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  • 「シュレディンガーの猫」の話を思い出しました
    箱の中の猫が生きているか死んでいるかは「観測」するまで決まらないという考え方です
    量子論の重ね合わせを表現した例としてよく耳にします

    でも私はこの考え方には疑問を持っています
    観測者には分からなくても当の猫本人は自分が生きているか死んでいるか絶対知っているはずです(局所実在論)

    つまり「答えありき」であって、観測するまで決まらないというのは結局人間の「不知」のことを言っているだけなのではと思います
    将棋の世界にも絶対の正解手というのがあって、対局で負けるのは敗者の「不知」が原因だと言われています
    もし全能の神と全能の神が将棋を指されたら何が起きるか
    どちらも最善手を知っておりすべてお見通しなので、そもそも勝負事は成立しないという結論になります

    これと同じで量子論が正しければ、多分すべてが重なり合いになって結局一切が「無」に帰するというのが答えになるような気がします

    作者からの返信

    [シュレディンガーの猫」は、量子論の“奇妙さ”を説明するための思考実験ですが、私はこの例えには少し違和感があります。
    なぜなら、観測者には分からなくても、猫自身は自分が生きているか死んでいるかを確実に知っているはずだからです。
    つまり「観測するまで決まらない」というのは、
    “自然が未決定なのではなく、人間が知らないだけではないか”
    という疑問を持っています。
    将棋でも同じで、最善手は常に一つに決まっているのに、負けるのは人間がそれを知らないからです。
    もし全能の存在同士が対局したら、すべての手が見えているので勝負は成立しません。
    この観点から考えると、量子論の“重ね合わせ”も、
    本当は答えが決まっているのに、人間の知識の限界がそれを曖昧に見せているだけではないか
    という気がしています。
    そしてもし量子論を徹底的に突き詰めるなら、
    すべてが重なり合い、区別が消え、
    最終的には「無」に帰するような構造になるのではないか
    という直感もあります。

  • 実は「うん」というのは真言密教でとても重要な結語です

    真言宗で真言を唱える時
    例えば「オンサンマヤ サトバン ウン」というように必ず最後に「ウン」を付けます
    「ウン」はサンスクリット語の「Hum」が語源で「帰依」とか「発心」という意味でとても重要な言葉だそうです

    作者からの返信

    そうなんですね。

  • 痛みは相対的なものです
    簡単な実験
    目を閉じて両手を前に出す
    ペンをどちらかの手に当てペン先が触れたらその手を挙げてもらう
    これを繰り返すうちに片方の手に針を刺しもう片方の手にペンを当てる
    この時被験者は「痛い」と言って針が刺された手を払いのけるでしょう
    でももう片方の手にペン先が触れたことには全く気付かない
    つまりより大きな痛みが来れば小さい方の痛みは忘れ去られる

    これは痛覚だけではなくあらゆる感覚や意識にも当てはまります
    例えば味覚、塩をなめたら辛い、でもその後でもっと辛い唐辛子をなめると塩の辛さは消えてしまう
    意識も同じ テストで零点を取った、でもその後で親が交通事故にあったことを知ったら、零点のことなど忘れてしまう
    世の中、すべてが刺激の大小で決まる
    人生って所詮そんなものです

    作者からの返信

    私は心臓病です、人生は他の人より短いかもしれませんが、「テストで零点を取った、でもその後で親が交通事故にあったことを知ったら、零点のことなど忘れてしまう」この言葉に共感いたしました。