詠唱? それ、気合を入れるためのおまじないですよね? ~勘違い貴族の規格外魔法譚~

Gaku

第1章:転生と魔法の目覚め

第1話:プロローグ~死と再生~

ち、ち、ち、と、まるで精密な時計が時を刻むかのように規則正しい電子音が、静寂に満ちた病室の空気を震わせ、僕の鼓膜を執拗に揺らし続けていた。その音が一体何を示しているのか、僕、ガクはもうずいぶんと長い付き合いになる。僕自身の心臓が、かろうじて、本当に、かろうじてまだこの世で拍動を続けているという事実を証明するためだけに存在する、あまりにも無機質で冷たい生命の残響。それ以上でも、それ以下でもなかった。


視界を満たすのは、どこまでも純粋な、一点の染みすら許さない完璧なまでの真っ白な天井。来る日も来る日も、朝も昼も夜も、僕が見上げ続けたその白は、もはや単なる色ではなく、僕の世界そのものを象徴する絶対的な概念と化していた。視線をほんのわずかに、億劫な動作で横へとずらせば、そこにもまた同じように、感情の欠落した真っ白な壁が広がっている。そして、その壁を背景に視界に入るのは、骨と皮ばかりになった僕自身の腕。そこには痛々しくも数本の管が突き刺さり、複雑に絡み合いながら、傍らに立つ無骨な点滴スタンドへと繋がっていた。スタンドの先に吊るされた透明な袋から、ぽつり、またぽつりと、まるで悠久の時をかけて滴り落ちる鍾乳洞の雫のように、一定のリズムで液体が滴下している。その液体こそが、僕という希薄な存在をこの物理世界に辛うじて繋ぎ止めている、最後の砦なのだと教えられていた。


「」


何かを口にしようとして、しかし、すぐにその無意味さを悟ってやめた。乾燥し、ひび割れてしまった唇から漏れ出るのは、きっと息が漏れるか細い音か、あるいは意味をなさない空気の掠れる音だけだろう。一体、もう何日間、まともに言葉というものを発していないのだろうか。最後にした会話は誰とだったか、どんな内容だったか、それすらも思い出せないほどに、僕の声帯は沈黙に慣れきってしまっていた。


僕の名前は、ガク。齢、十七。その十七年という、世間一般で言えば希望に満ち溢れているはずの歳月の大半を、僕は皮肉にも、この殺風景で閉塞した四角い箱の中で過ごしてきた。物心がついた時には、すでに僕の身体は硝子細工のようにひどく脆かった。巷で流行るただの風邪は、僕の身体を通ると必ずと言っていいほど重篤化して肺炎となり、ほんの少し廊下を走っただけで、心臓は限界を訴えるように狂ったリズムで悲鳴を上げた。青空の下でボールを追いかける友人たちの輪も、廊下ですれ違い様に胸をときめかせる淡い恋も、汗と土にまみれて勝利を目指す部活動の熱気も、僕の人生という名の辞書には、残念ながら載っていない言葉たちだった。それらは、僕にとっては遠い異国の物語であり、手の届かない御伽噺に過ぎなかった。


そんな僕が、この閉ざされた世界と唯一繋がることができる場所。それが、この病室にたった一つだけ設けられた、四角く切り取られた窓だった。


初夏の力強い日差しが、磨き上げられた窓ガラスを何の抵抗もなく通り抜け、病室の冷たいリノリウムの床に、まるで一枚の光り輝く絨毯を広げたかのように、暖かな四角い光の領域を作り出している。その光の中では、普段は決して目に見えないはずの微細な埃たちが、まるでそれぞれが独立した意思を持っているかのように、あるいは光に誘われた生命体のように、きらきらと輝きながら乱舞していた。それはまるで、僕という消えゆく生命の、最後の輝きを祝福し、同時に嘲笑っているかのようにも見えた。


窓の外には、一本の大きなケヤキの木が、天に向かって枝を広げ、堂々とそびえ立っていた。春先の、萌えるような淡い若葉は、今や力強い生命力を湛えた深い緑色へとその姿を変え、燦々と降り注ぐ太陽の光を全身で浴びて、その一枚一枚が自らの生命力を誇示するかのように葉脈をきらきらと輝かせている。心地よい風が吹き抜けるたびに、ざわわ、と数えきれないほどの無数の葉が擦れ合う音は、まるでどこまでも広がる緑色の波のようであり、また、僕の知らない世界の喧騒そのもののようにも聞こえた。その音は、僕に対して「外の世界は、お前が想像する以上に、こんなにも圧倒的な生命に満ち溢れているのだ」という揺るぎない事実を、あまりにも残酷なまでに、しかし同時に美しく突きつけてくるのだった。


時折、風向きがふわりと変わると、いつも鼻をつく消毒液のツンとした冷たい匂いに混じって、どこか遠くの庭から運ばれてきたのであろうクチナシの甘い香りが、不意に僕の鼻腔を優しくくすぐった。その濃厚で甘美な香りは、ほんの一瞬、僕の意識をこの無菌室からさらい、活気に満ちた外の世界へと飛ばしてくれる魔法の絨毯だった。


(ああ、なんて、いい匂いなんだ)


クチナシの香りは、夏の始まりを告げる香りだ。それはつまり、少年たちがTシャツ一枚で野山を駆け回り、玉のような汗を流し、キンキンに冷えた麦茶をがぶ飲みし、突然の夕立に降られて軒先で雨宿りをする、そんな季節の香り。僕がただの一度も経験したことのない、あまりにも眩しく、そして切ない季節の香りだった。その香りを吸い込むたびに、僕の胸の中では、体験したことのないはずの情景が鮮やかに再生される。友と呼べる誰かと笑い合い、くだらないことで喧嘩をして、夕暮れのチャイムが鳴るまで遊び呆ける。そんな、ありふれているはずの青春の断片が、僕の心を締め付けた。


ち、ち、ち、ち。


不意に、僕の思考を遮るように、あの無機質な電子音のテンポが、ほんの少しだけ速くなったような気がした。心臓が、また不穏なリズムを刻み始めている。それとほぼ同時に、廊下から看護師が慌ただしく部屋に駆け込んでくる気配がした。ああ、またか。最近は、この忌々しい発作も、ずいぶんとその間隔が短くなってきた。まるで、僕の命の蝋燭が、最後の輝きを放って燃え尽きようとしているのを急かすかのように。


「ガク君!しっかりして!」


遠のいていく意識の彼方で、誰かの必死な声が聞こえる。僕の名前を呼ぶ、切羽詰まった声。僕の顔を覗き込む、心配そうな顔。それはもう、僕にとってすっかり見慣れてしまった光景だった。


だが、そんな状況下にあって、僕の心は不思議なほどに静かに凪いでいた。まるで、分厚い防音ガラスを一枚隔てた向こう側で起きている出来事を、他人事のように眺めているかのようだった。痛みも、苦しみも、恐怖すらも、どこか遠い世界の話のようだった。


(もう、いいのかもしれないな)


頑張った。僕なりに、精一杯。十七年間という短くも長い時間、僕はよく頑張ったじゃないか。そう、自分に言い聞かせた。


この狭い世界で、やれることはやった。本もたくさん読んだ。歴史小説、SF、純文学。ページをめくる指先だけが、僕の自由だった。おかげで、ここにはいない誰よりも世界の歴史に詳しくなったし、窓の外のケヤキの葉の色の移ろいだけで、季節の繊細な変わり様を誰よりも詩的に語れるようになった。病室の床の隅に現れた蟻の行列を、飽きもせず一日中眺めて、その見事な社会構造について真剣に考察したことだってある。


できることは、全て。


この限られた、四角く切り取られた世界の中で、僕は僕なりに、確かに生きたのだ。


でも、やはり、心の奥底から湧き上がってくる思いがある。どうしようもなく、考えてしまうのだ。


(結局、僕は、何のために生まれてきたんだろう)


誰かのために、何かを成し遂げたわけではない。社会に貢献したわけでも、歴史に名を刻んだわけでもない。誰かの心の中に、いつまでも色褪せることのないような、深く、温かい思い出を残すことができただろうか。いや、きっとできていない。ただ、呼吸をして、機械に生かされて、来る日も来る日も、真っ白な天井をぼんやりと眺めていただけ。そんな人生だった。


唯一、心残りがあるとすれば、それは両親のことだ。絶え間ない心配と、莫大な金銭的な負担ばかりをかけてしまった。僕という存在は、彼らにとって喜びであったのだろうか、それとも、ただの重荷だったのだろうか。その答えを聞くことは、もう叶わない。


ごめんな、父さん、母さん。


どうやら、親孝行の一つもできそうにない、出来の悪い息子だったよ。


視界が、急速に白んでいく。まるで、濃い霧が立ち込めるように。あれほど鮮やかだったケヤキの緑も、床に広がっていた光の絨毯も、必死な形相の看護師さんの顔も、すべてが曖昧な乳白色の霧の中に溶けて、輪郭を失っていく。あれだけ僕の存在を主張していた電子音も、まるで誰かがボリュームのつまみをゆっくりと捻るように、次第に小さくなっていく。


ああ、終わるのか。こうして、終わっていくのか。


僕の、あまりにも空っぽで、不完全な人生が。


最後に脳裏に鮮やかに浮かんだのは、小学生の頃、たった一度だけ外出を許された日に見た、どこまでも、どこまでも果てしなく広がる、突き抜けるような青い空と、その空の下で僕の頬を優しく撫でていった、生温かい風の感触だった。


***


気がつくと、僕は漂っていた。


上も、下もない。右も、左もない。始まりも、終わりもない。そんな絶対的な空間に、ただ、ぽつんと存在していた。光も、音も、匂いも、そして温度という概念すらも、ここには存在しないようだった。ただ、僕という「意識」だけが、まるで宇宙空間に浮かぶ孤独な探査機のように、静かに、そして確かに存在している。五感という、世界と繋がるためのインターフェースを全て失った魂が、絶対的な無の中に浮かんでいる、と表現するのが正しいのだろう。


死んだのか。


どうやら、そのようだ。あれほど僕を苛んでいた体の息苦しさや、絶え間ない痛みは、今では微塵も感じられない。信じられないほど、身体が、いや、意識が軽かった。これが、巷で言うところの死後の世界というやつか。想像していたよりも、ずっとシンプルで、静かな場所だな。荘厳な門もなければ、三途の川も流れていない。天国でもなければ、地獄でもない。ただの、純粋な「無」。まあ、僕の空っぽだった人生の行き先としては、ある意味でおあつらえ向きなのかもしれない。


と、そんな風に一人で達観しかけて、この静寂を受け入れようとした、まさにその時だった。


『――確認しました』


その声は、耳から入ってきたのではない。直接、僕の脳内に、いや、もはや脳など存在しないのだから、魂と呼ぶべき核心部分に、直接響き渡った。男の声でもなければ、女の声でもない。老いてもいなければ、若くもない。あえて例えるなら、公共放送のドキュメンタリー番組のナレーションか、あるいは駅のホームで流れる自動音声のような、妙に明瞭で、一切の感情が乗っていない、平坦な声だった。


『観測対象ナンバー1108、ガク。魂の定着を確認。これより、特別オプションプランのご案内へと移行します』


「は?」


思わず、声が出た。いや、声帯などあるはずもないのに、確かに僕の意識は「は?」という疑問の形を成し、そしてその「は?」という音にならない声は、きちんと僕自身の意識にフィードバックされた。死後の世界とは、不思議なこともあるものだ。


「え、なんだって?特別オプションプラン?どこの携帯キャリアの勧誘だよ」


僕の精一杯のツッコミは、しかし、広大な虚空に、いや、この場合は無空とでも言うべき空間に、あっけなく吸い込まれて消えた。


しかし、その声は僕の独り言などまるで意に介さず、あくまでも淡々と、それでいてどこか、熟練のセールスマンが大口契約を取り付けようとするかのような、奇妙なプレゼンテーションじみた抑揚で言葉を続けた。


『あなたは、その短い生涯において、極めて特殊かつ限定的な環境下で生存しました。その記憶、経験、そして逆境下において形成されたユニークな精神構造は、我々高次存在にとって、非常に興味深い観測データとなりました』


「はあ、そうですか。それはどうもご丁寧に」


なんだか、自分の人生を、ガラスケースの中の珍しい昆虫の生態観察記録みたいに言われて、若干、いや、かなりカチンときた。まあ、言っていることは紛れもない事実だから、強く否定もできないのが悔しいところだが。


『つきましては、その多大なる貢献に対する感謝の意を込めて。そして、さらなる興味深いデータを我々が取得するため、あなたに二度目の人生をご提供いたします。いわば、我々が高次存在スポンサーとなってお贈りする、セカンドライフ・キャンペーンでございます』


「セカンドライフ」


どこかで聞いたことのある、懐かしいような響きだ。それはさておき、話の内容が突拍子もなさすぎる。この声の主は、神様か何かだろうか。だとしたら、随分とビジネスライクで、世俗的な神様だ。もう少しこう、後光が差したりとか、荘厳なパイプオルガンのBGMが流れたりとか、そういった神々しい演出というものはないのだろうか。


僕がそのあまりの展開に呆気に取られていると、声はさらに畳み掛けるように続けた。


『今回のプランでは、お客様が持つ全ての記憶と経験を、完全に引き継いだ状態での転生が可能となっております。あなたが十七年間で培った知識、思考、そして人格、その全てを保持したまま、全く新しい世界で、全く新しい人生をスタートさせることができるのです。どうでしょう、お客様。これは非常にお得なプランだとは思いませんか?』


やけにグイグイと押してくるな、この神様(仮)。


しかも、記憶を持ったままの転生だと?それはつまり、巷のゲームで言うところの「強くてニューゲーム」というやつではないか。


確かに、それは悪くない話だ。いや、悪くないどころか、これ以上ないほど最高の話じゃないか。もう一度、人生をやり直せる。病室のベッドの上からではなく、自分自身の足で。今度こそ、この足で広大な大地を駆け巡り、この手で何かを掴み取ることができるかもしれない。あの窓の外で見たケヤキの木に、自分の手で触れることもできるかもしれない。


だが、一つ、どうしても拭えない懸念があった。


「あの、ちょっとよろしいでしょうか」


僕は、おそるおそる、この何もない無空に向かって問いかけた。


『はい、なんでございましょう。ご質問ですか?誠に申し訳ございませんが、当サービスでは原則として質疑応答の時間は設けておりませんで』


「いや、そこをなんとかお願いします!一つだけ!本当に、一つだけでいいので確認させてください!」


僕は必死に食い下がった。これが、僕の人生(二度目)の全てを左右する、重大な分岐点になるかもしれないのだ。


『はぁ。やむを得ません。今回限りの特例とさせていただきます。手短にお願いいたします』


若干、本当にごくわずかだが、面倒くさそうなニュアンスが声色に滲んだ気がした。こいつ、本当に神なのか?まるで、込み合った平日の市役所の窓口で対応する職員みたいな、見事なまでの塩対応だな。


「ありがとうございます!あのですね、その、転生するにあたって、僕の次の身体のことなんですけど」


僕は慎重に言葉を選びながら、僕にとって最も重要で、核心的な質問を切り出した。


「次の身体も、前の人生みたいに、病弱だったりする可能性はありますか?もし、もしそうなのであれば、正直、ちょっとその、今回は遠慮しておきたいかな、なんて」


またあの白い天井を、来る日も来る日も見つめ続けるだけの人生は、もうこりごりだ。それくらいなら、このまま静かな「無」の中で漂っていた方が、よっぽどマシだ。


僕の切実極まる問いに、声は少しの間、沈黙した。まるで、システムのどこかでエラーが発生したかのように。まさか、そんな無慈悲なことがあるというのか。僕の魂が、再び深い絶望の色に染まりかけた、まさにその時だった。


『なるほど。左様でございますか。お客様のご懸念、ご要望、確かに承りました。大変失礼いたしました。ご安心ください。当プランは、お客様満足度ナンバーワンを目指しております。お客様からのご要望には、可能な限り、そして柔軟に対応させていただくのが我々の方針でございます』


急に態度が丁寧になったな。まるで、大口の顧客からのクレームを恐れるコールセンターのベテランオペレーターか、お前は。


『それでは、お客様のご要望にお応えして、急遽オプションを追加いたしましょう。基本プランに加えまして、今回に限り特別に!『ワールド・セレクト』、そして『フィジカル・カスタマイズ』の二つの人気オプションを、無償でお付けいたします!』


なんだか、深夜の通販番組みたいになってきたぞ。このノリは。


「ワールド・セレクト?フィジカル・カスタマイズ?」


『はい!まず『ワールド・セレクト』ですが、これはお客様の魂が持つ固有の波長に、最も適した転生先の異世界を複数ご提案と、言いたいところでございますが、大変申し訳ございません、現在、大変ご好評をいただいているキャンペーン期間中のため、接続先ワールドは『剣と魔法の世界・アースガルド』で固定となっております。何卒、ご了承ください』


「固定なんかい!それ、セレクトって言わないだろ!」


『次に『フィジカル・カスタマイズ』でございますが、これはまさしく、お客様のご要望に基づき、転生後の肉体を自由に調整できるという、画期的なサービスです。つきましては、お客様。どのような肉体を、ご希望でいらっしゃいますか?』


いよいよ、本題が来た。僕のセカンドライフの全てを決定づける、究極の選択。


僕は、十七年間もの長きにわたって胸の内に溜め込み続けた渇望を、願いを、祈りを、たった一言に、魂の全てを込めて絶叫した。


「丈夫な体が、いいです!」


音のないはずの空間に、僕の魂の叫びが、確かにこだましたような気がした。


「とにかく、誰よりも丈夫なやつを!ちょっとやそっとじゃ絶対に風邪もひかなくて、どんなに無茶をしても一晩ぐっすり眠ればどんな疲れも綺麗さっぱり吹き飛んで、なんなら毎日フルマラソンを走ってもへっちゃらなくらい、とてつもなく頑丈で、最高に健康で、ぴんぴんしてる体が欲しいんです!お願いします!何卒、お願いします!」


我ながら、凄まじい剣幕だ。まるで、悪魔に魂を売るかのような必死さだ。だが、これだけは、これだけは絶対に譲れない。これこそが、僕のたった一つの、しかし、この世の何よりも強く、そして純粋な願いだったのだから。


僕のあまりの熱意と気迫に気圧されたのか、声は一瞬だけ、完全に沈黙した。


そして、やがて、その無機質な声の中に、どこか楽しんでいるかのような、あるいは面白い玩具を見つけたかのような響きを伴って、こう言った。


『お客様のその熱いパッション、確かに、確かに受け取りました。承知いたしました。それでは、お客様のご要望に基づき、我々の技術の粋を集め、考えうる最高レベルの耐久性と、無尽蔵の生命力を誇る肉体をデザインし、ご提供させていただきます』


やった!


僕は魂だけの状態で、天に向かって力強くガッツポーズをした。


『それでは、これより転生プロセスへと移行いたします。対象:観測対象ナンバー1108、ガク。転生先ワールド:アースガルド。適用オプション:記憶継承、フィジカル・カスタマイズ(耐久性・生命力特化型)。プロセス、スタート』


その声が合図となったかのように、僕の意識は、まるで巨大な重力の底へ引きずり込まれるかのように、急速に、そして抗いがたい力でどこかへと引っぱられていく感覚に襲われた。


「うおっ!ちょ、ちょっと待ってくれ!心の準備というものが!」


『快適なセカンドライフを、心ゆくまでお楽しみください。なお、誠に恐縮ですが、当サービスでは、転生後のアフターサポートは一切行っておりません。万が一、ご提供した仕様と異なる事象が発生しましても、それはお客様の新たな人生における、刺激的なイベントの一環でございます。存分にお楽しみください。それでは、お客様。いってらっしゃいませ!』


最後の言葉は、なぜだかやけに陽気で、弾んでいた。


そして、僕の意識は、激しく渦巻くまばゆい光の奔流の中に、完全に飲み込まれていった。


新しい人生。


剣と魔法が息づく世界。


そして、誰よりも、何よりも、丈夫な体。


これから始まるであろう、全く未知の物語に胸を躍らせながら、僕はそっと、十七年間の僕の意識を手放した。


これが、病弱で、空っぽで、ただ白い天井を見上げるだけだった僕の人生の、本当の終わり。


そして、後に異世界アースガルドで「歩く災害」「無詠唱の暴君」「やりすぎ貴族」など、数々の甚だ不名誉なあだ名を頂戴することになる、僕の波乱万丈でドタバタな異世界生活の、本当の、本当の始まりだった。

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