第5話：他者を育てる力

美咲は、午後のオフィスで後輩の麻衣と向かい合っていた。

机の上には資料とノートが広がり、ペンのインクの匂いが静かに漂う。窓の外では冬の光が淡く差し込み、机の上の紙に反射して小さな光の粒を作る。

「美咲さん…私、どうしてもこの部分が理解できなくて…」

麻衣の声には不安が混ざり、肩が少し落ちている。美咲はその表情を見て、胸の奥に微かな緊張を覚えた。

「うん、分かるわ。最初は私も同じで、すごく戸惑ったの」

手元の資料に指を置きながら、美咲は自分の過去を思い出す。初めて担当したプロジェクト、失敗と試行錯誤の連続。胸の奥にわずかに痛みが走る。だが、その痛みが今の自分を育てたことを知っている。

「じゃあ、美咲さんはどうやって乗り越えたんですか？」

麻衣の目が真剣に輝き、手に握ったペンが少し震えている。美咲は深呼吸し、口を開く。

「まずは、小さな成功体験を積むことね。完璧を目指すより、少しずつ自分で考えて行動することが大事だった」

言葉を紡ぎながら、美咲の手は机のひんやりとした感触を感じる。掌の熱と冷たさが、話す緊張と安心の両方を伝える。麻衣は頷きながらメモを取り、ペンのカリカリという音が静かなオフィスに響く。

「なるほど…じゃあ、まず小さなステップから始めてみます」

麻衣の声には希望が混ざり、肩の力も少し抜けている。美咲は微笑み、窓の外の光を見上げた。光が紙の上の文字を照らし、空気は冷たくも清々しい。

「うん、それで大丈夫。間違えてもいいの。大事なのは、その後どう考えるか」

美咲の言葉は静かだが力強い。胸の奥で、小さな熱がじわりと広がる。教えることで、自分自身も学び直している感覚が、心地よく体に伝わる。

「…あ、美咲さん、ここってこういう意味でいいんですよね？」

麻衣の声が少し自信に満ちてきた。目の奥の不安が消え、代わりに期待の光が差し込む。美咲は資料を指差し、微笑む。

「うん、そうそう！それで合ってる。ちゃんと自分で考えられているじゃない」

掌のひんやりした感触が、笑顔と共に温かく感じられる。胸の奥に満足感が広がり、教えることの喜びがじんわりと心に染み渡る。

「ありがとうございます…美咲さんのおかげです」

麻衣の声は、感謝と少しの誇らしさで震える。美咲は軽く頭を下げる。

「いいのよ。私も教えることで、あなたから学ぶことがあるから」

二人の間に静かな時間が流れる。外の冷たい風が窓を叩き、遠くの街の雑音が淡く聞こえる。オフィスの空気は静かで、しかし胸の中では互いの成長と喜びが温かく広がる。

「美咲さん…私、もっと頑張ります。次のプロジェクトでは、自分でしっかり考えて進めてみます！」

麻衣の声に力強さが宿る。美咲は頷き、手元の資料に目を落とす。紙のざらつき、ペンのインクの香り、机の冷たさ――五感すべてが、互いの成長の証を伝えていた。

「うん、楽しみにしてるわ。あなたならきっとできる」

胸の奥がふわりと温かくなる。教えることで他者の可能性を引き出す力――それは自分にも新たな学びと喜びをもたらすことを、改めて感じた。

午後の光が徐々にオフィスに差し込む。資料の上の文字が温かい光を受け、二人の間に微かに輝きを作る。掌に伝わる紙の感触、ペンの重み、椅子の硬さすら、心地よいリズムを刻む。

「ありがとうございます、美咲さん。私、自信が少しつきました！」

麻衣の笑顔が、空気を柔らかく染める。美咲も微笑み返し、胸の奥で満ち足りた感覚が広がった。教えることの喜びと、他者を育てる力――それは、知識や経験を共有することで生まれる、互いの成長の証だった。

夕方、オフィスを出る二人の背中に、冬の柔らかい光が降り注ぐ。掌に伝わる温もり、紙やペンの感触、街の冷たい風――すべてが、今日の学びと成長を静かに祝福しているかのようだった。

「私も、もっと頑張ろう…」

美咲は心の奥で小さくつぶやき、肩の力を抜いて歩き出す。教えることで育まれた力は、彼女自身をも前に進ませる、静かで確かな推進力となっていた。