黒田彩菓茶房 その謎美味しくいただきます
真野蒼子
序章 黒田彩菓茶房
映る影、変わる時代(一)
文明開化を超えた日本は、年号を大正に変えていた。西洋文化の物が増え、服や建物は様変わりしている。
秩父生まれ秩父育ち。西洋には無縁の桐島薫子は、東京に降り立っていた。
ワンピースにパンプスという洋装を戦闘服に、敵陣へ乗り込む――前に、レンガ造りの小さな喫茶店で脚を止めた。なんとも気になる店名をしている。
扉の上部には看板が掛けられている。刻まれている文字は『黒田彩菓茶房』だ。
「黒田……なんだろう。さいか、かな。西洋菓子の一種……?」
けれど『茶房』は、西洋の喫茶店を連想しにくい。しかし、店構えを見る限り、和菓子店とも思えない。妙に気になって、薫子は窓から店内を覗き込む。
「喫茶店、よね。普通に西洋……え?」
それを見た瞬間、すぐにわかった。あのお菓子が『彩菓』だ。
「素敵……! 宝石で細工したようだわ!」
ショーケースには、たくさんのケーキが並んでいた。
ケーキには、林檎に蜜柑、さくらんぼ――宝石のような果実が、彩り鮮やかに盛り付けられている。それぞれが複雑にカットされ、花開いたような形になっている。
表面に飴を塗っているのか、どれも艶やかだ。店内の淡い証明に照らされる姿は、どんな宝石にも劣らない。ケーキはどれも美しく、個性的な色と形をしていた。
「凄いわ。こんな綺麗なお菓子、見たことない。博物館よ。ケーキの博物館」
柔らかな丸みを帯び、けれど鋭く輝きを放つ。和とも洋とも言い切れない菓子は、一点物の芸術品さながらだった。『彩菓』のなんと相応しいことか。
気がつけば、薫子は見せに飛び込んでいた。彩菓のことを教えてほしい。店員はどこだろうと見回すと、カウンター席にシャツにパンツの洋装を着た青年がいた。客の少女と話し込み、薫子には気づいていないようだ。
声をかけようかと思ったけれど、ぴたりと身体が固まる。
青年は透明のビニル袋を持っていた。中には二枚のクッキーが入っている。
けれど、普通のクッキーとは違うように感じられた。
表面はきらきらと輝いている。砂糖か、なにか特別な物を使っているのだろうか。まさか金粉ではないだろうが、上品な黄金のきらめきだ。
「夏子さん、お待たせしました。桜さんのお名前にちなんで、八重桜のクッキーにしたんです。いかがですか?」
はんなりと、青年は微笑んだ。ゆったりとした穏やかな口調に、高鳴っていた薫子の胸は落ち着いていく。
けれど、少女は不満げに口を尖らせ俯いた。
「……桜ちゃんは誕生日なの。大きいケーキのほうが喜ぶわ。生クリームいっぱいで、甘いの」
子どもの素直な感想に、薫子は苛立ってしまう。咲き誇る八重桜は美しい。食べてしまうのがもったいないくらいだ。それを『これじゃない』なんて、許しがたい。
しかし、青年は優しく微笑んでいた。クッキーの袋を少女の前に置くと、顔を覗き込む。
「桜さんは、甘い物が苦手なんですよ」
「え!? でも、いつも食べて……なんで? どうして、そんなこと知ってるの?」
「これまでのご注文は合計十二回。うち十回が果物だけの彩菓で、二回は果物のみ。一番お好きな物は苺で、ご家族のぶんも食べてしまわれる。生クリームは召し上がりません。お飲み物は必ず、濃い目の珈琲。砂糖もミルクもなし。甘さを誤魔化すためです」
薫子は、え、と驚き青年を凝視した。さらっと答えていたけれど、なにかを読んだわけではない。なにも調べず、確認もせず、流れるように答えている。
――客の来店回数と注文内容、好みまで、すべてを覚えているのだろうか。
「まさか、ね……」
見廻すだけでも、十数人の客がいる。入れ代わり立ち代わりする客の一人ずつなんて、憶えていられるわけはない。
少女に視線を戻すと、また少し俯いている。
「じゃあ、無理させてたの? でも、一口あげるって言ったら、食べていたわ」
「そうですね。では、どうして一口あげようと思ったんですか? 毎回、必ず桜さんと分け合っていましたね」
「だって、桜ちゃんが『どんな味』って聞くから。だからあげてたの。きっと、食べたいんだろうと思って。好きだから聞いたんでしょう?」
「ええ。大好きなんですよ。あなたのことが」
青年は、そっと少女の頭を撫でた。
「夏子さんは甘いお菓子がお好きですね。あなたがお菓子を食べ、語り、笑い、幸せを分け合おうとしてくれる――その時間こそ、桜さんの好きなものです。だから、甘い物は苦手なことを隠したんです」
「……私のため……?」
「喧嘩をしたけど、仲直りしてお誕生日を祝ってあげたい――とても素敵な願いです。仲直りのきっかけに、私の彩菓を選んでいただけて嬉しく思います。ですが、桜さんが待っているのは彩菓ではない。あなたです」
「私……でも……」
少女はいっそう俯いた。それでも、青年は少女にクッキーの袋を握らせる。
「色の薄いほうは甘めです。濃いほうは、砂糖を使わずあっさりと仕上げました。八重桜型は初めてですが、なかなかうまくできたと思いますよ」
初めて、ということは、商品ではないということだ。たしかに、ショーケースにも棚にも、八重桜のクッキーは置いていない。
八重桜のクッキーは特注品なのか。たった一人の少女のために、味を考え材料を揃え形を作っている。
よく見れば、ショーケースの彩菓には奇妙な商品名がついていた。『疲労回復チョコレートケーキ』『快眠元気ラベンダーケーキ』など、いろいろだ。
――若干、センスの悪さは感じる。けれど、これもすべて、誰かのためだったのではないだろうか。誰かのためになにかしたい。その直接的な思いを感じる商品名だ。
薫子は青年をじっと見つめた。青年はカウンターから出て、少女の手を引き扉へ向かう。
「仲直りして、またお二人でいらしてください。いつものように、揃いの着物で。お誕生日の彩菓は、お二人で考えてください」
少女は、八重桜のクッキーを持って外に出た。ぐっと唇を噛み、大きく頷く。
「有難う、マスター! ちゃんと謝ってくる! また二人で来る!」
「頑張ってください。待ってます」
青年は嬉しそうに少女を見送っていた。少女はこちらへ背を向け、前に向けて走っている。それなのに、青年はずっと見送っていた。どこか期待に満ちた微笑みで、少し心配そうでもあった。
たった一人の客に、これほどの手間をかける。嬉しそうに、幸せそうに。
店のお菓子はどれも眩いけれど、細工とは違う煌きに満ちている。
和も洋もない。どこにもない、温かく美しい彩菓。薫子は核心して、店内に戻って来た青年へ突進した。
「え、あの」
案内すらしていない客の突撃に驚いたようで、青年は目を丸くしている。けれど、薫子はお構いなしに青年の両手を握る。
「力を貸してください! どうしても、倒したいんです!」
「倒す?」
「はい! 奴らを!」
薫子は窓の外を指差した。見えるのは、白い大きな建物だ。生クリームを塗りたくったようなビルの扉には、看板が掲げられている。
「ミスミ洋菓子店を、倒産させたいんです!」
「……え?」
青年は目をぱちくりさせていた。けれど薫子は手を放さなかった。
薫子が東京へ来たのは、観光ではない。戦うためだ。
では、一体なぜ戦うのか――その話は、数日前に遡る。
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