第2話 るりガキと、背後に立つ銀髪の少女
今は、まだ昼頃だろうか。
朝がたにダンジョンへ向かい、昼には戻ってきている――そんな経験は、これまで一度もなかった。
いつもなら二階層と一階層を隅々まで巡り終え、ギルドに帰る頃には、外はすっかり夜になっている。
それなのに、まだ昼だというのに、この疲労感だ。
立っているだけで全身が鉛のように重く、今にもその場に崩れ落ちそうになる。
そして、ようやく見えてきた。
俺の下宿先でもあるギルド――『アンバーローズ』。
木造のその建物は、誰が見ても一度で覚えるほど、強烈な存在感を放っている。
とにかく……ボロい。
古びた物置。
打ち捨てられた山小屋。
崩れかけた廃寺。
そんな言葉が自然と浮かぶ、ガタついた建物だった。
俺は重たい身体を引きずるようにして扉を開ける。
――そして、目の前にいたのは。
「マオくん!?」
ギルドマスターである
俺より年上のお姉さんで、長い間、生活の面倒を見てもらっている恩人でもある。
髪はてっぺんでふんわりとお団子にまとめられ、片方の目を隠すように流れた、少し明るめの髪色。
上品なのに、どこかミステリアスな雰囲気を漂わせている。
……が、実際のところは……
かなり天然な人だ。
「うわあぁぁ! 大丈夫だった!? 今ね、マオくんが行ったダンジョンでスタンピードが起きたって連絡が来てて……!」
ヒナタさんはスマホを片手に、わなわなと震えていた。
「大丈夫……でした。ちょっと……疲れただけで……」
「う、うん! 座って座って!」
肩を借りるようにして、俺は椅子に腰を下ろす。
ギルドの中は、バーのようなカウンターと、いくつかのテーブルと椅子。
かつてここが、そこそこ活気のあるギルドだった名残だ。
だが今、この『アンバーローズ』に所属しているのは、俺を含めてたった四人。
しかも探索者は、俺ともう一人だけだ。
理由は単純。
こんな貧乏ギルドより、大手で安定したギルドに入りたい探索者の方が圧倒的に多い。
そのうえ、うちのギルドは借金持ちだ。それを、ギルドの四人で返済している。
だから、このギルドに新しい人なんて来るわけがない。
「今ね、イチカとカエデちゃんが、マオくんを探しに行ったの。行き違いになっちゃったみたい」
「え……そうだったんですか」
帰り際、周囲を確認する余裕なんてなかった。
もしかしたら、ダンジョンに入ってしまったのか……?
だが、そんな心配はすぐに
「あー! マオじゃねえか! てめぇ、心配したんだぞ!」
背後から飛んできた、やたらと口の悪い声。
だが、その人は別に怒っていない。そういう言葉遣いなだけだ。
振り返らなくても誰だか分かる。
ギルドのもう一人の探索者。
俺の先輩でもある、
カエデはドタドタと近づいてきて、俺の隣の椅子にドタン!と座った。
「スタンピードが起きたんだろ? 今、街中で緊急事態宣言だぞ。よく無事だったな」
その目は真剣だった。
本気で、俺の身を案じてくれている。
見た目は――本人の前で言えば確実に殴られるが、小学生か中学生みたいに小柄だ。
ジャージ姿に膝丈のパンツ。見た目通り、活発な女の子。
だが、スキルカード『武器:斧レベル1』の効果で、身の丈以上の斧を軽々と振るう戦士でもある。
俺はカエデの言葉に返そうとした、その時だった。
――ドガンッ!
ギルドの扉が、蹴破る勢いで開かれた。
俺たちの視線が、一斉にそちらを向いた。
現れたのは……ドクアーク商会。
舞い上がる木屑と砂埃の向こうから、いかにもゴロツキといった三人組が姿を現す。
その中央には、見るからに親分風のギラギラと輝くヘビ柄のスーツに、サングラスの男。
そいつの名前はジョロキア・ドクアーク。
このギルドの借金先。違法まがいの金貸しで、暴力的な取り立てを行う商会の親玉だ。
ゴロツキ二人を両脇に連れ、直々に乗り込んできた。
そいつは一言も発さず、まっすぐヒナタさんの前までズカズカと歩み寄った。
「オンボロさんよぉ」
ジョロキアが、まとわりつくような、ねっとりとした声で言った。
『アンバーローズ』は略して『アンバロ』と呼ばれる事がある。
その名前と、このギルドの古い建物を揶揄して、ジョロキアはわざと『オンボロ』と呼んでいる。
「借金の返済、滞ってるみてえだが……大丈夫かい?」
「……大丈夫です」
ヒナタさんは、微動だにせず静かに答えた。
「へぇ、そりゃ頼もしいねぇ」
ジョロキアはニヤリと笑った。
何かを確信しているような、気味の悪い笑み。
その目は、値踏みするようにヒナタさんの小さな体を見下ろしていた。
「だがねぇ、こっちはあんたが返せないって分かってんだよ。早く退去してもらって、この店を担保として譲ってくれりゃ助かるんだがねぇ」
「申し訳ありません。このギルドは、決して渡せません」
ヒナタさんが毅然とした態度で言い切る。
その瞳には、確かな意志の光が宿っていた。
「テメェ、ふざけんな! 返せねぇんだからさっさと出てけや!」
後ろに控えていたゴロツキが、苛立ちを隠せない声で吠えた。
「ドクアーク商会さんへの返済期限は、今月中のはずです」
「確かになぁ。だがな、この店だけじゃ、借金の額には足りねぇんだよ」
「…………」
ジョロキアは、さらに下卑た笑みを浮かべながら、奴の視線がヒナタさんの身体を這う。
「ま、心配すんな。あんたには、身体で払ってもらうからよ。あんた自身も担保なんだからな。……なぁ? 貸したもん返してもらうのは、当たり前だよなぁ?」
「……はい。ですから今月中に必ず返済いたしますので、お引き取りください。一日でも早く返済できるよう、こちらも精一杯努力いたします」
ヒナタさんがそう言うと、ジョロキアは俺たちを値踏みするように見た。
「ああ、女も増えてるようだしな。全員が身体で払えば、こちらとしても問題ねぇよ。まずは俺が可愛がってやるからなぁ、その時を楽しみにしてるぜぇ? ひっひひ……」
ジョロキアはそう言い残し、連中は去っていった。
「……ごめんね、みんな」
ヒナタさんが俺たちに向かって小さく頭を下げた。
分かっている。
一番怖いのは、ヒナタさんだ。
俺もカエデも、あいつらを殴りたいほど恨んでいる。
だけど、それをやったらお終いなんだ。
あいつらは、それを狙って挑発しに来ている。
「ヒナタさんは何も悪くなんてないです」
「そうだ、ギルマスはちゃんとやってるぞ!」
俺たちの返答にヒナタさんは少しだけ微笑んだ。
そして、ヒナタさんは俺たちを椅子に座るように促すと、静かに言った。
「で、マオくん。一体ダンジョンで何があったの?」
ヒナタさんとカエデの真剣な瞳。
俺は、すべてを話した。
エラッタカード。
スタンピード。
ダンジョン崩壊。
そして――【月の魔王】。
話し終えた俺は、自分で言っていて馬鹿馬鹿しくなった。
……こんな話、信じてもらえるわけがない。
だが、ヒナタさんは静かに言った。
「なるほどね……じゃあ」
そして、ヒナタさんは俺の背後を見て、首を傾げる。
「その後ろにいる女の子が、【月の魔王】ちゃんかしら?」
「……え?」
俺は後ろを振り返った。
そこにいたのは――
銀色の髪の少女。
もじもじと、バツが悪そうな顔で立っていた。
その少女は、背中に
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