冬籠りのセーター
冬籠りのセーター
「ねえ、見て、あれ。すごく**玉霰(たまあられ)**が降ってる」
カフェの窓際で、私は思わず声を上げた。ガラスを叩く音は、まるで極小の砂粒を撒いているようだ。耳障りなようでいて、どこか冬の静寂を引き立てる、硬質なリズム。
向かいに座っている佳織は、読みかけの分厚い本から顔を上げ、細い指先で窓に触れた。
「ホントだ。春にはあんなに緑で溢れていたこの街も、もうすっかり**枯野(かれの)**だね。色のない世界」
彼女の視線の先、通りを挟んだ向かいの広場は、晩秋の賑わいを失い、寂寥(せきりょう)とした茶色に覆われていた。風が吹き抜け、地面にへばりついた**枯草(かれくさ)**が、カサカサと小動物のような微かな音を立てる。
「色がないって言えば、これ、どう?」
私はテーブルの上に置いていた、自分で編んだモスグリーンのセーターを佳織の前に差し出した。ざっくりとしたアラン模様。少し重みがあり、手触りはもちろん、編んでいる間もずっと羊毛の素朴な匂いがしていた。
「わあ、いい色。あなたが編んだの?」
「うん。ちょうど一週間前、急に**冬籠(ふゆごもり)**の衝動に駆られて。こういう、無心になれる作業が好き。なんていうか、このセーターの中に、私のこの冬の安心感を全部詰め込んだ気がして」
佳織はセーターを両手で持ち上げ、頬に擦り付けた。
「ふふ、あったかい。毛糸の匂い、太陽の匂いもする。あなたらしいね、完璧主義者の冬籠。今年の冬は、このセーターがあればもうどこへも行かなくていいって、覚悟が決まったみたい」
私は思わず笑った。佳織はいつも、私の内側の心情を詩的に言い当てる。
「ねえ、そろそろ例の店へ行かない? **飾売(かざりうり)**のピーク時間になる前に」
「ああ、そうだった。この雪じゃ、人出は少ないかもだけど」
会計を済ませ、私たちは店を出た。冷たい空気が、肌に一瞬で張り付く。吐き出す息は白く、たちまち冬の風景に溶けて消える。私は新調したばかりのネイビーのダウンコートの襟を立てた。このコートの重みと防寒性が、私を外界から守ってくれる鎧のようだ。
「いらっしゃいませ!」
店に入ると、若い店主の張りのある声が迎えてくれた。ここは、私たちのお気に入りの骨董品店だ。古いものが好きなのは二人とも同じだが、佳織は実用的なアンティーク家具、私は無用の美を宿す小さな工芸品に心惹かれる。
店の中央には、赤と緑の鮮やかな鉢植えが置かれていた。
「わぁ、ポインセチア。綺麗ね」
「そうですね。一鉢あるだけで、急にクリスマスの気分になるでしょう? この時期、一番飾売で売れるんですよ」と店主が微笑む。
佳織は「ええ、本当に」と答えながら、棚に並んだ古い銀食器を眺めている。
私は店内を奥へ進んだ。照明を落とした一角に、年代物の**炬燵(こたつ)**が置かれている。今は電源が入っておらず、ただの低いテーブルのようだが、その上には昔の雑誌が無造作に積まれていた。
「ねえ、この炬燵、昔懐かしい感じがしない?」
私は佳織を呼び寄せた。佳織は雑誌を一冊手に取った。
「すごくレトロ。でも、この古びた木の匂い、好きだな。この炬燵に入って、外の雪を見ながらみかんを食べる……なんて、最高の冬籠よね」
「分かる。でも、うちには猫がいないから、炬燵って絵にならないんだよね」
「猫? ああ、あなたが時々話す、**貂(てん)**みたいな顔の野良猫?」
「そうそう。あの子、最近見かけないんだ。きっとどこかで暖かい冬籠をしているんだろうけど。もしあの子がいたら、絶対うちの炬燵で丸くなるのに」
骨董品の店を出ると、空はさらに鉛色を深めていた。風は止み、代わりに重たい雪が、先ほどとは違う、静かで大きな粒となって降り始めている。これが、本格的な**冬凪(ふゆなぎ)**の前の静けさだろうか。
「急に、海の匂いがした」
佳織が立ち止まり、深く息を吸い込んだ。
「え、海? ここ、海から遠いのに」
「そうなんだけど。ほら、あの店」
彼女が指差す先、八百屋の軒先で、数匹の魚が縄で吊るされていた。
「あれ、**乾鮭(かんざけ)**だ。塩で引き締まった、あの独特の匂い。あれを嗅ぐと、私の祖母の家を思い出す。雪国で、冬になるといつもストーブの上で焼いてたんだ」
「へえ。雪国の乾鮭か。私の冬の匂いは、どっちかっていうと、庭の隅で静かに咲いている**山茶花(さざんか)**なんだよね。あの、かすかな、湿った土と花の香り」
二人はしばらく立ち止まり、降りしきる雪の中、それぞれの遠い記憶の匂いを嗅いでいるようだった。
「そういえば、さっき、飾売の店先に、**海鼠(なまこ)**がいたの、気づいた?」
「え、海鼠? クリスマスの飾売に?」
「もちろん、飾りじゃなくて食材としてよ。黒くて、ぶよぶよしてて、ちょっとグロテスク。でも、私、子どもの頃から、あの不思議な触感が忘れられないの」
私がそう言うと、佳織は顔をしかめた。
「ちょっと、海鼠の話は寒気がするからやめて。私は、むしろ海の生き物なら、**鳰(にお)**がいい。あの、水に潜って、いつの間にか違う場所からひょっこり顔を出す水鳥。なんだか、自由の象徴みたいで」
「鳰か。たしかに、今の季節、凍りついた池の近くで見かけると、ちょっと感動するよね。水面のギリギリのところで、命を繋いでいる感じ」
話題は、先日の旅行の話に移った。私たちは、少し早い年末休暇で、二人とも地方へ小旅行をしていた。
「佳織は、京都の**刈田(かりた)**を見たんだっけ?」
「そう。広大な田んぼが、すべて黄金色の絨毯を剥がされた後で、切り株だけが残っているの。あれは、一種の静かな美しさだった。収穫の後の充足感と、冬の寂しさが混ざり合った、なんとも言えない風景」
「分かる気がする。私も、実家の庭の**枇杷の花(びわのはな)**を見たよ。あの花、冬の真っ只中に、ひっそりと白い花を咲かせるでしょう? 他の花が全部枯れている中で。見ていて、すごく励まされた。冬に耐えて、春を待つ静かなエネルギーを感じたの」
私たちは、その静かなエネルギーを、自分たちの冬籠に持ち帰ろうとしているのかもしれない。
「そうね、私たちは、みんな、冬の間に、来たる春のための力を溜めているのよ。動物たちが穴で眠るみたいに。だから、このダウンコートだって、セーターだって、全部、そのための鎧であり、布団なんだ」
佳織の言葉は、いつも私の心の奥深くまで響く。
「ねえ、私の冬籠の最大の目的って、さっきあなたに見せたセーターを編み上げることだったんだけど。もう完成しちゃったから、次は何をしようかな」
私がため息まじりにそう言うと、佳織は私の腕を掴んだ。その手の温かさが、分厚いコートの布地越しに伝わってくる。
「次? 次はもちろん、そのセーターを着て、私の炬燵に入ることよ。そして、乾鮭を食べて、山茶花を眺めながら、二人で来年の計画を立てるの。どう? 私の冬籠計画」
「それ、すごくいい。完璧な冬籠。じゃあ、まずは私、あなたのために、もっと大きな炬燵カバーを編もうかな。それこそ、今年の私の一番大きなプロジェクト」
佳織は嬉しそうに笑った。その顔は、雪の中でもまるでポインセチアのように鮮やかだった。
「いいわね! 決まり! それじゃ、急いで編まないと。だって、冬籠は、始まったばかりなんだから!」
私たちは笑い合い、雪の降る街を、次の目的地――佳織の暖かい家、そして、これから二人で過ごす静かな冬籠の場所へと急いだ。頭上には、冬凪の空から、また静かに玉霰が降り始めている。冷たいけれど、どこか温かい、冬の入り口の匂いの中を。
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