第2話:倫理観に基づく行動力
第2話:倫理観に基づく行動力
午前中のオフィスは、静まり返った緊張感に包まれていた。
美咲は資料のチェックをしていたが、ふと目に入った数字の並びが胸の奥に違和感を呼び起こす。
「…これ、なんかおかしい」
画面上の売上データに、どうしても辻褄が合わない部分がある。数字の連なりを指でなぞりながら、心臓が少し早鐘を打つ。隣のデスクでは、拓海が電話口で声を荒げている。怒声がオフィスの静けさに響く。
「美咲、どうした?」
同僚の薫が顔を覗かせた。美咲は目を細め、画面に集中する。
「この取引の数字…不自然です。何か、隠されている気がします」
薫は眉をひそめ、書類に目を落とす。手のひらに汗がじわりと滲む。外の光は白く、冬の冷たい空気が窓ガラスをかすかに震わせている。
「…まさか、こんなことって」
美咲は息を飲む。これは偶然のミスではない。計算された意図が、数字の隙間に潜んでいるのを感じた。心臓の鼓動が耳に響き、掌が熱くなる。胸の奥で、何かが弾けそうな感覚。
午後の会議室。上司の健太が、にこやかに資料を広げる。
「今回の数字は完璧だ。これで社内プレゼンも問題ないだろう」
美咲は席に座ったまま、視線を下げる。机のひんやりとした感触が掌に伝わる。指先が微かに震える。
(ここで黙っているべきか…?)
拓海の視線が美咲に向けられる。無言の圧力が、部屋の空気を重くする。健太の笑顔の裏に、巧妙な圧力が潜んでいることを、美咲は敏感に感じ取った。
「…でも、正しいことをしたい」
小さな声で自分に言い聞かせる。理屈ではない、胸の奥から湧き上がる感覚。倫理観が、行動を求めている。
視界の端で薫がこちらを見ている。眉が少し寄せられ、問いかけるような目。美咲は息を整え、立ち上がる。椅子が床をこする音が静かな会議室に響いた。
「健太さん…少し、お時間をいただけますか」
声は震えていたが、確固たる意志が込められていた。健太は驚きの表情を浮かべ、眉を上げる。
「…どうした、美咲?」
「今回の数字ですが…私、確認したところ、不自然な点がいくつかあります。社内プレゼンでこのまま進めると問題になる可能性があります」
会議室の空気が一瞬張りつめる。拓海の目が鋭く光る。
「まさか、君…告発するつもりか?」
美咲は息を飲む。心臓の鼓動が耳に響く。手のひらが汗で湿る。
「はい…でも、私の目的は会社を守ることです。隠された不正を放置するわけにはいきません」
沈黙が続く。静かな時間の中で、窓の外の冬の光が部屋を淡く照らす。美咲の心は冷たくも、しかし清々しい光で満たされていた。恐怖もあった。圧力も、反発も、失敗の可能性も。だが、胸の奥の倫理観が確かに彼女を支えていた。
健太は目を細め、ゆっくりと頷く。
「…分かった、君の意見を尊重しよう。確認して、必要な対処をする」
美咲の胸の奥で、緊張がゆっくりと解ける。掌の汗がひんやりと乾く感覚に、ほっと息をつく。薫と優奈が小さく頷くのが視界に入る。
「やっぱり、正しいと思うことをするのは、怖いけど…清々しい」
小声でつぶやき、席に戻る。画面に向かう指先は、さっきよりも力強く感じられた。外の冷たい風の匂いが、ほんの少しだけ温かく感じられる。
その日の夕方、オフィスを出ると、冬の空気は透き通るように冷たかった。美咲は深く息を吸い、吐く。頬に当たる風が、決断の清々しさを知らせる。胸の奥には、確かな信念が残っていた。
「これが…私の選んだ道」
小さくつぶやき、歩き出す。地面を踏みしめる音が、今日の勇気を刻むリズムとなる。周囲の街のざわめきも、遠くの車の音も、すべてが心地よく感じられた。正しいことを貫く清々しさ――その感覚は、言葉では言い表せない力を彼女に与えていた。
美咲の歩幅は、少し大きくなっていた。胸の奥に芽生えた自信は、倫理観に従った行動の証。誰も褒めてくれなくても、胸の中で確かに自分を認める。
今日という日は、怖さの中にあっても、正しいことを選んだ自分を誇れる――そう実感できる、最初の一歩となったのだった。
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