逃さなかった。


 出口から、白い光が差し込む。


 一人で潜っていた頃には、決して見えなかった景色だ。


 ギユウは光の方へ歩き出す。

 背後には、イロハの軽い足音と、アルファの静かな存在が、確かに続いていた。


こんなにも温かく、こんなにも満たされた未来が来るなんて、あの頃の自分には想像することさえできなかった――。

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