第12話:吐き気を催す芝居、最後の足掻き

## エピソード:吐き気を催す芝居、最後の足掻き


### 崩壊する現実、しがみつく虚構


ありさの言葉は、静かでありながら、会場にいるすべての者の鼓膜を激しく揺さぶった。

「自分の葬儀に、お線香をあげに来ただけよ。…いけない?」


その、悪魔のような問いかけに、夏美の思考は完全に停止した。奥飛騨のぬかるんだ土、空っぽの墓穴、そして今、目の前に立つありさ。パズルのピースが、恐ろしい絵を完成させていく。私たちは、嵌められた。最初から、最後まで、この女の掌の上で踊らされていただけなのだ。


胃の底から、酸っぱいものがせり上がってくる。夏美は必死にそれを飲み込んだ。


隣で、へなへなと座り込んでいた建人が、まるで操り人形のように、ぎこちなく立ち上がった。彼の顔は恐怖で引きつり、滝のような汗が額を伝っている。しかし、彼は、この崩壊した現実を認めることを、最後の最後まで拒絶した。


彼は、震える足で一歩、ありさに近づくと、まだ機能しているらしい口で、信じられない言葉を紡ぎ出した。


**「…どうしたんだ? 心配してたんだぜ?」**


その声は震え、上ずっていた。彼は、無理やり作った困惑の表情で、ありさの肩に手を伸ばそうとする。

「みんな、お前が死んだと思って…! 一体、今までどこにいたんだよ! 連絡くらいしろよな!」


それは、あまりにも愚かで、あまりにも見え透いた、最後の芝居だった。彼は、この状況を「行方不明だった友人が、ひょっこり帰ってきた」という、ありふれた物語に無理やり捻じ曲げようとしていたのだ。そうすることでしか、自分たちの罪から、目の前の恐怖から、目を逸らすことができなかった。


### 吐き気


その瞬間、夏美の中で何かが決定的に壊れた。


**(…吐き気がする…)**


目の前で繰り広げられる、夫の、あまりにも哀れで、醜悪な一人芝居。

自分たちが犯した罪の重さにも気づかず、ただその場を取り繕うことしかできない、この男の薄っぺらさ。

この男の裏切りのせいで、自分は人殺しになり、狂気に身を任せ、そして今、地獄の淵に立っているというのに。


夏美の腹の底から湧き上がってきたのは、もはや恐怖ではなかった。それは、自分の共犯者であり、夫である男に対する、どうしようもない**軽蔑**と、こみ上げてくる**吐き気**だった。


彼女の視線は、もはや建人を捉えてはいなかった。ただ、静かに、そして冷たく、自分たちを見下ろすありさの顔を、焼き付けるように見つめていた。


ありさは、建人が伸ばそうとした手を、払いのけるでもなく、ただ冷たい視線で縫い止めた。建人の手は、居場所をなくして、虚しく宙を彷徨う。


そして、ありさは、その不気味な微笑みを崩さないまま、建人の耳元にだけ聞こえるような声で、囁いた。


「心配? そう…。じゃあ、教えてあげる」


彼女は、少しだけ間を置いた。


「奥飛騨の、冷たい土の中で、ずっとあなたたちのことを待ってたのよ」


建人の顔から、最後の血の気が引いた。彼の瞳から、作り物の困惑が消え去り、ただ純粋な、獣のような恐怖が浮かび上がった。


夏美は、その光景を、遠い世界の出来事のように見ていた。

ああ、終わったのだ。

この、吐き気を催すような、茶番が。


そして、これから始まる本当の地獄に、自分はこの愚かな男と一緒に落ちていくのだ。

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