第15話 接触は、確認ではなく調整として行われる

接触は、確認ではなく調整として行われる

1

「無言の観測」は終わった


事故の翌日から、

世界の手触りが変わった。


劇的な変化ではない。

ニュースに載るわけでもない。

大学で噂が立つわけでもない。


ただ、

観測の“距離”が縮んだ。


以前は、

使った結果だけが記録されていた。


今は違う。


使う前の逡巡。

使った後の呼吸。

眠れない夜の時間帯。


それらすべてが、

“データとして意味を持ち始めている”

――そんな感覚があった。


自販機の表示も変わった。


外部接触:

可能性上昇


可能性、ではない。

予告だ。


2

接触は、突然ではなかった


最初の“接触”は、

拍子抜けするほど地味見えた。


大学の図書館。

夕方。


俺が一人でレポート資料を探していると、

隣の席に、

いつの間にか誰かが座っていた。


二十代後半か、

三十代前半か。


服装は地味で、

どこの大学にもいそうな格好。


特別な雰囲気はない。

だが、

「気配を消すのが上手すぎる」。


彼――あるいは彼女は、

俺の方を見ずに、

本を開いたまま言った。


「最近、

大変でしたね」


それだけ。


3

会話は、事実から始まる


俺は即座に理解した。


この人は、

“探っている”のではない。


確認している。


「……何の話ですか?」


定型文のような返答。


相手は、

ページをめくりながら続けた。


「夜の事故。

交差点。

赤信号。

軽傷で済んだ」


由衣のことだ。


警察発表だけでは、

そこまでの情報は揃わない。


「偶然、

運が良かったですね」


相手の声は、

評価も同情も含んでいない。


ただ、

読み上げているだけだ。


4

相手は、名乗らない


「あなたは、

自分を“特別”だと思いますか?」


唐突な質問。


俺は少し考え、

正直に答えた。


「……思いたくはないですね」


相手は、

初めて俺の方を見た。


視線は鋭いが、

感情は薄い。


「良い回答です」


褒めているようで、

そうでもない。


「特別だと自覚した人間は、

判断を誤りやすい」


――経験則だ。


この人は、

“現場”を知っている。


5

接触の目的は「制止」ではない


「安心してください」


相手は言った。


「あなたを

拘束するつもりはありません」


それはつまり、

選択肢としては存在している

という意味でもある。


「私たちは、

“起きた事象”を

なかったことにはしません」


「ただし、

“起き続ける”のは

望ましくない」


核心に、

一歩近づいた。


俺は、

言葉を選んだ。


「……それを決めるのは、

あなたたちですか?」


相手は、

少しだけ首を傾げた。


「いいえ」


「今のところは、

あなたです」


6

心理戦は、対面でも続く


沈黙。


図書館の空調音が、

やけに大きく聞こえる。


相手は、

立ち上がった。


「今日は、

顔を合わせただけです」


「次に会うかどうかは、

あなた次第」


名刺も、

連絡先も出さない。


だが、

確実に“次”がある言い方だった。


去り際、

一言だけ残す。


「守る理由が

明確な人は、

強い」


「同時に、

一番危うい」


7

接触後の世界


その夜。


自販機の表示が、

今までで最も簡潔になった。


段階移行:確認済


説明はない。

助言もない。


俺は理解した。


これは、

“観測フェーズ”の終わりだ。


そして――

“対話可能フェーズ”の始まり。


終章

主導権は、まだ決まっていない


俺は、

何も約束していない。


協力も、

拒否もしていない。


ただ、

話を聞いた。


それだけで、

均衡はまた一段、

形を変えた。


観測者は、

もはや遠くない。


だが、

完全に近づいてもいない。


この距離は、

試されている距離だ。


俺が、

次に守るか。

守らないか。


使うか。

使わないか。


そのすべてが、

“返答”になる。


自動販売機は、

黙っている。


だが、

その沈黙はもう

中立ではない。


――

見守る沈黙だ。


俺は、

次の配信タイトルを入力する。


「選択を迫られた時、

人は何を基準にするのか」


コメント欄は、

きっとまた笑う。


だが、

この物語はもう、

俺一人のものじゃない。


接触は始まった。


次に動くのが

誰なのか――

それだけが、

まだ決まっていない。

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