掃き溜めの明かり
萩原伸一
第1話 その(一)今生の別れ
掃き溜めの明かり
果てしない旅
野宿した川原でマムシに噛まれ、又三郎はそのまま気を失ってしまった。どれだけ過ぎたか、何者かが又三郎の寝ている茂みに飛び込んで来た。飛びこんで来たのは意外にも、気位の高そうな武家娘で、川原で素振りでもして居たのか手に小太刀を持っていた。娘はは、辺りにばかり気を使い、足元で寝ている又三郎に気付かず、いいきなり裾を捲り上げた。「オシッコか!」と思ったその時、娘のむ目と目が逢った。娘の驚きは半端ではなかった。「無礼者!」と叫んで又飛び出して行った。その時、運悪く雨が降り出した。びしょ濡れになり薄れ行く意識の中、これが死か、しょせん流れ者の死ぬ時はこんなものか、最後にどこの姫君か一瞬だったがご本尊様も拝ませてくれた。
又、どれほど経ったか、自分の足が持ち上げられる様な気がして目が覚め、足元で女の姿が見えた。
生きて居たのか?、又三郎は目を閉じたまま様子を伺った。そうしして今、自分がどの様な状態か気付いて愕然とした。なんと見知らぬ女に素っ裸にされ、下帯を取り替えられている最中なのに気がつ付きはっとして足を閉じようとした。「動いてはなりませぬ」
凛とした女の声がした。又三郎は余りにも不様な自分の姿に、ただ目を閉じて耐えるしかなかつた。しばらくして、
「いつまで、寝た振りをしているのです」
娘に咎められ、仕方なく目を明けると、そこは豪華な部屋で、目の前に美しい娘の顔が有った。又三郎はなぜか?、その顔に見憶えが有った。
「そなた、名は何と言う。旅の者か」
「又三郎です、なん度も同じ夢を見ていました。夢の中で出会った方と、よく似ておられ驚いています」
「どの様な夢を、見ていたのです」
どの様なと聞かれて又三郎は困った。
「なぜ、答えないのです。答えられないほど無礼な夢ですか」
「えっー、あれは夢ではなかったのか?・・貴女は俺などの下着を、取り替える様な身分の方とは思えぬが」
「貴子だけが見られー放しでは、格好が付かぬ」
「申し訳ない。まともに拝見させて戴き恐縮の限りです。生涯の思い出に、させて戴きます」
「生涯の思い出にされては堪らない。そなたが寝ている間に、そなたの刀を見た。あの様な傷だらけの刀を見たのは初めてです。なん度も修羅場を斬りぬけ、生き抜いて来たのですね又三郎は、旅の話が聞きたい」
「五歳のとき母上を殿の弟君に殺され、父を恩人と敬う伝八郎が私に代わり仇を討ち、私を連れ旅に出ました。その伝八郎も二年前に死にました。殿の弟君を斬っての追われ旅は厳しかったです」
この僅か二十二歳の又三郎が語った、ここに至るまでの道程は、並みの者が、幾度生まれ変っても味逢うことの無い、過酷で波乱に飛んだものだった。
その(一)今生の別れ
主家にお家騒動が起き、家老の赤石は命を賭して騒動鎮圧の旗頭となるが、赤石を攻め倦んだ分家の国光君は、赤石に手を引かせようと赤石の家族に狙いをつけた。屋敷内で長兄を刺客に殺され、愛娘の雪も狙われた。さすがに赤石も窮地に追い込まれ、思案の末、雪を我が家の家来の中でも軽輩で目立たぬ、右門の家に隠うことにした。
突然、雪を預かる事となった右門は驚いた。当然右門にとって、ご家老は殿で、その娘の雪は姫君だ。
一方雪姫は、我が家の家来の中でも末席で若輩の癖に、雪の機嫌も取らぬ生意気な右門を普段から、快く思っていなかった。
そんな右門の家に預けられる事に成った雪姫は、歯に絹を着せぬ右門の言動に反抗した。
右門わ職務は免除され、ひたすら姫のお守りに時を費やしていたが、威張ってばかりいる雪姫と、毎日顔を突き合わせているのが窮屈で、隙をを見て好きな釣りなどに出かけた。それに気付た雪姫は、カンカンに怒った。
「雪が退屈しているのに、お前は遊び回っているのか、無責任な!、雪も釣りに連れて行きなさい」
「無責任とは心外な、殿は敵を欺くため、私の様な軽輩に姫を預けられたのです。私が何時も家に居ては、かえって怪しまれます。右門も、お優しく、お美しい姫の側に居たいのですが敵を欺くため、好きでもない釣りに努力して、行っているのです」
「嘘も方便と言うが、下手なお世辞を並べられると背筋に悪寒が走る。雪も明日から、釣りに連れて行きなさい」
「それは危険です。お綺麗で、目立ち過ぎる姫様が釣りなどしていれば、どんな馬鹿でも気が付きます」
「又、下手なお世辞を、町娘の衣装を調えなさい。身に着けている物で人は判断します。中身は雪も同じです」
「驚いた、世間知らずと思っていたのに、油断も隙も無い」
「何をぶつぶつ言っているのです」
翌日から、釣りや散歩に二人は出かけた。姫はまるで子供の様に、何をしても真剣だった。惚れっぽい右門は、そんな雪を抱きしめたい衝動に駆られた。初めは反抗ばかりして居た雪姫も、飾らない右門が他の若者達とは違うのに気付き、興味が出てきた。
幸いお家騒動も下火になり、姫に迫る危険も遠き、右門は恐れ多くも姫に恋心を抱いていた。初心な二人だけに進展も早かった。姫が屋敷に帰る前夜、一度だけ二人は結ばれた。屋敷に帰った雪姫の体に異変が表れ、姫は驚いて父の赤石に右門と結ばれた事を打ち明けた。聞いた赤石は驚いた。驚き怒って三日寝込んだ。大藩の家老職たる者の娘が、有ろう事か軽輩の家来との間に間違いが起こるなど、とんでもない事で、騒ぐことも出来ず、思い余った赤石は用人の爺を呼び付けた。
「爺、右門を連れて参れ。成敗してくれるわ」
「突然ご無体な!、右門が何をしたと言われるのです。右門は立派に姫を、守り抜いたのです。褒美を使わされても良いと思いますが」、
親代わりの様な爺に反論され、言葉に詰まった赤石は、やむなく爺にだけ事の次第を話し、右門を自分の前に引き出すよう命じた。だが用人も、嫌な言を人に伝えるのが苦手だった。
「右門、良く姫を守ってくれた。殿が礼をしたいと言っておられる。すぐ殿に、お目通りしなさい」
右門は殿に会うのは気が咎めたが、殿の前に平伏した。
「右門、どうして身共に呼ばれたか解るか」
「はい、ご用人から、ご褒美を下さると聞き参上いたしました」
赤石は(爺の奴、旨く逃げたな!)と思ったが、もう遅い。
「右門、いま身共がうぬに、腹を斬れと言ったらどうする」
赤石の怒りの篭ったこの一言で、右門は初心な雪姫が、二人の秘密を殿に話してしまったと解った。
「申し訳ご座いません。身の程も知らず、恐れ多くも姫に、大変な無礼をしてしまいました。お手討わ覚悟しています。ただ亡き父上の言いつけにより、自ら腹を斬る事は、お許し願います。」
「父上は、切腹はするなと言われたか。普通の親なら武士は、潔く腹を切れと倅に訓えるものだ。遺言と思って聞いてやる。父上の言葉を詳しく話してみろ」
「父上は、腹を斬らねばならぬ恥ずべき事は、始めからするなと言いました。それでも腹を斬れと迫る輩が居たら、隙を見て斬り抜けろ。くだらん事で命を落すな。命を掛けても悔いの無い女子に出会えば突撃しろ、そのため命を落としても男冥利と思え。人の一生など終ってみれば、瞬時の幻の様なものだ。そう言って父上は亡くなりました」
「うっかりして居たが、うぬは兄弟もなく一人住まいだったなあ」
「はい、私がお手打ちに成っても、恨みに思う身内はいません。お気軽になさって下さい。姫様には申し訳ないが、私はお手討ちに成っても、雪姫様と過ごした夢の様な三ヶ月を想うと、微塵の悔いも有りませぬ」
「参った、お主の父上に負けた。うぬの首を刎ね辛くなった。ろくに調べもせず、一人住まいのお前に姫を預けた爺にも責任は有る。それで貴様は、雪に無理に突撃たのか」
「はい」
「本当か、雪はそうは言ってないぞ。嘘を言うでない」
「嘘ではありませぬ。姫はいずれどこかの若君に嫁がれる身、あれは雪姫様の災難だったのです。私が消えれば済む事です」
「そうも行かぬは。うぬが消えても証が残っているわ」
と殿は呟いたが、その時の又三郎には、意味が解っていなかった。
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