鬼灯ママの微笑み
冥府省・名古屋支部の日常には、いつも霊の気配が寄り添っている。
一日の務めを終えた黄泉送りたちは今夜、境界に佇む一軒の店へ集う——
▼△▼
それは、大須の商店街から少し外れたビルの地下にあった。
Bar「鬼灯」。
古い雑居ビルの階段を降り、メイはドアを押す。
落ち着いた照明、かすれたジャズ。
奥のテーブルでは、テツ・カイ・シノがすでに飲んでいた。
「お、来た来た! メイ!」
テツが片手を上げる。
だがメイの視線は——
その後ろに、やけに場違いな異国の男へ吸い寄せられた。
「……なんで、あなたが普通に座ってんのよ?」
レオンは爽やかに微笑む。
「こんばんは。お邪魔させてもらっているよ」
メイの顔が固まる。
テツが苦笑しながら言う。
「そんな顔すんなって。ほら、この前一緒に死霊回収したろ?
あのあとSNS見てたら、たまたまレオンを見つけてさ」
「SNS……?」
メイが眉を寄せる。
カイが酒の入った顔で頷いた。
「レオンさんの投稿、めっちゃ洒落ててさ。
“仕事できる外資系男子”みたいなやつ。フォロワーも多いんだよ」
メイが呆れたように言う。
「……死神ってSNSやるの?」
レオンはしれっと答えた。
「魂の流れは流行に左右されるからね。
人間たちの動向は常にチェックしている」
「……理由が死神目線で怖いわよ」
メイは目を細め、無言でレオンを見つめた。
気まずさをほぐすように、テツがジョッキをテーブルに置き、話し出す。
「でな? フォローしたら即DM来てよ。“今夜飲むんでどう?”って誘っちゃったわけ」
カイも上機嫌で頷く。
「そうそう、同業同士、仲良くしよーってことで!」
メイは深いため息をついた。
「……いや、来るな」
だがレオンはまったく悪びれた様子もなく、柔らかく笑った。
「せっかく同じ街で働いているんだ。
仲良くしてもらえると嬉しいんだけどな。……お隣さんでもあるし」
その一言で、シノが勢いよく顔を上げた。
「えっ!? そういう関係!?!」
「違うっ!!」
メイは即座にツッコんだ。
酔いの回ったシノに説明する気力も湧かない。
シノの隣に腰を下ろしたとたん、
メイのトートバッグの中からぴよ丸がひょこっと顔を出した。
「メイに馴れ馴れしくするなと言ったはずだぞ。
……それに昨日は、よくも隣人殿をあのような目に合わせたな。許せん」
「おや、ぴよ丸君。今日はぬいぐるみに戻って──」
「気安く呼ぶな。我はお前が気に入らん。
……隣人殿は、本来こんなことで死ぬはずではなかったろうに」
その言葉に、レオンの顔からゆっくりと笑みが消えた。
「彼は不慮の事故で死んだ。
この国でもどこでも——ありふれた死因だよ」
その乾いた言い方に、泰朝の眉がピクリと動く。
「黙れ、南蛮。
死者の最期を、雑に言うでない」
空気が鋭く張りつめた。
メイは慌てて二人の間に手を出す。
「はいはい、二人ともそこまで!」
店の奥から、ふわりと甘い香りが漂った。
「あら、今日はずいぶん賑やかねえ。
名古屋支部の皆さん、お酒は足りてる?」
カーテンが静かに揺れ、鬼灯ママが姿を現す。
180cmを超える長身。
引き締まった体を包む、胸元まで開いた真紅のドレス。
夜会巻きの黒髪に揺れる鬼灯のピアス。
男とも女ともつかない艶のある声が――
まるで店内の“温度”をひとつ下げるように、落ちてきた。
広い肩幅に反して、指先だけが妙にしなやかで優雅だ。
「ようこそ、鬼灯へ」
その一言で、店の空気がすっと張りつめる。
テツもカイも背筋を伸ばし、
メイとシノは思わず見とれた。
鬼灯ママが“生きているのか、死んでいるのか”。
その正体を知る者はいない。
そんなことを疑問にすら思わないほど、
遥か昔からここにいる存在だった。
すっかり酒がまわったメイは、テーブルに頬杖をつきながらぼやく。
「名古屋って、なんかパッとしないのよねぇ……
観光地は全部バラバラだし、
限定コスメも“東京・大阪”……あと福岡が入ってたりするのよ。
でも、名古屋は? ないのよ、名古屋が。」
テツとカイが笑いながら頷く。
「わかる!めっちゃわかる!」
「有名アーティストのツアーだって名古屋飛ばし、あるもんな」
レオンはよくわからないという顔でグラスを持つ。
その時。
カウンターの向こうでグラスを磨いていた鬼灯ママが、
ふっと柔らかく微笑んだ。
「でも——名古屋にはハスさんがいるじゃない」
全員、動きを止めた。
「……ハス部長?」
「え、いやいや、ハス部長って……
送魂アプリすら触れないんですよ?」
テツが笑いながら言う。
「そうそう。デジタル音痴の代表みたいな人っすよ?」
カイも肩をすくめる。
鬼灯ママは一瞬だけ、
赤い唇の端を静かに上げた。
「そうねぇ……
いまのハスさんは丸〜くなっちゃったけど。」
沈黙。
「昔はね。
——相当な手練だったのよ?」
店内の空気が、微かに揺れた。
テツもカイも、シノもメイも、
冗談だと思おうと笑いかけたが、
笑いが出ない。
レオンだけが、静かに息を飲んだ。
鬼灯ママは続けない。
ただ、置いたグラスに視線を投げ
そっと微笑むだけ。
その“言わなかった続き”が、
逆に恐ろしくて誰も触れられなかった。
* * *
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