こじらせるくらいが丁度いい

ぬまるる

第1話 ファンレターの差出人は、まさかの幼馴染!?

春は、なにかが始まる季節だなんてよく言うけれど、

まさか自分の日常にも当てはまる日が来るなんて、夢にも思っていなかった。


漫画編集部、フロアの一角。

私は担当さんが戻って来るまで、刷り上がった原稿の最終チェックをしていた。


台詞、構図、問題なし。

トーンも……うん、たぶん大丈夫。

〆切直前の、「本当にこれでいいのか?」って不安だけは一生なくならないと思う。


――そんな時だった。


背後から、やけに足取りの軽い気配が近づいてくる。


「深見先生〜♪」


あ、これ、なんかあるやつだ。

振り向くと、担当さんがやたらと嬉しそうな笑顔で立っていた。


「原稿、大丈夫そうですか?」


「あ、はい。問題ないかと。」


「了解です!私もまた後ほどしっかりと確認させて頂きますね!」


「ありがとうございます。よろしくお願いします。」


いつも通りのやり取りを終えたあと、再び担当さんの口元が緩んだ。


「ここで、今日はもう一つ、お知らせがあります!」


「な、なにか悪い報告、とか、だったりします……か?」


恐る恐る聞いてみると、


「なんでそうなるんですか、違いますよ〜♪」


即否定。だけど、なんだかやたら楽しそうにしてるのが怖い。

私は昔から、最悪の未来を先に想像してしまうタイプなのである。


「ちょ、ちょっと……そんな身構えなくても大丈夫ですよ〜?」


担当さんは、私の警戒心を見抜いたのか、苦笑いしながら手をひらひらとさせる。


「ちょうどいいタイミングで、こちらが届きましたので、お渡ししますね〜♪」


そう言って、すっと差し出されたのは――

可愛らしいレース柄があしらわれた、真っ白な封筒だった。


――いわゆる、ファンレターというやつだ。


「あ、ありがとうございます」


いつも通り、感謝の言葉を口にしながら受け取り、ぺこりと頭を下げる。

そのとき――封筒の表に書かれた宛名が、ふと目に入った。



――『深見りら 先生へ♡』



……あれ?

いつもは感じない、なにか小さな違和感が、胸の奥で引っかかる。


ありがたいことに、ファンレターはこれまでにも何通か受け取った経験がある。

丁寧な字も、封筒の可愛らしい装飾も、決して珍しい訳ではない。


——なのに。


なぜかこの宛名の文字、

初めて見るはずなのに、知っている気がする。



「ファンレター、最近ちょっとずつ増えてきましたよね〜♪」


「……そ、そう、ですね……」



適当な相槌を打ちながら、私はもう一度、ファンレターに視線を落とす。


やっぱりこの文字……特徴的で、少しクセのある、

それでいて妙に整った綺麗な字、どこかで――。


私の視線は自然と吸い寄せられるように、封筒の裏側へと向かった。

そこには、とても綺麗で丁寧に書かれた――本名と住所。



――白石ましろ。◯▢県△△市◯△▢……



その名前と住所を目にした瞬間、

頭のてっぺんからつま先まで、サーと血の気が引いていくのがわかった。



「……?……ちょっと待て待て待て。」



視界が一瞬ぼやけ、心臓の音がやたらとうるさい。

突如、目の前に突きつけられた情報は、すべてに見覚えがあった。


……待って、落ち着け私。


ファンレターを一旦机に置き、

私は震える指で、差出人の名前をもう一度なぞって確認してみる。



――白石ましろ。



何度見返してみても――

そこには、小学校から高校まで、ずっと一緒だった幼馴染の名前が、

はっきりと、綺麗な文字で綴られていた。



「どうしてこうなった……?」



一瞬で脳が完全にフリーズした。

限界まで思考をフル回転させてみても――全っ然、追いつかない。



「……あの、先生?」


はっ、と我に返る。


目の前には、担当さんが心配そうな顔をしてこちらを見ていた。


――危ない。完全に思考停止しちゃってた。


「どうかされましたか? さっきから、何か様子が……」


「えっ!? あ、い、いえ! だ、大丈夫です!」


思わず声が裏返る。


「ちょっと……考え事してただけで……あはは……」


乾いた笑いを浮かべながら、私はそのファンレターを、

何事もなかったかのようにカバンの奥へとそっとしまい込んだ。


(大丈夫、これは、ただの偶然。たぶん。きっと。おそらく……)


そう自分に言い聞かせながらも、

胸の奥のざわめきは、拡がっていくばかりだった。


これが、後に始まる「こじらせ片想い」のプロローグになるなんて、

この時の私はまだ――知る由もなかった。







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