第6話 張子のエース

 シュターク金沢のユースチームが加盟するプリンスリーグは、四月に開幕して夏季の休止期間を挟み、十一月に終了する。 休止期間に入った時点で、チームは第五位。 上位リーグのプレミアリーグ参入戦参加に必要な二位以内に、ギリギリ可能性を残している状態だ。

 今日は夏季休止明け初戦で、ホームの試合。 相手は現在二位。 厳しい試合が予想されるが、上位チームを叩いてなんとか順位を上げたい。

 会場の市内球技場に着いた。 八月の真夏を避けた日程となってはいるが、九月上旬の今も暑い。 今日は消耗戦になりそうだ。

 コーチの指示の下、ウォーミングアップが行われる。 ストレッチ、ダッシュ、ボール回し、シュート、メニューをこなしていく。 最近気が付いたが、どうも俺は他の奴らと比べて暑さに割と強いみたいだ。 今日の暑さでも身体は軽いし、調子は悪くない。 試合時間が近づき、ベンチに集合してミーティングが始まった。 コーチからスターティングメンバーが告げられる。

 GK(ゴールキーパー)南。

 DF(ディフェンダー)右:林。 真ん中:加藤と米山。 左:田坂。

 いつものメンバーが呼ばれていく。

 MF(ミッドフィールダー)右:京本。 真ん中:イッサと野沢。 左:松下。

 FW(フォワード)竹下と黒木。

「イッサ、お前トップ下な。 頼んだぞ」

 俺が攻撃の中心だ。 このチームは、本来一年上の高三世代が中心となるが、俺と左MFの松下克生(マツシタカツキ)は高二でありながら、この春からほぼスタメンで選ばれるようになった。 年次が下であろうが別に臆することは無い。 例え高一であろうが、実力のある奴が試合に出るのがここの当たり前だ。 ユースサッカーは学校の部活の様に、年次の上の者が試合に出て、下の物が球拾いなんて馬鹿げたことは無い。 教育の一環としてやってるんじゃなく、プロサッカー選手を育成することが目的だ。 極端な事を言えば、試合に勝つことだってこのチームの目指すところでは無い。 個々の選手がプロレベルに上手くなることを目指しているんだ。 分かりやすいし、俺の性に合っている。


「さあ行ってこい!」

「おっしゃー!」

 グラウンドに飛び出した。

 試合が始まった。 相手も相当気合が入っている。 中盤で激しいボールの奪い合いが続いた。 どちらもなかなかゴール前へボールを進める事が出来ない。

 十五分程経過し、右MFの京本が出した中央へのパスが相手にカットされた。 相手選手がフリーの状態でボールを持った。 そのままゴールに向かってドリブルで突進される。

 まずい! 近くに居た俺がチェックに入る。

「止めろ!」 味方DFが叫ぶ。

 スライディングは駄目だ。 反則を取られて中央から相手フリーキックになるのは避けなければ。 素早く追い付いて、肘と肩を当てて相手を押さえにいった。 しかし相手は止まらず、逆に手で押し返され、そのまま遠目から強引に足を振り抜かれた。

 ボールはブロックしようとした俺の足にわずかに触れたが、勢いは衰えず、そのままゴールのサイドネットに突き刺さった。

 あぁー。 観客席からため息が聞こえる。

「イッサ、弱いんだよ! ファールしてでも止めろよ!」

 ベンチからコーチの声が飛んだ。


 試合は進み、前半終了間際になって少し相手の動きも落ちてきた。

 中央の野沢がボールを持った時、右前方に大きくスペースが開いていた。 チャンス! 素早くそのスペースに走り込み、ボールを呼んだ。

「来い!」

 相手DFも気が付いてスペースを埋めに来る。 一瞬の勝負だ。 野沢から直ぐにパスが送られてきた。 ボールをワンタッチでコントロールすると、直ぐさま前に飛び出し加速する。

 前方に相手DFが止めに来た。 一対一の勝負。

 相手DFの目の前にボールを出した。

 相手がボールに吊られて足を出してくる。

 ボールを奪われる直前、素早く左足裏でボールを引き戻す。

 相手は足を出した状態で、俺の動きが読めずに一瞬止まった。

 間髪入れずに時計回りに回転して、右足かかとで左側のスペースにボールをつつき出す。

相手を振り切って再び加速。 一瞬の回転動作で相手一枚引き剥がした。

「うめぇー!」「ジダンかよ⁉」 観客席がどよめく。

 フリーになった。 ゴールが見える。 ペナルティエリアのやや外、少し距離があるが狙える。

「いける! 打て!」

 ベンチから声が飛ぶ。 直ぐさまシュート体勢に入った。

 と、その時、左斜めにフリーで待ち構える克生の姿が目に入った。 とっさに克生へのパスに切り替える。 するとパスしてくるのを分かっていたかのように、克生の背後に隠れてマークしていた相手選手が飛び出して、パスカットされた。 チャンスは一瞬で消えた。

「打てよイッサ‼ 何で打たないんだよ‼」

 コーチの大声が聞こえた。

 そのままハーフタイムとなり、俺は交代になった。

 試合は後半、克生のミドルシュートが決まって一対一の引き分けに終わった。


 試合終了後、俺はコーチに呼ばれた。 コーチに試合の後呼ばれるのは、最近の定番になってきた気がする。 他の奴らがシャワーを浴びて着替えを始めている中、ジャージのまま重い足取りでスタッフルームに向かった。

 扉を開けて、部屋に入るなりコーチに大声を浴びせられた。

「イッサ! お前やる気あんのかよ! もっとがつがつ行けよ!」

「はぁ……、やってますけど……」

 コーチは半ば呆れた様子で、持っていたバインダーを机の上に放り投げた。

「全然だよ! あんなんやってる内に入んねーよ! 他の奴らはもっと死に物狂いでやってんだぞ!」

「はぁ……」

「何だよ、それは」

 どうも今日は簡単に怒りが収まらないようだ。

「なあ、イッサ。 この際はっきり言っておくぞ。 お前はスピードが有る。 技術もある。 最近は身体も出来てきたから簡単には当たり負けもしないはずなんだ。 だけど肝心なところでいつも弱いんだよ!」

「……」

「何が弱いか分かるか! ……なあ!」

「……」

 答えられない俺に、コーチは目の前に近づいてきた。

「ここだよ‼」

 コーチは拳で俺の胸を “ドン” と突いた。

「相手だって試合が十分も経過すれば分かるんだよ! 相手の十番はディフェンスが弱い。 攻撃では突破をしても最後の所は自分で勝負してこない。 必ず周りにパスを出すって。 それじゃあ駄目なんだよ! もっと自分で勝負しろよ!」

 そんな事……自分でも分かっている。 分かっているけど出来ない。 頭で理解しても身体が反応しない。

「才能が無い普通の選手だったら俺は何も言わねーよ。 だけどお前には才能が有る! 誰にも負けない才能がお前には有る! 俺がこのクラブのユースチームに関わってから八年経つけど、今までお前ほど才能のある奴を見た事ねーよ! 真剣にやれよ! 無駄にすんなよ!」

 熱いコーチだ。 時にはこんな風に口が悪くなるが、この人はいつも正しい事を言っていると思う。 理不尽を感じたことは無い。 だから言っている事は分かる、分かるんだが……。 俺にはサッカーの才能とは別の資質が無い……と思う。

 コーチの話が終わり、着替えをして球技場を出た。


 球技場を出ると克生が俺を待っていた。

「遅かったな、帰ろうぜ」

 松下克生とはジュニアユースから一緒だった。 俺はチームの仲間との付き合いが悪く、それに必要な事以外あまり喋らないので、孤立しがちだった。 そんな俺に対しても、克生はなにかと声を掛けてきてくれた。

 克生は小学校時代からシュタークのU-12に在籍していた。 シュタークのU-12は県内の少年サッカーでは敵なしのチームだが、その中でも当時一人抜けた存在で、克生の名前は県内の同年代サッカー少年の間で知れ渡っていた。 性格も明るく、サッカーに取り組む姿勢も真摯で、みんなからの信頼も厚いときた。 黙っていても自然とリーダーに推される奴だった。 だから最初はチームのメンバーに馴染まない俺を見かねて、気を使って話しかけてくれただけなのかなと思っていた。 でも、何度も言葉を交わし、プレーを共にしていくうちに、次第にお互いの悩みや愚痴を言い合えるような関係に変わっていった。

「アイス食いに行こうぜ」

克生が誘ってきた。 こいつとは時々、試合や練習後にアイスを食いに行く。 俺もアイスが大好きだが、克生もそうなんだろう。

球技場を出て、自転車で五分くらいの所にある、いつものスーパーに入った。 それぞれ最中アイスとチョコバーを買って、外の自動販売機横のベンチに座った。

「だいぶやられたみたいだな」

最中アイスの袋を開けながら聞いてきた。

「最近言われ放題だよ。 文句があるなら最初から他の奴出せばいいんだよ」

克生が、フッと鼻で笑った。

「そんなこと言うなよ。 上手い奴が試合に出るんだよ。 今のチームで一番上手いのはイッサなんだから、お前がスタメンで出るのが当然だろ」

 本当に克生はそう思っているのか? 自分が一番上手いって思っているんじゃないのか? 今日の試合も克生が点を取ったし、俺の代わりに克生が十番付けていてもおかしくないって俺は思っているが……。 特に言葉も浮かばないまま、チョコバーにかじりついた。

「まあ、あんまり気にすんなよ。 コーチやチームの奴らも試合になると口を出すけど、終われば何も気にしてねーしな」

 俺を慰めようとしているのか? 珍しい事があるもんだなと思っていたら、克生が話を変えてきた。

「イッサ、お前これからどうするんだよ?」

「これからって何? 進路の事か?」

 俺たちは高二、ユース在籍期間は残り一年半程度。 ユース終了後、トップチームに昇格できるかが最初の大きな関門となる。 この関門は非常に狭き門で、特にシュタークの場合、卒業していくユース選手の中から昇格者が出るのは稀なくらいだ。 ほとんどの者は大学に行くか、プロサッカーを諦めるというのが現実だ。

 俺はその答えをずっと出せずにいた。 同期の連中を見回すと、もう今の時点でこいつにプロは無理だな、という奴が多い。 そんな中でも俺は、高卒で直ぐにトップ昇格は望み薄だが、大学経由ならプロの可能性が有るかもしれない、そんな微妙なラインだと感じていた。

 普通の高校生がなんとなく将来の職業を決めるのとはわけが違う。 プロのサッカー選手を目指すには、かなり早い時期から行動を起こさなければならない。 もし俺たちが、ユースからそのままトップ昇格を勝ち取ってプロになろうとするならば、頻繁に行われている試合で、相手を圧倒するくらいのアピールを続けていくことが必要だ。 Jクラブのユースチームに在籍しているが、それだけでプロへのパスポートを手にしたわけでは無い。

 しかし俺はプロになりたいのか、自分でも分からなかった。

 上手くなるための努力はしている。 恐らく俺はチームの他の連中よりも練習している。 しかしサッカーが上手くなって、俺は一体何がしたいんだ? ジュニアユースの頃は何も考えていなかった。 とにかく上手くなる、試合で点を取る、試合に勝つ。 それしかなかった。 でもユースに昇格した後は、とてもそんな風に無心ではいられなくなった。

 しばらく答えられずにいると、克生が口を開いた。

「俺はあくまでプロを目指す。 この前トップの練習に参加させてもらった時、何となくあそこでやっていけるイメージは出来た。 駄目なら首都圏の大学に行くつもりだけど、昇格できるかどうかはっきりするまで、大学なんて考えない」

 ふーん。 俺はわざと素っ気なく答えた。 克生の話を聞いても、特別焦りなど感じない。 克生の様にプロになる目標が有るわけでもないし、努力は続けているのだが、なるようにしかならないという気持ちだ。 ただ、自分の目標に向かって着実に進んでいるこいつに比べて、自分は何も無いすっからかんだとは思った。

「まあ俺たちの場合、大学に行くんだったら、選ばなきゃどこかには推薦で入れるだろうし、今すぐ考える必要は無いと言えば無いけどな」

 俺は黙っていた。 それじゃあとりとめの無い話じゃないか。 だから恐らく、こんな話をした克生の本心は他にあるのだろうと感じていた。

「俺はこのクラブが好きだし、シュタークでJ1の舞台に立ちたいんだよ。 でも今のチーム力じゃあJ2を維持するのが精いっぱいだろうなぁ。 何とかしてーよ」

克生の向上心に呆れる。 今はまだユースに在籍している身なのに、トップチームの事まで考えてんのか。

「イッサ」

 突然克生は俺の方に顔を向けて言ってきた。

「ジュニアユースに入ったばかりの頃、俺はお前に憧れてた。 同い年で、こんなにうまい奴が居るのかってマジで驚いた。 それにお前が人よりめっちゃ練習していたのにも驚いた。 俺はきっと、お前みたいな奴がプロになって活躍していくんだろうなって思ってた」

 俺の方こそ驚いた。 克生とは四年以上一緒にサッカーやってきたけど、俺の事をそんな風に見ていたとは思わなかった。 口を開いてアホ面している俺に向けて、克生は続けた。

「でも今は違う。 俺もめちゃくちゃ練習して、成長したと思ってる。 お前に負けない自信もある。 もし再来年、ユースから一人だけ昇格できるとなったら、俺はお前に負けないし絶対に譲らない。 お前はどうなんだよ?」

「俺は……」

 言葉に詰まった。

 そもそもそんな話、あえて俺に言ってくる必要は無い。 勝手にアピールして、コーチの信頼を勝ち取って、好きなように昇格すればいい事だ。 だから恐らく克生は、俺からプロに昇格しようとする気持ちが感じられず、何とか火を付けようとして言ってきたのだろう。

 しかししょうがないのだ。 プロになってサッカーを続ける意味が見つけられない俺の心に、火が付くはずなど無い。 克生の思いに反するが、自分の心に正直に答えた。

「俺はお前の前にプロに続く道が見えるんだったら、迷わずお前にパスを出す」

「はぁ――――」

 克生が大きくため息をついた。

「……イッサ……」

 克生はうなだれて、首を左右に振った。 そうじゃねーだろ、と言いたげに。

 ここは皆、自分だけが上手くなって、プロになろうとしている奴らの集まりだと思っていた。 にもかかわらず、俺の事を気にしてくれる克生の存在が本当は嬉しかった。 克生の優しさも、プロへの思いも、そしてこれまで重ねたこいつの努力も、全て俺は知っているから、さっき克生が言った仮定が本当の話だったら、他の誰でもなく克生にプロになって欲しい。 俺は本心からそう思っている。 そして今の俺にプロを語る資格など無い。 改めてそう感じた。

 その後、俺たちは簡単な挨拶だけをして別れた。


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